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ドイツの作家。敬虔(けいけん)なカトリック信者の息子としてピルマゼンスに生まれる。大学の学位論文にニーチェを取り上げ、その影響で文化革新者としてたつことを決意し、演劇に転身。ベルリンでラインハルトの演劇学校に学んだのち、ミュンヘンの小劇場演出家となる。そこで画家カンディンスキーの諸芸術総合の理念に感化される。第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)とともにしだいに反戦に傾き、スイスへ亡命、チューリヒで芸術家クラブ「キャバレー・ボルテール」を開き、ダダ運動の創始者となる。とくに立体衣装と儀式で演出された音声詩朗読は有名。そののち著述家に転じ、『ドイツ知識人批判』(1919)、『ビザンティンのキリスト教精神』(1923)などを著し、隠遁(いんとん)と極貧のうちに没す。
[土肥美夫]
『土肥美夫・近藤公一訳『時代からの逃走――ダダ創立者の日記』(1975・みすず書房)』
ドイツの作家。ニーチェの影響で文化改革者を自覚し,演劇界へ入る。ミュンヘンの演出家時代にカンディンスキーからも感化を受ける。第1次大戦で反戦思想を深め,スイスへ亡命。1916年チューリヒでダダ運動の開祖となり,音声詩を創出した。ダダ離脱後はドイツ批判の筆を取ったが,大戦後カトリックに改宗し,極貧と禁欲生活の中で教父の思想書や,アナーキズムを媒介とし〈大いなる拒絶〉の精神に満ちた回想録《時代からの逃走》,《ヘッセ論》(ともに1927)などを著述,ルガノ近郊で早世した。
執筆者:土肥 美夫
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…水系網の河間の地がドアーブdoāb(〈二つの川〉の意)で,多くは両側を流れる河川名にちなむ名をもつ。ドアーブは河流沿いのベートbethと呼ばれる狭長な新しい沖積低地と,その背後の比高6~10mの崖によって画されるバルbarと呼ばれる古い沖積台地からなる。用水路灌漑化以前には井戸灌漑が可能な山麓部などを除くとバルの大部分は放牧に利用されるにすぎず,農業はベートとその周辺に限られていた。…
…そのころ,イギリスではキャブトラック構想をはじめとする各種の新交通システムが提案されたが,なかなか実現せず,その後国内のエネルギー事情の緩和もあって,目下開発を中断している。フランスは,PRTとしての小型車両の高密度運行を可能にしたアラミスARAMISなどのシステムの開発を進め,83年リールにバルVALを建設し,運用している。ドイツは,ヨーロッパ諸国の中でいちばん積極的に開発を進めており,PRTとしてキャビネン・タクシーCabinen Taxiを完成し,病院などで短距離交通として実用化している。…
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