改訂新版 世界大百科事典 「バレンチノ」の意味・わかりやすい解説
バレンチノ
Rudolph Valentino
生没年:1895-1926
イタリア生まれのアメリカの映画俳優で,一世をふうびした〈美男スター〉として知られる。バレンティノとも書く。軍人になることに失敗し,1913年,パリをへてニューヨークへ渡る。雑多な仕事をしたあげくジゴロ的なダンサーとなり,非行青少年収容所暮しなどを経験したのち,ミュージカル・ショーの地方巡業に加わってニューヨークを脱出し,17年,ハリウッドにたどりつく。
もっぱらエキゾティックなダンサーや色事師などの端役を演じているうち,MGMの前身であるメトロの実力者であった女流脚本家ジューン・メシス(1892-1927)の目にとまり,スペインの小説家ブラスコ・イバニエス原作,レックス・イングラム監督の《黙示録の四騎士》(1921)の主役に抜擢(ばつてき)され,〈神秘的な禁断のエロティシズム〉と〈抑制された情熱〉のシンボルとして女性の間で爆発的な人気を呼ぶ。イギリスの女流小説家イーディス・M.ハルの原作をジョージ・メルフォード監督が映画化した《シーク》(1921)で〈バレンチノ熱〉は頂点に達し,アラビアの首長を意味する〈シークsheik〉という英語の単語に〈女性にとって魅力的な男性〉〈色男〉〈女たらしlady-killer〉という意味が加わったといわれる。再びイバニエスの原作で,フレッド・ニブロ監督による《血と砂》(1922)も大ヒットし,23年には感傷的な詩集《白昼夢Day Dreams》を出して数十万部も売れたが,演技の拙劣さは男性の観客や批評家から酷評され,また重婚罪で告発されたことも手伝って人気が落ちはじめ,《荒鷲》(1925)と《熱砂の舞》(1926)で人気を回復したのもつかの間,穿孔潰瘍による腹膜炎のため31年の生涯を終えた。その死は,ハリウッドの伝説となっているように,女性ファンの間に集団ヒステリーを引き起こし,数件の後追い自殺さえあったと伝えられる。
美術監督として知られ,バレンチノのマネージャー的存在だった夫人のナターシャ・ランボワによる《ルディ》(1926)をはじめ,数多くの伝記が書かれているが,なかでもケネス・アンガーのハリウッド・スキャンダル史《ハリウッド・バビロン》(1975)はこの伝説的スターをホモセクシャルと断じている。また,ドス・パソスの小説《U.S.A.》(1936)のなかにも〈アダージオ・ダンサーAdagio Dancer〉と題する短い伝記が書かれている。伝記映画も51年と77年につくられ(1951年版ではアンソニー・デクスターが,77年版ではルドルフ・ヌレーエフが演じた),78年にはハリウッドのアービング大通りの一区画がルドルフ・バレンチノ街と命名された。
執筆者:柏倉 昌美
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報