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バンクロフト バンクロフト Bancroft, George

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

バンクロフト
バンクロフト
Bancroft, George

[生]1800.10.3. マサチューセッツ,ウースター
[没]1891.1.17. ワシントンD.C.
アメリカの歴史家,政治家,外交官。ハーバード大学に学び,その奨学金でゲッティンゲンハイデルベルクベルリンの諸大学に学んだ。新大陸発見からアメリカ独立革命までを描いた『アメリカ合衆国史』 History of the United States (10巻,1834~74) を執筆。

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バンクロフト
バンクロフト
Bancroft, Hubert Howe

[生]1832.5.5. オハイオグランビル
[没]1918.3.2. カリフォルニア,ウォルナットクリーク
アメリカの歴史家。 1852年オハイオからカリフォルニアへ移住。サンフランシスコで書籍販売に従事。パナマからアラスカまでの太平洋海岸地域の歴史資料を収集。西部の歴史に関する多くの書物を著わした。

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バンクロフト
バンクロフト
Bancroft, Richard

[生]1544.9. ランカシャー
[没]1610.11.2. ロンドン
イギリスの聖職者。 1587年高等宗務官裁判所員に就任,清教徒 T.カートライトらに対するきびしい判決が特に知られる。次いで 89年ポールズクロスで行なった反清教の説教で一躍有名になった。

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バンクロフト
バンクロフト
Bancroft, Sir Squire

[生]1841.5.14. ロンドン
[没]1926.4.19. ロンドン
イギリスの俳優,劇場支配人。 1865年ロンドンでデビュー。 67年劇場支配人のマリー・エフィー・ウィルトンと結婚,夫妻でプリンス・オブ・ウェールズ劇場 (1867~80) ,ヘイマーケット劇場 (80~85) を経営し,多くの劇を上演した。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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百科事典マイペディアの解説

バンクロフト

米国の歴史家,政治家。ハーバード大学,ドイツゲッティンゲン大学に学び,海軍長官,駐英・駐プロイセン公使を歴任,アナポリス海軍士官学校を創設。米国にドイツ学派の歴史学を導入。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

バンクロフト Bancroft, Edgar Addison

1857-1925 アメリカの外交官。
1857年11月20日生まれ。弁護士をへて,大正13年駐日大使として来日したが,14年7月28日軽井沢で病死。67歳。遺体は日本海軍の軍艦でサンフランシスコにはこばれた。イリノイ州出身。コロンビア大卒。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

バンクロフト

没年:大正14.7.28(1925)
生年:1857.11.20
アメリカの法律家,大正期の駐日大使。イリノイ州ゲイルズバーグ生まれ。1880年コロンビア大学法学士,1912年ノックス大学法学博士。1884年弁護士の資格を取り,1892年シカゴで開業,イリノイ州法律顧問などを務める。1919年シカゴの人種暴動に直面し黒人問題調査委員長として報告書をまとめ上げ,人種問題の権威とみなされる。大正13(1924)年8月駐日特命全権大使に任じられ,11月19日着任。排日移民法実施(1924)後の日米関係改善への期待をかけられていたが,翌年軽井沢で病没。時の第1次加藤高明内閣外務大臣幣原喜重郎の発意で,先のアメリカ大使ガスリ客死(1917)の事例を踏まえつつ,「殊ニ最近米国ニ於ケル対日感情ニ鑑ミ」遺体を軽井沢から特別列車で運び,8月6日東京での葬儀に最高の礼を尽くしたうえ,巡洋艦多摩で横浜からサンフランシスコまで護送した。

(廣瀬靖子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

バンクロフト【George Bancroft】

1800‐91
アメリカの歴史家,政治家。ハーバード大学卒業後,ドイツのゲッティンゲン大学,ベルリン大学に学び,1822年帰国して一時教育事業に熱中したが,31年から歴史研究に入り,大著《合衆国史》10巻(1834‐74)の執筆に着手した。この間ジャクソン大統領の政策を熱烈に支持する論文を発表,政治活動にも入り,政界でも名をあげた。44年,ポーク大統領候補指名に寄与し,彼が大統領となるや海軍長官(1845‐46)に任命され,アナポリスに海軍兵学校を設立,メキシコ戦争(米墨戦争)にも積極的役割を果たした。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

バンクロフト
ばんくろふと
George Bancroft
(1800―1891)

アメリカの歴史家、外交官。1817年ハーバード大学を卒業後、ドイツのゲッティンゲン大学で博士号を取得。ライフワーク『合衆国史』(10巻、1834~74。1876、1883~85改訂)を著したほか、外交官としても活躍。45年海軍長官としてアナポリス海軍兵学校を創設後、46~49年駐英公使、67~74年駐独公使を務めた。また演説と筆をもってリンカーン大統領を支援。その民主政治への熱烈な信奉、愛国心あふれる筆致のゆえに「アメリカ史の父」と評される。[池本幸三]

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世界大百科事典内のバンクロフトの言及

【アナポリス】より

…1783‐84年,連合会議が数回開かれ,86年のアナポリス会議はアメリカ合衆国憲法制定への道を築いた。1845年バンクロフトGeorge Bancroftにより海軍兵学校U.S.Naval Academyが設立された。今日,アナポリスは海軍兵学校の代名詞として用いられる。…

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