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バンダラナイケ バンダラナイケ Bandaranaike, Sirimavo Ratwatte Dias

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

バンダラナイケ
バンダラナイケ
Bandaranaike, Sirimavo Ratwatte Dias

[生]1916.4.17. ラトナプーラ
[没]2000.10.10. コロンボ近郊アッタナガール
スリランカの女性政治家。仏教徒であるが,コロンボの聖ブリジェット修道会の女学院で学んだ。 1940年 S.バンダラナイケと結婚。 59年9月当時首相であった夫が暗殺されたのちスリランカ自由党の総裁に就任。

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バンダラナイケ
バンダラナイケ
Bandaranaike, S.W.R.D.

[生]1899.1.8. コロンボ
[没]1959.9.26. コロンボ
セイロンの政治家。首相(在任 1956~59)。フルネーム Solomon West Ridgeway Dias Bandaranaike。首相として近代セイロンの政治史に大きな変化をもたらした。

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百科事典マイペディアの解説

バンダラナイケ

スリランカの政治家。首相であった夫S.W.R.D.バンダラナイケが暗殺されたあと自由党総裁になり,1960年総選挙に大勝して世界初の女性首相となる。外相・国防相をも兼任。

バンダラナイケ

スリランカの民族主義を代表する政治家。大農園主の長男としてコロンボに生まれた。父親はイギリス支配下における原住民行政の名目上の最高責任者であった。オックスフォード大学を出て1925年に帰国し,民族独立運動に参加。

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世界大百科事典 第2版の解説

バンダラナイケ【Sirimavo Ratwatte Dias Bandaranaike】

1916‐2000
スリランカの政治家。世界最初の女性首相(在職1960‐65,70‐77)。キャンディ王国の貴族の家系に生まれ,コロンボのカトリック系のセント・ブリジット女学校に学ぶ。1940年政治家のS.W.R.D.バンダラナイケと結婚。夫の死後,政治活動に入りスリランカ自由党の総裁に選出され,60年7月の総選挙に勝利し,世界で初の女性首相となった。65年に下野したが,70年にはトロツキストの平等社会党共産党との統一戦線を組み,総選挙に圧勝した。

バンダラナイケ【Solomon West Ridgeway Dias Bandaranaike】

1899‐1959
スリランカの民族主義を代表する政治家,首相(在職1956‐59)。父親はイギリス支配下の原住民行政の名目上の最高責任者(マハ・ムダリヤール)でもあった。大農園主の長男として育ち,オックスフォード大学に学んだ。1925年帰国後,民族独立運動に加わり,ドノモア憲法によって一定範囲で自治が認められると37年以降地方行政相を務めた。独立後も主要閣僚であったが,51年に辞任し,シンハラ民族主義の政党であるスリランカ自由党(中産階級の下層が支持基盤)を結成した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

バンダラナイケ
ばんだらないけ
Solomon W. R. D. Bandaranaike
(1899―1959)

スリランカ独立初期の政治家。植民地時代に宗主国イギリスに留学したのち、1925年に帰国し、スリランカ独立運動にセイロン国民会議派を通して参加した。1948年2月、スリランカ独立と同時にバンダラナイケは新しくスリランカ自由党を結成し、セイロン国民会議派から統一国民党へと連なる穏健路線に決別した。第3回総選挙(1956)の結果、自由党は圧勝し、バンダラナイケ新首相が誕生した。新首相は外交と内政の両分野で画期的な方針を具体化し、スリランカ独立の土台を築いた。対外関係では従来の西側追従政策にかわって非同盟政策が採用され、スリランカの英軍基地は撤去された。内政面では、バスの国有化、コロンボ港の国有化と稲作保護法が続けざまに導入された。また、シンハラ語の公用語化が断行された。これらの革新的な諸政策は工業化の促進も含んでいたが、その「急進的」な政策の実践は国内に不満を残すことになり、1959年には首相の政策に危機感をもった仏教徒シンハラにより暗殺された。その死はインドのマハートマー・ガンディーの死に対比されている。バンダラナイケの死後、その妻シリマボ・バンダラナイケSirimavo R. D. Bandaranaike(1916―2000)が自由党の最高指導者として首相の座に2回(1960~1965、1970~1977)つき、亡夫の志を実現しようとした。その後、1994年11月二女のクマラトゥンガ大統領就任とともに三度目(~2000)の首相に就任した。[中村平治]

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