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パチェコ パチェコ Pacheco, Francesco

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

パチェコ
パチェコ
Pacheco, Francesco

[生]1564.11.3. 〈洗礼〉サンルカル
[没]1654. セビリア
スペインの画家,著作家。 L.フェルナンデスに師事し,セビリアで活躍。スペイン・バロックを代表する画家の一人で,作風は写実性に基礎をおく明暗表現が特色。著書『絵画術』 Arte de la pintura (1649) は,スペイン絵画史の重要な源泉となった。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

パチェコ Pacheco, R.P.Francisco

1565-1626 ポルトガルの宣教師。
イエズス会士。慶長9年(1604)来日。17年再来日し,19年キリシタン追放令でマカオへわたる。翌年日本に潜入。肥前島原地方や京都などで布教し,日本管区長となったが,寛永3年閏(うるう)4月26日長崎の西坂で火刑に処された。61歳。

パチェコ Pacheco, Luis Paes

?-1640 ポルトガルの使節。
江戸幕府のポルトガル船来航禁止令に対して,通商再開を嘆願する特使のひとりとしてマカオ市から派遣される。寛永17年(1640)5月長崎に到着したが,出島の獄につながれ,6月16日西坂(長崎市西坂町)で他の使節や乗組員とともに処刑された。インドコーチン生まれ。

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朝日日本歴史人物事典の解説

パチェコ

没年:寛永17.6.16(1640.8.3)
生年:生年不詳
江戸初期に来航したマカオ市代表使節。コチン出身。寛永16(1639)年に江戸幕府がポルトガル船来航禁止を決定したことは,日本貿易に依存するマカオ市にとって死活問題であった。そこでマカオ市は日本渡航の経験者パチェコを筆頭に4人を特使とし,総勢74人を長崎に派遣した(寛永17年5月)。しかし貿易再開の嘆願書は功を奏せず,約1カ月後に黒人水夫13人を除く全員が長崎・西坂で斬首の刑を受け,遺留品と船は焼かれた。助命者はのちに中国船でマカオに送還,これで日ポ通交の断絶は決定的となる。『バタヴィア城日誌』(バタビアオランダ東インド総督府による日記)によれば,処刑されたパチェコは「マカオの貴人」で,宗教に熱心だが,日本のキリスト教の進展にはやや失望していたという。<参考文献>永積洋子訳『平戸オランダ商館の日記』4巻,村上直次郎訳注,中村孝志校注『バタヴィア城日誌』1,2巻

(鳥井裕美子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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