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パールシー Pārsī

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

パールシー
Pārsī

インド在住のゾロアスター教の信者。イランのゾロアスター教徒の一部が,8世紀に新興のイスラム教徒に追われてインドに逃れ,現在のグジャラート州海岸部に移住した。その中心地はスラト南郊のナウサリで,有名な寺院が現存する。17世紀スラトにイギリス東インド会社商館が置かれると,多数のパールシーが商業や貿易業に従事するようになった。18世紀イギリス東インド会社の商館がボンベイに移ると,多くもボンベイに移住した。19世紀になると,ボンベイを中心に商工業経営を拡張,綿紡績業などを興し,インド民族資本の代表的な存在となった。最も有名な人物はジャムセトジ・ナサルワンジ・タタで,タタ財閥は今日もインドを代表する財閥である。

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百科事典マイペディアの解説

パールシー

8世紀にイランのパールス地方からインドへ移住したゾロアスター教徒の子孫。人口約10万人。富裕な商人層が多く,ターター財閥などもパールシーの出身。ボンベイ(ムンバイ)を中心に各地に居住する。

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世界大百科事典 第2版の解説

パールシー【Pārsī】

8世紀にイスラム教徒に追われて,ペルシアパールサからインドのボンベイ市の北の小港サンジャーに到達したゾロアスター教徒で,ヨーロッパ人による呼称。ペルシアの言語を捨て,婦女はインドの服装をするという二つの条件のもとに,インドの王侯は彼らの定住を許し,しだいにその信者は増していった。18世紀初頭にペルシア暦を採用するカディーミとインド暦を採用するシェンシャーイとに分裂したが,後者の方が数が多い。パールシーによれば,アフラ・マズダこそが唯一神であり造物者である。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

パールシー
ぱーるしー
Prs

インドに移住したゾロアスター教徒。ササン朝滅亡後漸次イスラム化されたイラン人王朝の支配下で、信仰を守ることの困難を自覚したゾロアスター教徒の小集団が、出身地ホラサーンから脱出してついにインドのグジャラートの海岸地方に上陸したのは、伝承によれば936年のことであった。彼らはパールシーつまりペルシア人とよばれ、ヒンドゥー社会に定着するにつれ、現地の言語、衣服、風習を受け入れたが、自分たちの聖なる火を建立して信仰を守り、細々ながらもイランとの接触も保っていた。16世紀ムガル朝のアクバル帝の信仰討議には代表者を送ってアクバルに感銘を与えたという。
 イギリスによるインドの植民地化が進むにつれ、パールシーはボンベイ(現ムンバイ)を中心として工業や商業の各分野で飛躍的な発展を遂げた。19世紀には、その経済力を背景として宗教や社会的改革を行い、福祉や教育の普及に目覚ましい成果をあげた。インド独立以後、多くのパールシーがイギリス、アメリカ、カナダなどに移住したが、総人口10万人余のうちなお8万人はムンバイに住む。現在は、結婚年齢が高く出産率が低いこと、および父系によってのみパールシーと認められる純血主義や非改宗主義に由来する人口減少をいかに阻止するかが大問題になっている。[山本由美子]
『E. Kulke The Parsees in India, A Minority as Agent of Social Change (1974, Munich)  ▽J. R. Hinnells Zoroastrianism and the Parsis (1981, London)』

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世界大百科事典内のパールシーの言及

【インド】より

…また遅くとも10世紀ころまでにはユダヤ教徒がコーチンに来住した。また8世紀にアラブの支配から逃れて,ペルシアからインドに移住したパールシーPārsīと呼ばれるゾロアスター教徒もおり,17世紀以降インドにおけるイギリス勢力の拡大に伴って彼らの社会的・経済的活動は活発になっていった。19世紀以降,キリスト教宣教師の活動や西洋思想の移入の刺激を受けて,ヒンドゥー教徒の間に,ブラフマ・サマージ,アーリヤ・サマージなどの宗教・社会改革運動が起こったが,1875年にニューヨークに設立され,82年にその本部がマドラスに移された神智学協会の活躍も見のがせない。…

【インド】より

…また遅くとも10世紀ころまでにはユダヤ教徒がコーチンに来住した。また8世紀にアラブの支配から逃れて,ペルシアからインドに移住したパールシーPārsīと呼ばれるゾロアスター教徒もおり,17世紀以降インドにおけるイギリス勢力の拡大に伴って彼らの社会的・経済的活動は活発になっていった。19世紀以降,キリスト教宣教師の活動や西洋思想の移入の刺激を受けて,ヒンドゥー教徒の間に,ブラフマ・サマージ,アーリヤ・サマージなどの宗教・社会改革運動が起こったが,1875年にニューヨークに設立され,82年にその本部がマドラスに移された神智学協会の活躍も見のがせない。…

【鳥葬】より

…死体を野や藪のなかに放置する死体遺棄ないし風葬の場合,結果的に死体が野鳥や野獣によって食われることはあるが,厳密な意味での鳥葬とは,ハゲタカやハゲワシなどの肉食鳥に死体の処理をさせることを意図して死体を特定の場所に置く葬法のことで,チベット人と西インドに住むゾロアスター教徒パールシーのあいだで見られるだけといってよい。チベット人のあいだでも燃料用の木が豊富な地方では火葬が頻繁に見られる。…

※「パールシー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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