パールシー(英語表記)Pārsī

改訂新版 世界大百科事典 「パールシー」の意味・わかりやすい解説

パールシー
Pārsī

8世紀にイスラム教徒に追われて,ペルシアのパールサからインドボンベイ市の北の小港サンジャーに到達したゾロアスター教徒で,ヨーロッパ人による呼称。ペルシアの言語を捨て,婦女はインドの服装をするという二つの条件のもとに,インドの王侯は彼らの定住を許し,しだいにその信者は増していった。18世紀初頭にペルシア暦を採用するカディーミとインド暦を採用するシェンシャーイとに分裂したが,後者の方が数が多い。パールシーによれば,アフラ・マズダこそが唯一神であり造物者である。人間には,可滅と不滅の部分があり,霊魂は不滅で,死後生前の行為に従って運命が決まり,報土たるグラスマン・ビヒシュトに往生するか,悪鬼の住むドザクに落ちると信じられている。儀礼としては,死体を鳥に食わせるものが有名であり,葬る場所はダクマ(沈黙の塔)と呼ばれる。

 現在のパールシーの数は約10万人でムンバイー(旧ボンベイ)を中心としている。彼らの内部では,古来の伝統を重視するか,これを時代に合わせて改革するか,はたまたヒンドゥー教に移行していくかというように傾向が分かれている。しかし全体としては,しだいにヒンドゥー教へ同化していく傾向が強い。ヨーガにひかれる者は多いし,ブラバツキー夫人の主唱した神智学の影響を受け,輪廻説を信ずる傾向まである。その反面ゾロアスター教そのものに帰ろうとする動きも興り,極端な保守派として聖紐クスティをまとうのに固執している集団もある。インドにおける鉄鋼,航空などの重工業はパールシーによって開始され,また彼らは商人としてインドのいたるところで活動している。彼らの中に乞食はいないといわれ,一般に富裕で,社会改革,福祉運動,教育方面で活躍している者も少なくない。これは彼らが現実肯定的で,またインドの古来からの伝統,とくにカースト制度をもたないがゆえに,近代的な物事を吸収しやすかったということなどが理由として考えられる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「パールシー」の意味・わかりやすい解説

パールシー
ぱーるしー
Pārsī

インドに移住したゾロアスター教徒。ササン朝滅亡後漸次イスラム化されたイラン人王朝の支配下で、信仰を守ることの困難を自覚したゾロアスター教徒の小集団が、出身地ホラサーンから脱出してついにインドのグジャラートの海岸地方に上陸したのは、伝承によれば936年のことであった。彼らはパールシーつまりペルシア人とよばれ、ヒンドゥー社会に定着するにつれ、現地の言語、衣服、風習を受け入れたが、自分たちの聖なる火を建立して信仰を守り、細々ながらもイランとの接触も保っていた。16世紀ムガル朝のアクバル帝の信仰討議には代表者を送ってアクバルに感銘を与えたという。

 イギリスによるインドの植民地化が進むにつれ、パールシーはボンベイ(現ムンバイ)を中心として工業や商業の各分野で飛躍的な発展を遂げた。19世紀には、その経済力を背景として宗教や社会的改革を行い、福祉や教育の普及に目覚ましい成果をあげた。インド独立以後、多くのパールシーがイギリス、アメリカ、カナダなどに移住したが、総人口10万人余のうちなお8万人はムンバイに住む。現在は、結婚年齢が高く出産率が低いこと、および父系によってのみパールシーと認められる純血主義や非改宗主義に由来する人口減少をいかに阻止するかが大問題になっている。

[山本由美子]

『E. KulkeThe Parsees in India, A Minority as Agent of Social Change (1974, Munich)』『J. R. HinnellsZoroastrianism and the Parsis (1981, London)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パールシー」の意味・わかりやすい解説

パールシー
Pārsī

インド在住のゾロアスター教の信者。イランのゾロアスター教徒の一部が,8世紀に新興のイスラム教徒に追われてインドに逃れ,現在のグジャラート州海岸部に移住した。その中心地はスラト南郊のナウサリで,有名な寺院が現存する。17世紀スラトにイギリス東インド会社の商館が置かれると,多数のパールシーが商業や貿易業に従事するようになった。18世紀イギリス東インド会社の商館がボンベイに移ると,多くもボンベイに移住した。19世紀になると,ボンベイを中心に商工業経営を拡張,綿紡績業などを興し,インド民族資本の代表的な存在となった。最も有名な人物はジャムセトジ・ナサルワンジ・タタで,タタ財閥は今日もインドを代表する財閥である。

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百科事典マイペディア 「パールシー」の意味・わかりやすい解説

パールシー

8世紀にイランのパールス地方からインドへ移住したゾロアスター教徒の子孫。人口約10万人。富裕な商人層が多く,ターター財閥などもパールシーの出身。ボンベイ(ムンバイ)を中心に各地に居住する。〈沈黙の塔〉で行われる鳥葬の風習が知られる。→ゾロアスター教

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「パールシー」の解説

パールシー
Pārsī

インドのゾロアスター教徒。8世紀頃,イランのゾロアスター教徒は,ムスリムの進出を受けてグジャラート地方へ移動し,在地の言語や文化を受け入れながら定着した。現在も人口の大部分はグジャラートをはじめインド西部に分布し,特にボンベイに集中している。イギリス植民地期には,西洋教育を積極的に受容し,行政,商工業,社会,文化の各領域で活躍した。火の儀式や鳥葬などの慣習を持つ。近年人口の減少が問題化している。

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