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ヒバ・ハン国 ヒバ・ハンこくKhiva Khanate

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ヒバ・ハン国
ヒバ・ハンこく
Khiva Khanate

16~20世紀初め,中央アジアにあった封建国家。 1511年にシャイバーニー朝のイルバルスがホラズム (フワーリズム) の地に建国したことに始る。第 11代のアラブ・ムハンマド1世 (在位 1602~23) が首都をウルゲンチからヒバに移したことからヒバ・ハン国と呼ばれるようになった。ブハラ・ハン国としばしば戦い,カザフ,トルクメンの遊牧民の攻撃をこうむったばかりでなく,1740年にはナーディル・シャーに占領された。 1804年からクングラード朝が代った。 19世紀の 60~70年代に中央アジア征服を行なったロシアは 73年にヒバを占領し保護国とした。十月革命後もこの国は存続したが,1920年4月人民大衆の蜂起が起り,ホラズム人民共和国が成立したが,24~25年民族自決の原理によって新たに諸共和国が中央アジアにつくられると,それらのなかに編入された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ヒバ・ハン国
ひばはんこく
Khiv

1512年、シャイバン家出身のエルバルス・ハンが、遊牧ウズベク諸部族を統合して、アラル海の南部、アムダリヤ下流域のホラズム地方に建てた国。首都は初めウルゲンチにあったが、アムダリヤ支流の乾燥化のために1615年ヒバに移された。住民は、ウズベクと、先住のトルコ化したホラズム・オアシスの定住民と、遊牧、牧畜を営むトルクメンとからなり、宗教はスンニー派イスラムであった。ハン国は諸部族間の対立やトルクメンのたび重なる反乱、ブハラ・ハン国との絶え間ない抗争などから、政治的、社会的な安定を欠き、文化や経済の発展も阻害された。18世紀末からウズベクのコンギラト部族が有力となってコンギラト朝を開いたが、1873年中央アジアの征服を進めるロシアの遠征軍に破れてその保護国となった。そしてロシア革命後の1920年、ソビエト政権に敵対したハンの権力は、赤軍の支援を得た国内の反体制派によって打倒され、新たにホラズム人民ソビエト共和国が成立し、24年ウズベク(現ウズベキスタン)およびトルクメン(現トルクメニスタン)共和国に編入された。[小松久男]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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