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ヒュースケン ヒュースケン Heusken, Henry C. J.

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ヒュースケン
ヒュースケン
Heusken, Henry C. J.

[生]1832.1.20. アムステルダム
[没]万延2(1860).1.16. 江戸
幕末に活躍したオランダ人の駐日アメリカ公使館通訳官。安政2 (1855) 年駐日アメリカ総領事 T.ハリスに随行。シャムとの開国通商条約締結に従事。英語,オランダ語フランス語などに通じ,日本着任後は日本語を修得してハリスの外交活動を助けた。

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百科事典マイペディアの解説

ヒュースケン

幕末の駐日米国公使館通訳官。オランダ人。1856年ハリスの通訳官として伊豆(いず)下田にきた。蘭・英・独・仏語に通じた彼は日米修好通商条約交渉などでハリスを補佐。
→関連項目安藤信正

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

ヒュースケン Heusken, Henricus Conradus Joannes

1832-1861 オランダの通訳。
1832年1月20日生まれ。駐日アメリカ総領事ハリスに同行して安政3年(1856)下田に上陸。5年日米修好通商条約の締結に活躍し,イギリス,プロイセンの対日条約締結にも協力した。万延元年12月5日江戸で尊攘(そんじょう)派の鹿児島藩士におそわれ,翌日死亡。28歳。「日本日記」がのこる。アムステルダム出身。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

ヒュースケン

没年:万延1.12.5(1861.1.15)
生年:1832.1.20
幕末のアメリカの外交官。オランダのアムステルダムに商人の子として生まれる。16歳のとき寄宿学校をやめて父の家業を継ぐが,父の死去に伴い1853年アメリカのニューヨークに渡る。55年,初代駐日総領事ハリスに同行する通訳官に採用され,同年10月ニューヨークを出発,安政3年7月21日(1856年8月21日)下田に着く。ハリスの片腕として外交折衝には常に同席し,同5年6月19日(1858年7月29日)の日米修好通商条約調印に功があった。イギリス,プロシャの対日交渉にも協力したが,万延1(1860)年末,江戸赤羽にあったプロシャ代表部からの帰途,薩摩藩士に襲われ,翌日死去した。<著作>『ヒュースケン日本日記』(青木枝朗訳)

(内海孝)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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大辞林 第三版の解説

ヒュースケン【Henry Heusken】

1832~1861) 幕末期のアメリカ公使館通訳。オランダ人。ハリスの随員として来日。攘夷派浪人に襲撃され死亡。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ヒュースケン
ひゅーすけん
Henry C. J. Heusken
(1832―1861)

幕末、駐日アメリカ公使館通訳官を勤めたオランダ人。1832年1月20日アムステルダムに生まれ、53年アメリカに渡り、55年駐日総領事ハリスの随員に任命され、ペナンで総領事と合流、シャムとの通商条約締結ののち、56年8月21日(安政3年7月22日)下田(しもだ)に着任、オランダ語、英語、フランス語に加えて日本語を修得、58年日米修好通商条約締結に成功、ついで日英修好通商条約締結に協力、59年6月(和暦5月)に江戸麻布(あざぶ)の善福寺に移り、60年(安政7)プロシアとの日普(にっぷ)修好通商条約締結にも協力したが、61年1月15日(万延元年12月5日)夜、攘夷(じょうい)派の薩摩(さつま)藩士伊牟田尚平(いむたしょうへい)らに襲撃され、翌日死去した。幕府はその母に扶助料・慰謝料として1万ドルを支払った。著書に『The Japan Diary, 1855―1861』New Brunswick, 1964(邦訳『日本日記』)がある。[金井 圓]

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