ドイツの心理学者。バーデン州のメッケスハイムに生まれる。哲学者フッサールの現象学の影響を受けた。初期の研究はウュルツブルク学派の一員として行った『思考について』(1907)である。彼が用いた方法は「課題法」といわれるもので、ニーチェなどの作品を読んで聞かせたり、「イエス」「ノー」で答えるような課題を与えたりして、そのときの経験をあとから被験者に尋ねるもの。思考には心像は必要でない、心像がぼやけても思考はあいまいにはならない、思考は目標指向的、創造的であり、課題の解決を目ざしている、というのが彼の主張である。これに対してW・ブントはもちろん反対したが、フランスではビネーが自分の発見の優先権を主張した(1903)。1918年には『児童の精神発達』を書き、発達年齢、発達指数の概念を提唱した。1922年から1938年までのウィーン大学時代には、『言語理論』(1934)など言語に関する著作により心理言語学に影響を与えた。1938年ユダヤ系のためナチスの迫害を受け、まもなくアメリカに亡命。同じく心理学者のシャルロッテ・ビューラーCharlotte Bühler(1893―1974)は彼の夫人で、おもに発達心理学を専攻し、新生児行動、社会的発達、青年心理学の研究で著名である。晩年、アメリカでは臨床心理学の分野で活躍した。
[宇津木保]
『原田茂訳『幼児の精神発達』(1966・協同出版)』▽『脇坂豊他訳『言語理論』上下(1983、1985・クロノス)』
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ビュルツブルク学派に属するドイツの心理学者。ミュンヘン大学に学び,1922年ウィーン大学教授。複雑な思考過程には心像のない,非直観的な意識内容である考想Gedankenが中心的要素となっているという説を唱えたほか,発達心理学では子どもの遊びの動機づけを機能の快に求め,幼児が物事を〈ああ,なるほど〉という形の洞察を体験することを記述するなど,発達原則の理論化,体系化を試み,三段階学説,すなわち児童の精神発達は本能,訓練,知能という過程で進行していくという考えを示した。児童心理学者シャルロッテ・ビューラーCharlotte B.(1893-1974)は彼の夫人。
執筆者:中根 晃
オーストリアのインド学者。1863-80年の間インドのボンベイとプネーで東洋語を講じつつ,古写本の収集に努める。81年ウィーン大学教授に就任。インド考古学,とくに碑文の解読と古銭学,およびそれに関連した俗語の研究,また古代の法典文献の研究などに多くの業績を残す。またみずから企画監修した《インド・アーリヤ文献学・考古学概説》叢書(1896-1935)は,現在もインド学全般をおおう格好の見取図を提供している。代表的著作としては《マヌ法典》の翻訳(1886),《インド碑文学》(1896)などがあげられる。
執筆者:高橋 明
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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