心理言語学(読み)シンリゲンゴガク

  • psycholinguistics

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

言語のもつ心理学的側面の研究。言語に関連した心理現象を研究対象とする学問分野は、早くから言語心理学psychology of languageとよばれ、さまざまに進められてきた。たとえば、20世紀の初頭、実験心理学の開祖ドイツのブントは、高次の思考過程は実験的研究は不可能で、ただその言語的表出を手掛りにして初めて解明されるとした。また、同じくドイツの心理学者のエビングハウスは、無意味綴(つづ)りを考案して記憶実験の材料に用いた。ケロッグW. N. Kellogg & Louella A. Kellogg夫妻は、わが子をチンパンジーといっしょに育て、初め後者の発達が優位を占めていたが、言語の始まりとともに優劣関係が逆転することをみいだし、人間存在に言語が本質的位置を占めることを示唆した。ピアジェは、5~6歳ごろみられる、集団のなかにいながらしきりにひとりごとをつぶやく現象を言語が社会化する過渡期に現れるものと考え、自己中心語と名づけた。これを批判したビゴツキーは、言語は初めコミュニケーションの用具として発生し、思考の用具へと発展していく過渡期に自己中心語の形をとるとした。このように、言語と心理学とのかかわりは当初から深かった。

 しかし初期の言語心理学は、心理学的な関心の限度内でだけ言語を対象とし、また言語の本質をなす構造について考慮することはなかった。一方、スイスの言語学者ソシュール以来の言語学は、客観的体系としての言語だけを扱い、個人が言語を運用する側面にはほとんど関心を払わなかった。こうして、双方それぞれの事情から、心理学と言語学との間には真の交流はほとんど欠けていた。この伝統に対して、1950年代以降アメリカにおいて急速に言語に対する学際的関心が高まってきた。情報理論、言語翻訳、パターン認識などの問題をめぐって、心理学、言語学、人類学、数学、大脳生理学、神経科学などの諸分野が言語に共通の関心を抱くようになった。この情勢に際して、アメリカの言語学者チョムスキーは生成変形文法という新しい言語理論を提唱し、子供は不完全な言語資料から完全な言語法則を抽出しうる、言語習得は均質であるなどの根拠から、人間には生得的な言語獲得装置(language acquisition device:LAD)が備わっていると論じた。したがって、言語理論は人間の生得的理性の構造を探究するものとなり、心理学の一部門を開くものだとチョムスキーはいう。こうして、心理学と言語学は相即不離な関係にたつこととなり、この点で古いニュアンスをもつ言語心理学ということばはしだいに勢いを失っていき、1953年に新しい用語としての心理言語学が正式に導入されるに至った。しかし、その差は実質的研究内容にあるというよりは、むしろ理念の違いによると解したほうがよい。言語心理学という呼称は、心理学的探究の標的の一つとしての言語という意味合いが強いのに対し、心理言語学とよばれるときは、言語学がしだいに学際領域を拡大し、心理学との境界領域が新しく生まれたというニュアンスが強くなる。後者のほうが、理念・目標・方法・対象などがより広くなるので、しだいに優位を占めるのは、当然ともいえよう。これに伴い、社会言語学、神経言語学(言語と脳の関連の研究)、認知言語学などの新分野と名称が生まれてきたことにも注目すべきであろう。

 心理言語学の主要問題は、アメリカのクラーク夫妻Hervert H. Clark & Eve C. Clarkによると、次の三つである。

(1)言語理解にあたって働く心理過程
(2)言語産出にあたって働く心理過程
(3)言語獲得の過程とその機制
 また、そこから、言語と認識、言語と思考の関係、言語と他の人間行動との関係、言語構造の由来、動物の言語などの諸問題が派生するという。現状は問題範囲はさらに広がり、言語進化、言語病理、言語獲得装置の神経モデルなどをも含むに至っている。なかでも言語獲得はチョムスキー以来の中心課題をなし、この分野をとくに発達心理言語学とよぶこともある。

[藤永 保]

『チョムスキー著、川本茂雄訳『言語と精神』(1976・河出書房新社)』『村田孝次著『言語発達研究』(1981・培風館)』『フォーダー、ビーヴァー、ギャレット著、岡部慶三他訳『心理言語学――生成文法の立場から』(1982・誠信書房)』『ジャン・ミッシェル・ペテルファルヴィ著、芳賀純他訳『心理言語学入門』(1983・研究社出版)』『ジェイムズ・ディーズ著、片山嘉雄監訳『心理言語学』(1984・ナカニシヤ出版)』『ジーン・エイチソン著、鹿取広人他訳『言葉をもった哺乳類――心理言語学入門』(1985・思索社)』『H・H・クラーク他著、藤永保他訳『心理言語学――心とことばの研究』(1986、1987・新曜社)』『ダニー・D・スタインバーグ著、国広哲弥他訳『心理言語学――思考と言語教育』(1988・研究社出版)』『芳賀純著『言語心理学入門』(1988・有斐閣)』『聴覚・言語障害児教育関係教官連絡会議編『言語障害児教育』(1989・日本文化科学社)』『伊藤克敏著『こどものことば――習得と創造』(1990・勁草書房)』『デーヴィド・マクニール著、鹿取広人他訳『心理言語学――「ことばと心」への新しいアプローチ』上下(1990・サイエンス社)』『坂野登・天野清著『言語心理学』(1993・新読書社)』『ジーン・エイチソン著、成瀬武史編著『やさしい心理言語学――20週講義概要』(1994・南雲堂)』『ピンカー著、椋田直子訳『言語を生みだす本能』上下(1995・日本放送出版協会)』『ダニー・D・スタインバーグ著、竹中竜範他訳『心理言語学への招待』(1995・大修館書店)』『ジェリー・H・ギル著、斉藤隆史訳『チンパンジーが話せたら』(1998・翔泳社)』『岡本真一郎著『ことばの社会心理学』(2001・ナカニシヤ出版)』『若島孔文著『コミュニケーションの臨床心理学――臨床心理言語学への招待』(2001・北樹出版)』『藤永保著『ことばはどこで育つか』(2001・大修館書店)』『オブラー、ジュァロー著、若林茂則監訳、割田杏子訳『言語と脳』(2002・新曜社)』『小池生夫編集主幹、井出祥子他編集委員『応用言語学事典』(2003・研究社)』

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精選版 日本国語大辞典の解説

〘名〙 (psycholinguistics の訳語) 言語を人間の心理的側面との関係でとらえようとする学問。その研究対象は、連想、命名、言語と思考といったテーマから、幼児の言語獲得、文や単語の認知、言語コミュニケーションの心理的側面など広範囲にわたっている。

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