ビーチャム(読み)びーちゃむ(英語表記)Sir Thomas Beecham

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビーチャム」の意味・わかりやすい解説

ビーチャム
びーちゃむ
Sir Thomas Beecham
(1879―1961)

イギリス指揮者。リバプール近郊のセント・ヘレンズ生まれ。オックスフォード大学出身だが、音楽は独学。たまたま名指揮者ハンス・リヒター代役を務めたのをきっかけに楽界に身を投じ、1909年ビーチャム交響楽団を創立、R・シュトラウスをはじめ、多くの新しい管弦楽曲、オペラをイギリスに紹介、新風を吹き込んだ。32年ロンドン・フィルハーモニーを創立、39年までその指揮者。第二次世界大戦中はオーストラリア、カナダ、アメリカで指揮活動を続け、戦後はロンドンに46年ロイヤル・フィルハーモニーを創立、死去するまでその指揮者を務めた。独学だけに構成力の弱さはぬぐいきれなかったものの、穏やかな表情でデリケートに歌い上げてゆく風情は、ビーチャム独自の境地とされ、広く愛された。イギリスの作曲家ディーリアスの作品の紹介に尽力、その演奏は絶品といわれた。16年サーの称号を授与され、57年には名誉爵位を得た。ロンドンに没。

[岩井宏之]

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改訂新版 世界大百科事典 「ビーチャム」の意味・わかりやすい解説

ビーチャム
Thomas Beecham
生没年:1879-1961

イギリスの指揮者。オックスフォード大学に学び,音楽はM.モシュコフスキらに師事。イギリスでも有数富豪の出で,ビーチャム交響楽団(1909),ビーチャム・オペラ団(1915),ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(1932),ローヤル・フィルハーモニー交響楽団(1946)などを組織,運営,指揮した。ビーチャム・オペラ団は1923年英国国立オペラ団となり,32年コベント・ガーデン劇場に吸収されるが,ビーチャムは同芸術監督となる。また,若い演奏家を育成するとともに,R.シュトラウスらの音楽をイギリスに紹介した。バレエ・リュッスのロンドン公演の実現にも努力した。海外でも指揮者として活躍し,1916年ナイトに叙せられ,同年准男爵を継いだ。
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百科事典マイペディア 「ビーチャム」の意味・わかりやすい解説

ビーチャム

英国の指揮者。ランカシャー州セント・ヘレンズの英国有数の富豪の家に生まれ,後年名ピアノ奏者M.モシュコフスキ〔1854-1925〕らに作曲を学んだ以外ほとんど独学で音楽を習得。19歳の折H.リヒターの代役でハレ管弦楽団を指揮,以後私財を投じて,ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(1932年),ローヤル・フィルハーモニー交響楽団(1946年)などを組織。短期間で第一級のオーケストラに育成し,国際的な名声を得た。1932年−1939年ロンドンのコベント・ガーデン王立歌劇場芸術監督。豪放な指揮ぶりで知られ,親交のあったディリアスの作品の普及に果たした役割も大きい。
→関連項目ホロビッツ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ビーチャム」の意味・わかりやすい解説

ビーチャム
Beecham, Sir Thomas

[生]1877.4.29. セントヘレンズ
[没]1961.3.8. ロンドン
イギリスの指揮者。オックスフォード大学卒業。 J.ロバーツと C.ウッドに作曲を,M.モスコビスキーにオーケストレーションを学ぶ。 1902年に巡回オペラ団の指揮をし,05年ロンドンでデビュー。 06年にニュー・シンフォニー・オーケストラを創立。 S.ディアギレフのバレエ・リュスや F.シャリアピンをロンドンで紹介し,16年ナイトに叙せられた。 32年ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団,47年ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団を創立し,オペラ,コンサートの両面でイギリスの楽界に貢献した。

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