コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ピレンヌ ピレンヌ Pirenne, Henri

6件 の用語解説(ピレンヌの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ピレンヌ
ピレンヌ
Pirenne, Henri

[生]1862.12.23. ベルビエ
[没]1935.10.24. ブリュッセル近郊
ベルギーの歴史家。リエージュ,パリ,ライプチヒベルリンの各大学に学び,K.ランプレヒトの影響を受けた。のちヘント大学中世史教授 (1889~1930) 。代表作『マホメットシャルルマーニュ』 Mahomet et Charlemagne (37) では,イスラムヨーロッパ侵入が中世ヨーロッパ封建社会を生み出したと主張。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

ピレンヌ(Henri Pirenne)

[1862~1935]ベルギーの歴史家。民族の大移動をもって古代と中世とを分ける伝統的時代区分に対し、イスラムが地中海を制覇した8世紀中葉以降に真の中世が始まるとする、いわゆる「ピレンヌテーゼ」を提起した。著「中世都市」「マホメットとシャルルマーニュ」など。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

ピレンヌ

ベルギーの中世史家。ヘント大学教授。実証主義をもって大胆に旧説を批判し,8世紀のイスラムの進出による西欧中世社会の成立と,11世紀の商業復活による西欧の新しい発展を主張した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

ピレンヌ【Henri Pirenne】

1862‐1935
ベルギーの歴史家。東部の工業都市ベルビエVerviersに生まれ,リエージュ大学で中世史を専攻した後,フランスドイツに留学。1886年ヘント大学教授となり,多くの著述を発表するとともに,優れた弟子を育てて,ベルギー中世史学を一挙にヨーロッパ学界最高の水準に引き上げた。第1次大戦中,ドイツ占領軍によるヘント大学のフラマン語化に反対してドイツに拘禁され,戦後は国民的英雄として数々の栄誉に輝いたが,1919‐30年同大学のフラマン語化に伴って退職し,まもなくブリュッセルで没。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

ピレンヌ【Henri Pirenne】

1862~1935) ベルギーの歴史学者。中世社会経済史の厳密な実証的研究に基づき、ヨーロッパの成立に関する大胆な歴史的把握(ピレンヌ-テーゼ)を試みた。著「マホメットとシャルルマーニュ」など。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ピレンヌ
ぴれんぬ
Henri Pirenne
(1862―1935)

ベルギーの歴史家。ベルビエに生まれ(12月23日)、ブリュッセル郊外に没す(10月24日)。リエージュ大学卒業後パリの古文書学校、高等研究学院、ドイツのライプツィヒ、ベルリン両大学に留学する。帰国後母校で古文書学を講じたのち、ガン(ヘント)大学に転じ、1930年に退職するまでベルギー史、西洋中世史の講義を担当、ピレンヌ学派とよばれる一群の俊才を育てた。第一次世界大戦中ドイツ占領軍に対する不服従運動を指導したとして逮捕され、ドイツで抑留生活を送るが、戦後は国民の英雄と仰がれ、ガン大学学長などの要職についた。世界的名声を博したピレンヌ史学最大の魅力は、独創的新学説の提唱と、新学説に立脚する風格ある歴史の叙述とにある。『ベルギー史』全七巻(1900~32)では、新興の祖国ベルギーがゲルマン系のフラマン人とラテン系のワロン人で構成される複合国家でありながら、その国民的統一の源泉が中世にまでさかのぼることを解明しようとし、『中世都市』(1927)では、中世都市成立論を法制史偏重のドイツ学界の伝統から解放し、経済史的背景を重視する立場から、商人の活躍を中心に据えた新しい成立論を完成した。遺著『マホメットとシャルルマーニュ』(1937)では、古代から中世への転換の原因はゲルマン人の移動ではなく、イスラム勢力の地中海への進出であったとする新説を立証しようとした。[佐々木克巳]
『佐々木克巳著『歴史家アンリ・ピレンヌの生涯』(1981・創文社) ▽ピレンヌ著、増田四郎監修、中村宏・佐々木克巳訳『ヨーロッパ世界の誕生――マホメットとシャルルマーニュ』(1960・創文社) ▽ピレンヌ著、佐々木克巳訳『中世都市――社会経済史的試論』(1970・創文社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内のピレンヌの言及

【市】より

…ウィクwik∥vikと呼ばれる集落も交通の要衝にあり,同様な性格をもっていたと考えられる。 コハクの道からはずれたところにも小さな市がしばしば設定されていたが,そこには近隣の農民がわずかな鶏卵,羊毛などを取引するためにやってくるにすぎず,ピレンヌのいうように〈周囲の人々の家計の必要を満足させ……人間のもって生まれた社交的本能の満足に限られた〉ものであった。〈御料地での市場をうろつきまわること〉がカール大帝の御料地令(54条)で荘民に禁じられているが,これも市が遊びの場でもあったことを示している。…

【フランク王国】より

…またとくに南ガリアを中心に,古代以来の商品・貨幣経済がある程度残存していたことも否定できない。H.ピレンヌはこの点をとくに強調し,メロビング朝時代は経済的にみていまだ古代の延長であり,イスラムの地中海制覇による地中海貿易の途絶の結果,西ヨーロッパは自然経済に逆転し,カロリング朝時代から経済的な面での中世が始まるとする。彼はカール大帝による金貨から銀貨への幣制改革は,貨幣経済から自然経済への移行の象徴とみなす。…

【ローマ没落史観】より

…なお,この場合のローマとは通例いわゆる西ローマ帝国を指すが,没落原因論が多様であると同様,没落時期についても西ローマ帝国が消滅した476年という伝統的年代で一致しているわけではない。A.J.トインビーやウォールバンクF.W.Walbankのように,すでに前5世紀ギリシアのポリス世界に古代文明没落の徴をみる説から,7世紀中葉以後のアラブの進出まで古代地中海世界は存続していたと説くH.ピレンヌ説までさまざまである。
[古代]
 ローマ没落観は,すでにローマ興隆期から存在した。…

※「ピレンヌ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

ピレンヌの関連キーワードベルビエフルビエール大聖堂ベルギー国立管弦楽団ベルギーホワイトベルギービールエネルギーレベルエネルギー・レベルソスノビエツマース[川]ベルギー輓馬 (Belgian Draught)

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone