人間の生活は毎日毎日が同じような様相を呈している。今日は昨日の連続であり、明日は今日の連続である。しかし、それでも、小学校へ入学したとか、あるいは高等学校を卒業したとか、さらに結婚式をあげたなどをくぎりとすることができる。幼年期や青年期・老年期は生理的にいつからいつまでというぐあいにはっきりとはくぎれないが、こういう各種の行事によって人間の一生をくぎることは可能である。通過儀礼も、意識的に人生にくぎりを設定しようとするための社会による慣習である。個人は誕生したり死亡したりするが、人類の歴史は個々の人生や世代を包含しながら悠久に続いている。歴史も物理的時間としてはいつも同じようである。現在は過去の連続であり、未来は現在の延長である。しかし、長期的にみれば、歴史にはあるまとまった時間の幅で質的な変化がある。すなわち、量的には物理的時間は1000年前も今日も同様のものとしてとらえられるが、歴史の時間はその内容によって質的な違いをみいだしうる。イタリアの哲学者クローチェがいうように「歴史を考えることは歴史を時代区分することである」。歴史をそれぞれ質を異にする「時代」として区分することは歴史的認識の特徴となっている。
ヨーロッパにおいては一般に古代・中世・近代(近世)という3時代の区分が行われていた(古代・中世・近代の境をどこに置くかについてはさまざまな学説があるが)。これはもともとルネサンス期における歴史意識に由来する。古代が、復興されるべき理想的な文化を生み出した時代であるのに対して、近代は新しい時代であり、古代と近代との中間にある暗黒時代を中世としたのである。この三分法に前後の2時代を加えて、原始・古代・中世・近世・最近世の5時代に区分することを提唱したのはドイツの歴史家ブライジヒKurt Breisig(1866―1940)であり、この分け方が広く行われるに至った。ブライジヒの説の特徴は、諸民族は時間を異にしながらも、それぞれこの5段階を経過するとみたことである。似たような意味で、諸民族に共通する継起的な諸段階を設定する発展段階論が19世紀のドイツにおいてさまざまな形で提唱された。その場合、人間の経済生活の変化に着目する経済史的発展段階論が盛んであった。F・リストによる未開状態・牧畜状態・農業状態・農工状態・農工商状態という5段階区分や、K・ビュッヒャーによる封鎖的家内経済・都市経済・国民経済という3段階区分などが有名である。これに比べてより精密な区分として唱えられたのは、K・マルクスとF・エンゲルスの原始共産制・奴隷制・封建制・資本制という生産様式による区分である。これは原始時代・古代・中世・近代という区分にほぼ相応するといってよい。マルクスはこれを西ヨーロッパだけに限定されるとみていたが、マルクス以後のマルクス主義者は、これを世界史的な普遍的図式と受け取り、さらに社会主義を資本主義以後の段階としてこれに追加することが行われている。
日本の歴史については、王朝時代・武家時代といった支配層の交替による区分や、大和(やまと)時代・平安時代・鎌倉時代・室町時代・江戸時代といった政権の所在地による区分、さらに文学史では貴族文学・武士文学・平民文学という階層による分け方も行われた。ヨーロッパ史学の影響を受けて、福田徳三や内田銀蔵などによって日本史についても古代・中世・近代という三分法が採用された。このような区分が社会経済史学の進歩と唯物史観史学の発展と結び付き、現在では原始時代・古代・中世・近世・近代・現代という分け方が日本史学界における学説として有力である。このなかで、近世というのは江戸(徳川)時代をさす日本史独自の概念である。しかし奴隷制・封建制・資本制の開始期をどうみるかについて諸説がある。最近ではアメリカのロストウの経済成長を尺度とする5段階区分(伝統的社会・離陸のための準備期・離陸・成熟への前進・高度大衆消費社会)があり、その一部分は経済史家によって取り入れられている。あるいは近代と近代以前とに大別する考え方も現れている。
こうして時代区分にはさまざまな説があるが、一つの学説だけが正しいとみることはできない。時代区分というものは、あくまでも相対的なものである。古代ギリシア史でさえも、微視的にみれば、そのなかにまた古代・中世・近代という区分をすることができる。いまから数万年後の歴史家は、今日現代とよんでいるものを異なった時代に編入するであろう。時代区分というものも、あくまで今日の歴史学からする見方であり、しかも歴史の発展要因のどれに重きを置くかによる仮説である。
[斉藤 孝]
『林健太郎著『史学概論』新版(1970・有斐閣)』▽『斉藤孝著『歴史と歴史学』(1975・東京大学出版会)』
人間の営為の総体が時間の中で変化して今日に至った総過程を,幾つかの時代に分けてとらえることをいい,ある時代をさらに細分することは,しばしば〈時期区分〉と呼ばれる。歴史を時代に区分して理解することは,たんにそのほうが理解に便利だからという理由に基づくものではなく,歴史をどういうものと考え,その歴史の中で現代をどのような位置にあるものと考えるかということ,すなわち一定の時代区分を生み出す歴史観と価値観とに根ざしている。宗教的行事や観念が紀年法に現れる場合もあれば,主要生産用具の材料により石器時代,青銅器時代,鉄器時代などと時代区分することもあり,文字の使用以前を野蛮時代,文字の使用以降を文明時代と呼ぶこともある。さらにある時代の顕著なできごとや支配階級の名称や芸術の様式などによって,〈ルネサンス時代〉とか〈啓蒙思想の時代〉とか〈武士時代〉とか〈バロック時代〉などといった時代を設定する場合もある。しかし時代区分の区分原理が全歴史に適用されるのでなければ,時代区分としては恣意的といわなければならない。
便宜的な時代区分として今日もっとも広く使われているのは,古代・中世・現代(近代)という三時代区分であるようにみえる。それは16世紀ヨーロッパのルネサンス運動の中で,この運動の指導者たちが,これから出発すべき新しい時代を〈現代〉,これに改新の手段を与える模範とすべきギリシア・ローマの古典古代文明を生んだ時代を〈古代〉,その中間のキリスト教中心の時代を〈中世〉ととらえたことに由来する。なおこの区分は,ドイツの学者ケラリウスChristophus Cellarius(1638-1707)がその著作に用いてから一般化したとされる。それは,古代と現代(近代)を重視する一方,中世を過渡的で克服すべき時代とみるなど,ヨーロッパ市民階級の台頭過程における彼らの自己認識の表現として生み出されたものであったが,世界史の時代区分だけでなく,各民族史にも適用されうる便利なものであったため,その根底にある価値観を離れて,文明化したすべての民族の歴史の時代区分として使われるようになった。しかしこの時代区分は,古代・中世・現代(近代)の境界をどこにおくかについて意見の相違があり,そしてこの相違は再び何をもって時代区分の原理とするかに由来する。なお,この三時代区分を修正して,中世と現代(近代)の間に〈近世〉を入れる四時代区分も行われている。ただし各国史における時代区分はそれぞれ違う場合が多いので注意を要する。
一方,マルクスは近代資本制の本質を明らかにすることによって人間による人間の搾取なき社会の建設を革命の目標としたため,社会の全体的構造の変革を可能にする方法概念として〈経済的社会構成体〉(あるいはたんに〈社会構成〉)なる範疇をつくりあげた。そして人類の歴史を社会の経済構造を基礎とする社会構成の相次ぐ交替としてとらえ,原始共同体に後続する歴史時代の区分原理を,当該社会の社会構成によって規定される階級関係の質,搾取形態の質に求めた。マルクス死後のマルクス主義者の間で,階級社会の時代区分として,世界史の上に相次いで出現した奴隷制社会,封建社会=農奴制社会,資本制社会=自由な賃労働の社会を世界史上の古代・中世・現代(近代)と等置する考え方が主流となり,このような時代区分は原則としてすべて文化的民族の歴史にもあてはまると考えられるに至った。しかしこの場合も,年代的にいつからいつまでをそれらの時代とするかについてはさまざまな見解がある。そればかりではなく,マルクスの《経済学批判》序言に見える〈アジア的生産様式〉なる概念で表示される社会構成が実際には何を意味したかについては長い論争史がある。すなわち奴隷制社会のアジア的形態(古典古代の奴隷制社会よりも未熟な形態)と解する見解や,〈古典古代的〉,〈封建的〉,〈近代ブルジョア的〉生産諸様式と同列にある別個の独立的生産様式と解する見解などがあり,いまだに意見の一致がみられない。さらにこれらの発展段階が原則としてすべての民族が通過すべき諸段階であるとみる一系発展論と,巨視的にみると不可逆の前進的諸段階ではあるが,一定の条件のもと,とくに先進文明の影響下では,1段階または2段階をも飛び越えて発展することも可能であり,実際にそのような発展をとげた民族が多い,とみる多系発展論との対立も現存する。今日の世界の学界の大勢は,後者の見解を妥当とみなしつつあるようにみえる。
発展段階論は,マルクス主義のそれだけでなく,ランプレヒトやコントの独自の文化発展段階論の場合も,これまでの発展の中では現在をもっとも発展した段階とみている点で共通しており,そのような発展によって失われたものや破壊されたものもあることを無視している点で問題があるといえる。時代区分としての発展段階論は,発展の先端を基準としている点で,先進国論,先進地域論という価値観を基礎にしているといえるが,世界史の現実的な発展過程を冷静に観察すれば,発展段階や文明様相を異にする諸民族・諸国家・諸文明圏が現実的な関係をとり結んで歴史的世界を形成しているのが実相であり,その中で発展段階の移行も実現されてきたことがわかる。このような異質性の現実的出会いの場としての歴史的世界を複数設定することによって,世界史の時代区分はいっそう具体的な姿をとってくるにちがいないし,時代から時代への発展の必然性もいっそう明瞭にとらえられるはずである。民族史や国家史の時代区分はこうした世界史の時代区分の中に位置づけられてはじめて,その歴史的意義の理解が深められることとなる。
→歴史
執筆者:太田 秀通
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歴史の流れを一定の時代のまとまりによって区分し,現在に至るまでの歴史の発展のあり方を理解する尺度になるもので,歴史観の違いや目的のあり方によってこれまでさまざまな試論が展開されてきた。ヨーロッパでは近代資本主義に先行する二つの経済発展段階として奴隷制と封建制を設け,おのおのに古代,中世をあてはめる三時代区分法が一般に用いられてきた。これに対し,中国では朝代,すなわち漢代,唐代といった王朝によって時代の特徴が述べられることが伝統的に行われてきたが,唐と宋との間に大きな変化があるとして,宋以降を中世か近世とみるかの大論争があった。その決着をみないまま,現在では議論そのものが盛んでなくなっている。また日本では西洋の三時代区分法を基本にして,江戸時代を近世,明治維新以降を近代にする考え方が一般である。
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歴史を認識し,叙述するためには,なんらかの方式で時間の経過を区別し,統一性・完結性のある時代に区分しなければならない。日本史についてもさまざまな立場から時代区分の試みがなされている。最も普及しているのは政権の所在地による奈良・平安・鎌倉・南北朝・室町・戦国・安土桃山・江戸などの諸時代に区分する方法であり,さらに西欧の歴史学者による世界史の古代・中世・近代(近世)への3区分法の日本への適用と,その修正としての古代・中世・近世・近代の4分法もひろく用いられている。また美術史の分野での飛鳥・白鳳,あるいは藤原などの諸時代,文学史の分野での上古・中古・近古・近世などの時代区分も行われている。
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…18,19世紀にヨーロッパ社会は,産業革命によって大きな変質を遂げるのだが,その基本的な枠組みはすでに中世において生まれていたのである。【阿部 謹也】
【中世から近世へ――多様性の継承】
[時代区分上の近世]
ここで,近世ヨーロッパと呼ぶのは,おおよそ,16世紀の初めのいわゆるルネサンスと宗教改革の時代から18世紀末に至るまでの,約300年間のヨーロッパである。通常のヨーロッパ史の時代区分では,16世紀から第1次世界大戦までを一括して〈近代〉と呼ぶことが多い。…
※「時代区分」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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