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ピーターソン ピーターソン Peterson, Oscar

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ピーターソン
ピーターソン
Peterson, Oscar

[生]1925.8.15. モントリオール
[没]2007.12.23. ミシサーガ
カナダジャズピアニストフルネーム Oscar Emmanuel Peterson。6歳よりピアノを習い,10代後半にジャズ演奏を始め,1949年ジャズ・プロモーターのノーマン・グランツ率いる楽団の一員として,ニューヨークカーネギー・ホールで行なわれた Jazz at the Philharmonic(JATPコンサートに参加,注目を集めた。

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百科事典マイペディアの解説

ピーターソン

アメリカのジャズピアニスト。カナダのモントリオール出身。列車のポーターをしながらピアノを弾いていた父親の影響により,幼少からピアノを習い,10代でショーラジオに出演したという。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ピーターソン
ぴーたーそん
Oscar Peterson
(1925―2007)

カナダ生まれのジャズ・ピアノ奏者。モントリオールに生まれる。両親は西インド諸島の出身で、父親は音楽の素養があり、ピーターソンは幼児期より音楽に親しむ環境にあった。はじめトランペットを習うが7歳のとき肺結核を患(わずら)い、それ以後ピアノに専念する。10代で本格的にクラシック・ピアノを習得、高校に入るとファッツ・ウォーラーFats Waller(1904―1943)、アート・テータム、デューク・エリントンといったジャズ・ピアニストの音楽に触れる。1942年クラブでの演奏が認められラジオに出演し、ジョニー・ホームズ・バンドのピアニストに採用される。1945年カナダRCAと契約し、ピアノ・トリオによる初レコーディングを行う。このころから彼の名前はアメリカ・ジャズ界でも知られるようになる。
 1949年、ジャム・セッション・スタイルによるジャズ公演「ジャズ・アット・ザ・フィルハーモニック」Jazz at the Philharmonic(J. A. T. P. )のプロデューサーであり、後に「バーブ」と名称を変えるクレフ/ノーグラン・レコードのオーナー・プロデューサーでもあるノーマン・グランツNorman Granz(1918―2001)がカナダを訪れた際、たまたまラジオでピーターソンの演奏を聴き、アメリカ・デビューを誘う。同年J. A. T. P. のゲスト・ピアニストとしてカーネギー・ホールで演奏し、アメリカでの評価を高める。これ以降、グランツは、大物ジャズマンとの共演を含む大量の連続レコーディングをピーターソンのために行い、彼のアメリカでの人気を不動のものとする。1951年ギター奏者バーニー・ケッセルBarney Kessel(1923―2004)、ベース奏者レイ・ブラウンRay Brown(1926―2002)をサイドマンとするトリオを結成する。このギター入りピアノ・トリオは少し古いタイプに属し、1940年代なかばに起こったビ・バップ以降は、ピアノ、ベース、ドラムがピアノ・トリオの標準的編成となった。ピーターソンは1958年までこのいささか古めかしいフォーマットを維持するが、ギター奏者は1953年以降ハーブ・エリスHerb Ellis(1921―2010)にかわる。1959年ギタリストにかわってドラム奏者エド・シグペンEd Thigpen(1930―2010)が加わり、ようやく「モダン・ピアノ・トリオ」の定型フォーマットを踏襲すると同時に、またたく間にきわめて緊密なチームワークを形成し、「ザ・トリオ」と賞賛されるまでになる。このブラウン、シグペンを率いた「ザ・トリオ」は1965年まで続くが、以後サイドマンは流動的となる。
 1964年それまで独占的に録音を続けたバーブ・レコードを離れ、マーキュリー、ライムライトといったレーベルにも録音を行うが、とりわけドイツのレーベル、MPSにおけるレコーディングは、優秀な録音技術によりピーターソンのイメージを一新する。1972年、しばらくレコード業界から離れていたグランツがふたたびジャズ・レーベル「パブロ」を発足させ、それに伴いピーターソンもパブロを活動の中心にする。1987年グランツはパブロを売却、ピーターソンはフリーとなり、1990年テラーク・レーベルと契約する。
 代表作は初期の『オスカー・ピーターソン・クァルテット』(1952)、エリスの参加した『オスカー・ピーターソン・プレイズ・カウント・ベイシー』(1955)、シグペンの加わった『ザ・トリオ』(1961)、『プリーズ・リクエスト』(1964)、MPS時代の代表作『ガール・トーク』(1967)、エリスとの再会セッション『ハロー・ハービー』(1969)など。彼のピアノ奏法は両手を自在に使った技巧的かつ華麗なもので、右手のラインが強調されがちな「ビ・バップ・ピアノ」の系譜とはいささか趣(おもむき)を異にしている。これはスウィング期の巨人テータムの流れをくむもので、ピアノという楽器の機能を十全に生かした奏法ともいえる。それゆえに、ビ・バップ、ハード・バップ、モードといったジャズ・シーン主流の変遷とは少し距離をとった立場から、長期にわたって一般的人気を維持することができた。[後藤雅洋]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
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