コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ファイサル ファイサル Faisal, ibn Abdel Aziz ibn Abdul-Rahman al Faisal al Saud

6件 の用語解説(ファイサルの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ファイサル
ファイサル
Faisal, ibn Abdel Aziz ibn Abdul-Rahman al Faisal al Saud

[生]1905/1906. リヤード
[没]1975.3.25. リヤード
サウジアラビア国王 (在位 1964~75) 。初代イブン・サウード国王の息子で,2代目サウード国王の弟。 1926年ヒジャーズ太守,30年外相,45年国連サウジアラビア代表,のち国連大使をつとめ,53年兄の即位後皇太子となり,54年首相兼外相に就任。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

ファイサル(Fayṣal ibn ‘Abd al-‘Azīz)

[1906~1975]サウジアラビア第3代国王。在位1964~1975。イブン=サウードの子。国家の近代化を推進。イスラム同盟の結成を提唱。甥(おい)に暗殺された。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

ファイサル

サウジアラビアの国王。在位1964年−1975年。王国の建設者アブド・アルアジーズ・ブン・サウードの第3子としてリヤドに生まれた。1927年ヒジャーズ知事,1928年ウラマーイスラムの学者・宗教指導者)会議議長,1930年外務大臣を務める。
→関連項目サウジアラビアファハド

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

ファイサル【Fayṣal b.‘Abd al‐‘Azīz】

1906‐75
サウジアラビア国王。在位1964‐75年。王国の建設者アブド・アルアジーズ・ブン・サウードの第3子。1927年ヒジャーズ知事,28年ウラマー会議議長,対外交渉も担当した。53年父の死とともに兄のサウードが即位すると,次期王位継承者に指名され,副首相兼外相となった。サウード王との対立が深刻化するなかで,王族の信を集め62年王の政務代行,64年ウラマー会議の決議を得てサウードを退位させ即位した。財政再建に努め,保守勢力の抵抗を排して教育・通信・運輸の近代化を推進した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

ファイサル【Faysal ibn‘Abd al-‘Azīz】

1906~1975) サウジアラビア国王(在位1964~1975)。国家の近代化と財政再建を指導、親米外交を展開。イスラム諸国の連帯を主張、第四次中東戦争では石油戦略を主導。甥により暗殺された。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ファイサル
ふぁいさる
Fayal bn.‘Abd al-‘Azz
(1905―1975)

サウジアラビアの第3代国王(在位1964~1975)。初代国王アブドゥル・アジズ(イブン・サウド)の息子。第2代サウド王の実弟。幼少時から父の統一国家建設事業に参加する。1927年ヒジャーズ州副王に就任する。1928年父王の対外関係業務の処理を行う事実上の外相となる。1953年父王の死により兄サウドが国王に即位すると、次期王位継承者に指名され、副首相兼外相に就任した。1950年代末サウド王の失政によってもたらされた財政危機を再建する過程で政治上の実権を掌握し、1964年11月兄王にかわって第3代国王に即位した。その後、イスラム国家としての近代化を図るとともに親米・反共路線を推進した。対アラブ政策では穏健派の主導権確立を図り、1967年の第三次中東戦争後は親米型の「カイロリヤド枢軸」を成立させた。1973年の第四次中東戦争では石油戦略を主導し、アラブの団結を図ろうと試みた。1975年3月25日、甥(おい)の凶弾に倒れた。[木村喜博]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内のファイサルの言及

【サウジアラビア】より

…しかし,スエズ運河閉鎖による石油収入激減に対応できず,サウードは57年訪米して,石油開発で協力関係にあるアメリカから財政援助を受けるにおよんで,しだいにナーセル主義主導のエジプトから離反した。財政悪化を含め,統治・管理能力の欠如を暴露したサウードは,王族集団の信を失い,58年ファイサル皇太子を首相として大幅な権限を委譲した。サウードが旧体制を代表したのに対し,改革推進派のファイサルは国際通貨基金(IMF)の勧告に基づいて財政改革を断行,対エジプト関係も修復したが,サウードとの関係が悪化したため,またもサウード親政が復活した。…

【パン・イスラム主義】より

…ナーセル政権下のエジプトでは,ムスリム同胞団を禁圧しつつも,アズハル大学を通じて世界のイスラム教徒への働きかけがなされた。61年マレーシアのアブドゥル・ラーマンはイスラム諸国連盟を提唱し,66年サウジアラビアのファイサル国王はヨルダン,イラン,チュニジアなどと結んでイスラム同盟の結成を呼びかけた。後者のパン・イスラム主義は,69年イスラム諸国会議(1997年現在,参加国はPLOを含め55)として実現された。…

※「ファイサル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

ファイサルの関連キーワードアラビア数字アラビア糊アラビアンライトイブンサウードマディーナキングファハドコーズウエージザンアラビア石油[株]アブド・アッラフマーン(サウジアラビア)サウジアラビア王国

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone

ファイサルの関連情報