ファイサル(英語表記)Faisal, ibn Abdel Aziz ibn Abdul-Rahman al Faisal al Saud

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ファイサル
Faisal, ibn Abdel Aziz ibn Abdul-Rahman al Faisal al Saud

[生]1905/1906. リヤード
[没]1975.3.25. リヤード
サウジアラビア国王 (在位 1964~75) 。初代イブン・サウード国王の息子で,2代目サウード国王の弟。 1926年ヒジャーズ太守,30年外相,45年国連サウジアラビア代表,のち国連大使をつとめ,53年兄の即位後皇太子となり,54年首相兼外相に就任。 58年実権を譲られ,強力な経済政策を進めて国家を危機から救ったが,サウード国王との関係が悪化,60年 12月辞任した。 62年 11月首相兼外相に再任され,経済,社会,行政改革,奴隷制の廃止などを推進,64年 11月国王となったが,75年甥の王子によって暗殺された。

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百科事典マイペディアの解説

ファイサル

サウジアラビアの国王。在位1964年−1975年。王国の建設者アブド・アルアジーズ・ブン・サウードの第3子としてリヤドに生まれた。1927年ヒジャーズ知事,1928年ウラマー(イスラムの学者・宗教指導者)会議議長,1930年外務大臣を務める。1953年父王の死で異母兄のサウードが即位すると,次期王位継承者となり,副首相兼外相に任命された。経済情勢が悪化する中,サウード王との対立が表面化し,1964年ウラマー会議の決議によりサウードが退位,ファイサルが王位につく。財政の再建,教育・通信・運輸の近代化に努め,外交では親米路線をとった。1962年のイエメン内戦で王政派についたサウジアラビアは,共和派を支援するエジプトと対立関係にあったが,1966年にファイサルがイスラム同盟の結成を提唱すると,両国関係はさらに悪化した。しかし1967年の第3次中東戦争の勃発により対立を解消,対イスラエル戦で一致団結した。1969年,ファイサルは第1回イスラム諸国首脳会議をモロッコで開催,イスラム世界の盟主の立場を鮮明にし,1973年第4次中東戦争が起きると,アラブ産油国をリードして生産削減や輸出禁止などで石油価格を引き上げ,石油危機をもたらしたほか,西側諸国に衝撃を与えた。ファイサル治下で今日のサウジアラビアの基礎が固まったが,1975年,リヤドの宮廷で甥に暗殺された。
→関連項目サウジアラビアファハド

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世界大百科事典 第2版の解説

ファイサル【Fayṣal b.‘Abd al‐‘Azīz】

1906‐75
サウジアラビア国王。在位1964‐75年。王国の建設者アブド・アルアジーズ・ブン・サウードの第3子。1927年ヒジャーズ知事,28年ウラマー会議議長,対外交渉も担当した。53年父の死とともに兄のサウードが即位すると,次期王位継承者に指名され,副首相兼外相となった。サウード王との対立が深刻化するなかで,王族の信を集め62年王の政務代行,64年ウラマー会議の決議を得てサウードを退位させ即位した。財政再建に努め,保守勢力の抵抗を排して教育・通信・運輸の近代化を推進した。

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大辞林 第三版の解説

ファイサル【Faysal ibn‘Abd al-‘Azīz】

1906~1975) サウジアラビア国王(在位1964~1975)。国家の近代化と財政再建を指導、親米外交を展開。イスラム諸国の連帯を主張、第四次中東戦争では石油戦略を主導。甥により暗殺された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ファイサル
ふぁいさる
Fayal bn.‘Abd al-‘Azz
(1905―1975)

サウジアラビアの第3代国王(在位1964~1975)。初代国王アブドゥル・アジズ(イブン・サウド)の息子。第2代サウド王の実弟。幼少時から父の統一国家建設事業に参加する。1927年ヒジャーズ州副王に就任する。1928年父王の対外関係業務の処理を行う事実上の外相となる。1953年父王の死により兄サウドが国王に即位すると、次期王位継承者に指名され、副首相兼外相に就任した。1950年代末サウド王の失政によってもたらされた財政危機を再建する過程で政治上の実権を掌握し、1964年11月兄王にかわって第3代国王に即位した。その後、イスラム国家としての近代化を図るとともに親米・反共路線を推進した。対アラブ政策では穏健派の主導権確立を図り、1967年の第三次中東戦争後は親米型の「カイロ・リヤド枢軸」を成立させた。1973年の第四次中東戦争では石油戦略を主導し、アラブの団結を図ろうと試みた。1975年3月25日、甥(おい)の凶弾に倒れた。[木村喜博]

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世界大百科事典内のファイサルの言及

【サウジアラビア】より

…しかし,スエズ運河閉鎖による石油収入激減に対応できず,サウードは57年訪米して,石油開発で協力関係にあるアメリカから財政援助を受けるにおよんで,しだいにナーセル主義主導のエジプトから離反した。財政悪化を含め,統治・管理能力の欠如を暴露したサウードは,王族集団の信を失い,58年ファイサル皇太子を首相として大幅な権限を委譲した。サウードが旧体制を代表したのに対し,改革推進派のファイサルは国際通貨基金(IMF)の勧告に基づいて財政改革を断行,対エジプト関係も修復したが,サウードとの関係が悪化したため,またもサウード親政が復活した。…

【パン・イスラム主義】より

…ナーセル政権下のエジプトでは,ムスリム同胞団を禁圧しつつも,アズハル大学を通じて世界のイスラム教徒への働きかけがなされた。61年マレーシアのアブドゥル・ラーマンはイスラム諸国連盟を提唱し,66年サウジアラビアのファイサル国王はヨルダン,イラン,チュニジアなどと結んでイスラム同盟の結成を呼びかけた。後者のパン・イスラム主義は,69年イスラム諸国会議(1997年現在,参加国はPLOを含め55)として実現された。…

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