ファン・ボイ・チャウ(読み)ファンボイチャウ

百科事典マイペディア 「ファン・ボイ・チャウ」の意味・わかりやすい解説

ファン・ボイ・チャウ

ベトナムの近代民族運動指導者。漢字表記は潘佩珠。1904年,フランスの植民地支配に対しグエン(阮)朝皇族のクオンデを盟主とする維新会を結成し抵抗運動を開始。また人材育成のため青年を日本に留学させるドンズー(東遊)運動を組織,自らも渡日するが,日仏協約を結んだ日本政府により日本を追われ,辛亥革命が成功した中国・広東に渡る。1912年越南光復会を組織し反仏武装蜂起を計画したが決起は散発的なものに終わり,第1次世界大戦でフランスが戦勝国となるに及んで反仏武装抵抗路線は行き詰まった。1925年上海でフランス官憲により逮捕,フエ軟禁生活を送る。チャウの逮捕・拘束に際し釈放を求める学生運動がベトナムで高揚し,後の共産党幹部など独立運動を支える人材を輩出した。《ベトナム亡国史》ほかの著作がある。
→関連項目光復会

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ファン・ボイ・チャウ」の意味・わかりやすい解説

ファン・ボイ・チャウ
Phan Bôi Châu

[生]1861. サイゴン
[没]1940.10.29. ユエ
ベトナム独立運動の志士。漢字では潘佩珠。ベトナムのフランス支配からの独立を念願し,1903年に越南光復会をつくって反仏行動を起したが,失敗して日本に亡命した。日本の近代化に着目した彼は,07年に多くのベトナム留学生を日本に送る東遊運動を始めたが,フランスの妨害により失敗した。その後彼は上海で捕えられてベトナムに送還され,死刑の判決を受けたが許され,晩年は政治活動から遠ざかった。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ファン・ボイ・チャウ」の解説

ファン・ボイ・チャウ
Phan Boi Chau

1867~1940

西欧近代思想の影響を受けたベトナムの儒教知識人で,反仏武装抵抗による独立を追求。1904年維新会を結成,05年日本に渡りドンズー運動を組織。日本追放後は,12年ベトナム光復会を結成。25年フランスに逮捕され,死ぬまでフエに軟禁。

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