ファーラービー
ふぁーらーびー
al-Fārābī
(870ころ―950)
アラブの哲学者。中央アジアのファーラーブ近郊に生まれる。トルコ系の人といわれている。幼年時代にバグダードに出て医学、哲学などを学ぶ。イスラム哲学史上、アリストテレスに次ぐ大学者とみなされ、「第二の師」という尊称を冠せられている。彼の在世中に十二イマーム派(シーア派のなかの一派)の活動が盛んになり、彼もこの運動となんらかのかかわりがあったと考えられている。シリアのアレッポの太守で十二イマーム派の信者サイフ・アッダウラSayf al-Dawla(916―967)の厚遇を一時期得たが、ファーラービーは質朴清貧を好み、1日に銀貨4枚の俸給しか受け取らなかったという。晩年はダマスカスに住み、そこで生涯を終えた。
彼の著作はきわめて多岐にわたるが、なかでもアリストテレスの論理学、自然学、倫理学などについて優れた注釈を書いている。イスラム哲学史上最初の体系的思想家として、流出論的世界観に基づく形而上(けいじじょう)学を樹立している。世界を第一者である神の段階的流出現象とみて、人間理性はこの流出過程を下位から上位に向け認識を高めることで発達していくと考える。こうした世界観に基づいて独自の理想国家論を展開している。すなわち、国家の指導者はこのような認識方法により理性が最高に発達した人物がなるべきで、そういう人物の指導の下に理性の発達段階に応じ、人物が適材適所に配置され秩序ある社会が実現されるべきだと考えた。主著として『理想国家論』などがある。
[松本耿郎 2016年10月19日]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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ファーラービー
al-Fārābī
生没年:870ころ-950
アラブの哲学者。ラテン名アルファラビウスAlpharabius。中央アジアのファーラーブ地方のワシージュに生まれたトルコ系のアラブ人。ブハラで音楽を学び,メルブでネストリウス派のキリスト教徒ユーハンナー・ブン・ハイラーンについて論理学を修め,さらにバグダードで哲学・数学・科学を研究した。ハムダーン朝の君主サイフ・アッダウラの下で活躍した後,ダマスクスで没。彼はイスラム世界ではアリストテレスに次いで〈第二の師〉と呼ばれた。アリストテレスの論理学,形而上学,自然学,気象学などの注釈を書き,プラトンとアリストテレスを新プラトン主義的立場で統合しようとして,ギリシア哲学のイスラム化に大きく貢献した。熱心なスーフィーでもあったが,従来彼に帰せられていた哲学的著作《叡知の宝石》は,最近の研究では彼のものではないとされている。主要著作にプラトンの《国家》に影響されてユニークな社会哲学を展開した《理想国家論》や《音楽の書》などがある。
執筆者:伊東 俊太郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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ファーラービー
al-Fārābī, Muḥammad ibn Muḥammad ibn Tarkhān Abū Naṣr
[生]872頃.トルキスタン
[没]950頃.ダマスカス近郊
中央アジア生まれのイスラム哲学者。ラテン名アルファラビウス Alfarabius。ホラーサーンとバグダードで哲学,医学,数学を学び,晩年をアレッポのサイフッ・ダウラの宮廷でおくった。アリストテレス,新プラトン主義の影響を受け,人間の霊魂における理性を受動理性,現実理性,獲得理性に分類,さらにアリストテレスのいう第1原因 (神) と人間理性との間を仲介する形而上的存在としての能動理性の概念を導入し,真理は能動理性から哲学者の受動理性へと伝えられるが,啓示は想像力の働きであり,理性の補助にすぎないとして,哲学を宗教より上位においた。アリストテレスの『範疇論』など多くの哲学書にアラビア語による注釈を施す一方,哲学,天文学,数学,医学,錬金術,音楽など多方面にわたって多くの著書を残した。主著『理想国家論』『学問の分類』『知性論』『音楽大全』。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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ファーラービー
al-Fārābī
870~950
トルコ系ムスリムの哲学者。ラテン名はアルファラビウス。新プラトン派の影響のもとに,アリストテレスの哲学を研究し,ほかに政治理論,数学,光学,音楽理論に関する著書がある。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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「ファーラービー」の意味・わかりやすい解説
ファーラービー
アラブの哲学者。ラテン名アルファラビウスAlpharabius。アリストテレスの注釈を行い,イスラム世界ではアリストテレスに次ぐ〈第二の師〉と称される。ギリシア哲学のイスラム化に多大の貢献をし,プラトンの《国家》をとり入れたユニークな社会哲学の書《理想国家論》を著した。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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世界大百科事典(旧版)内のファーラービーの言及
【イスラム哲学】より
…イスラム哲学は,コーランを真理の唯一の根拠となすイスラム神学・法学と緊張関係をもちつつ発展していく。キンディーに次いで[ファーラービー]が現れた。彼はイスラム哲学における存在論の開拓者である。…
【ウード】より
…以後ウードは改良を加えられながら,音楽理論や音組織を論じるさいにとり上げられるようになった。音楽学者[ファーラービー]はじめ音楽家,理論家たちは著書の中で,音組織の実験の土台としてウードをもちいている。なお,ウードは十字軍とともに,またスペインを経て中世ヨーロッパに入り,[リュート]の祖となった。…
【光の形而上学】より
… アウグスティヌスは,知的光たる神が真理の必然性と永遠性を人間精神に開示するとの[照明説]を唱え,偽ディオニュシウスは,感覚的な光は神的な光の内在と超越を象徴するものとみなし,万物が〈光の父〉なる神から発出・放射し,還帰することを説き,キリスト教的象徴主義の一大源泉となった。一方アラビアでは,アリストテレスにつぐ第二の師と尊称されたファーラービーにより,宇宙の階層的構造形成に関して英知体とその発出の理論が展開され,イブン・シーナーに継承された。また東方イスラムでは〈照明学派の長老〉スフラワルディーが新プラトン主義を古代ペルシアのゾロアスター教神智学と融合させ,全宇宙の現象を本源的な〈光の光nūr al‐anwār〉の階層的発出とみなす説を唱えて東方神智学を完成させた。…
※「ファーラービー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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