ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
アメリカ合衆国憲法草案の賛成者たちの自称。連邦派ともいう。独立革命後の新国家体制を規定した憲法草案に対して、賛成者と、主権をもつ諸邦の連合を主張した反対者との間で論争がおこり、憲法は13邦中9邦の批准で発効することになっていたため、各邦の批准会議で賛成者のフェデラリストと反対者の反連邦派との間で激論が交わされた。賛成者側はハミルトン、ジェイ、マディソン共著『ザ・フェデラリスト』の刊行などによる宣伝に努め、憲法は発効し(1788)、2代にわたってフェデラリスト中心の政権が続いた。フェデラリストは、ワシントン政権の財務長官ハミルトンなどを指導者とし主として商工業的利益を代表し、反連邦派は、同じく国務長官ジェファソンを中心に農業的利益を代表して相争い、この2派がアメリカ最初の政党となった。とくにハミルトンの財政・金融政策は新国家の基礎を確立したものとして有名。フェデラリストは、第2代大統領としてジョン・アダムズを当選させたが、その後リパブリカン(反連邦派の自称)に敗れ、1816年の大統領選挙に候補者を立てたのを最後に消滅した。のちに同党の支持層は全国共和党National Republicanと合流してホイッグ党Whig Partyを結成し、これが現在の共和党Republican Partyの源流となった。
[島川雅史]
『藤本一美著『アメリカ近代政党の形成』(1981・御茶の水書房)』▽『ハミルトン、ジェイ、マディソン著、斉藤真訳「ザ・フェデラリスト」(『世界の名著 33』所収・1970・中央公論社)』
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…独立革命中はワシントンの副官として活躍,戦後はニューヨークで弁護士を務めた。強力な中央政府確立の必要を主張し,合衆国憲法の制定運動に尽力,その批准の際にはJ.マディソン,J.ジェーの協力を得て,アメリカ政治思想史上著名な《フェデラリスト》(1787‐88)を著して憲法を擁護した。89‐95年ワシントン政権の初代財務長官を務め,《公信用に関する報告書》《国立銀行に関する報告書》(ともに1790)などを連邦議会に提出,戦時公債全額を額面どおり連邦政府公債に借り換え,第一合衆国銀行を創設し,蒸留酒消費税(これに反対してウィスキー一揆が起こる)などの新税制を整備し,貨幣法を制定するなど,財政金融上の重要な政策をやつぎばやに遂行して,公信用ならびに連邦政府の財政的基盤を短時日に確立した。…
※「フェデラリスト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
《「ノブレスオブリージュ」とも》身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会における基本的な道徳観。もとはフランスのことわざで「貴族たるもの、身分にふさわしい振る舞...
12/21 デジタル大辞泉プラスを更新
12/21 デジタル大辞泉を更新
12/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/28 デジタル大辞泉を更新
10/28 デジタル大辞泉プラスを更新
10/27 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新