アメリカの政治家。ニューヨーク植民地の最有力家系の出身。キングズ・カレッジ卒業後ニューヨークで弁護士となり,第1・2回大陸会議ではニューヨーク代表として独立急進派に反対したが,ニューヨーク革命議会では独立宣言の支持とニューヨーク邦憲法制定に活躍し,1777-79年同邦最高裁判所長官。独立戦争の資金援助を得るため79年スペインに派遣されたが成功せず,82年パリでフランクリンと協力して対英講和条約の締結に成功した。84年に帰国するや連合会議より外務長官に任命され,90年に連邦政府国務長官ジェファソンと交代するまで在任。合衆国憲法批准論争時にはハミルトン,マディソンと共同で《フェデラリスト》を執筆し,強力な連邦政府の必要を唱えた。初代連邦最高裁判所長官(1789-95)として,1793年のチザム対ジョージア事件で,1州の市民が他州を訴える権利を認める判決を下したが,諸州はこれに反発し,95年憲法第11修正を成立させてこの立場を否定した。94年イギリスとの戦争回避のためジェー条約を締結し,1795-1801年にはニューヨーク知事に選ばれた。
執筆者:武則 忠見
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…1787年起草の連邦憲法案に対しては各州の憲法批准会議でかなりの反対が予想されていた。A.ハミルトン,J.ジェー,J.マディソンらの憲法案支持派は,そうした状況の中でいち早くみずからを〈フェデラリスツ〉と称して,従来の連合規約との継承性を装った。結局,憲法反対派はアンチ・フェデラリスツという消極的表現をとらざるをえず,各州の憲法会議で激しく争ったが敗れ,連邦憲法案は発効した(1788)。…
※「ジェー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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