フィリピンの政治家。ルソン島中西部のサンバレス州イバの生れ。少年時代,機械工として父親の店で働いたが,その後マニラのホセ・リサール・カレッジ商学部を卒業した。マニラの運輸会社に入って頭角を現し,サンバレス支店の責任者に任ぜられた。1941年の日本軍のフィリピン侵攻とともにサンバレス・ゲリラ隊を結成し,抗日戦に従事した。戦争末期の45年解放軍により軍政下で同州知事に任命された。戦後の46年にリベラル党のサンバレス州選出下院議員となり,国防委員会議長などを務めた。49年以降フィリピンはフクバラハップによる内戦に直面し,未曾有の政治危機に遭遇した。マグサイサイは50年国防長官に任命されてフクバラハップ討伐の最高責任者となり,アメリカの経済的・軍事的援助の下に鎮圧に成功した。この功績により53年の大統領選でナショナリスタ党の候補となり,キリーノ大統領に圧勝,共和国第3代大統領に就任した。在任中,フクバラハップ騒乱の背景には土地問題があるとして,55年土地改革法を制定した。57年3月,セブ島において飛行機事故で死亡した。その率直かつ行動的な性格により大衆の政治家と評されてきた。
執筆者:滝川 勉
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フィリピンの政治家。ルソン島中西部サンバレス州生まれ。1931年フィリピン大学、1933年ホセ・リサール・カレッジを卒業。第二次世界大戦中抗日ゲリラ指導者として活躍。1946年リベラル党から下院議員に当選。1950年キリノ政権下で国防長官に就任、フクバラハップ反乱鎮圧を指揮。1953年ナショナリスタ党に転じ、キリノを破って大統領に就任(1954年まで国防長官を兼務)。アメリカの積極支援のもとに「上からの土地改革」や投降ゲリラのミンダナオ入植構想を推進、フクバラハップ指導者タルクの投降を実現した。1957年3月17日再選運動中に飛行機事故で急死、副大統領・外相のガルシアが後を襲った。
[黒柳米司]
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1907~57
フィリピンの大統領(在任1953~57)。1950年国防長官となり,共産系のフクバラハップの鎮圧に功あり,53年大統領に当選した。国民的人気のもとに土地改革以下の刷新政治を行った。
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