日本大百科全書(ニッポニカ) 「ネッケル」の意味・わかりやすい解説
ネッケル
ねっける
Jacques Necker
(1732―1804)
フランスの財政家、政治家。ジュネーブ近郊のコッペの生まれ。イギリス系プロテスタントの家系に属し、父は法学教授。1747年パリに出て銀行員となる。1763年「チュルソン・ネッケル銀行」を設立、2年後には両インド会社理事として腕を振るい、1773年パリ・アカデミー懸賞論文「コルベール賛辞」が入賞。チュルゴーの穀物取引自由化策に反対の立場で、宮廷の一部勢力の支持を受けて1776年国庫局長、翌1777年財務長官に登用された。外国銀行からの借入金や、官職の削減、冗費の節約によって国庫収支の改善を図った。地方三部会をもたない地域で議会の導入を試み、租税の合理的配分や公共土木事業を自主的に計画させた。
1781年、宮廷貴族の年金などを財政報告で公表したため免職となったが、1787年、第一次名士会を前にカロンヌと財政をめぐり論戦したのち、1788年8月、財務長官に復職。第二次名士会に全国三部会の招集方式を諮問し、国務顧問会議で第三身分議員の倍増を認めさせた。三身分の合同討議には消極的であったが、1789年6月の国民議会成立のときはこれを追認した。その後、事態の責任をルイ16世王妃やアルトア伯から追及され7月11日罷免。これは民衆を憤激させ、このためバスチーユ占拠事件が起こった。復職後、立憲体制は受け入れたが、党派に属さず、アッシニャ紙幣の発行や国庫の管理をめぐって立憲議会と対立。1790年9月に最終的に辞職し、コッペに引退。『財政論』や『フランス革命論』などの著作活動で余生を送った。
なお、ロマン派の評論家・小説家として有名なスタール夫人は彼の娘である。
[岡本 明]