アンラジェ(その他表記)Enragés

改訂新版 世界大百科事典 「アンラジェ」の意味・わかりやすい解説

アンラジェ
Enragés

フランス革命がもっとも急進化した1792-93年に,ジロンド派追放や統制経済,買占人や反革命容疑者の弾圧を要求してサン・キュロット運動を組織した革命運動の指導者たち。原義は〈激昂する者〉。通常はパリのルー,バルレJean-François Varlet,ルクレールJean-Théophile-Victor Leclerc,女性活動家のレオンPauline LéonとラコンブClaire (Rose) Lacombeのことを指すが,オルレアンのタブーローFrançois-Pierre Taboureau de Montignyや,リヨンのシャリエMarie-Joseph Chalier,さらにエタンプ村の司祭ドリビエもアンラジェと考えられる。彼らの特徴は,民衆の日常生活における不満や希望を代弁して政治スローガン化し,それを議会や政府につきつけたことにある。思想的には,所有権に対する生存権の優位性,富裕者に対する社会戦争により社会的民主主義を実現することを主張し,人民主権に基づく国家を構想した。その結果,ジャコバン派をも批判したので,93年のジャコバン独裁成立後,弾圧された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アンラジェ」の意味・わかりやすい解説

アンラジェ
あんらじぇ
Enragés

フランス革命下の過激派。語の意味は「いきりたつ人」で、階級意識に燃えた新左翼。主要なメンバーには、もと司祭で、パリ自治市会に属するジャック・ルーJacques Roux(1752ころ―1794)、郵便局員で街頭の演説家で知られるジャン・バルレJean Varlet(1765ころ―?)、リヨン出のルクレールと彼の愛人のローズ・ラコンブ、スペイン人グスマンらが数えられる。1792年秋から1793年2月にかけて、各地の生活闘争を指導した急進派により結党された。商品の公定価格の制定、穀類の買占めと退蔵への厳罰、義勇兵家族と貧民の救済など、社会的、経済的な綱領を掲げて、パリの先鋭的な小市民、サン・キュロット層に食い込み、エベール派とパリ市の末端の組織であるセクシオン(区会)やクラブの指導権を競いあった。両派はしばしば混同され、共通に破壊分子とかアナキストとよばれるが、エベール派がジャコバン左翼にくみして議会政治を肯定するのに対し、アンラジェは人民による直接民主主義の樹立標榜(ひょうぼう)し、エベール派が恐怖政治を指向するのに対し、アンラジェはテロリズム(断頭台主義)を断固拒否する。彼らは反ジロンド派闘争では、ジャコバン党と協調したが、引き続き全金融族の逮捕や、悪徳議員の除名、汚職官吏の処罰、10万人の悪党の追放、ブルジョア財産の没収など、過激な論陣を張り続けたため、しだいに孤立を深め、公安委員会から危険視され、たび重なる弾圧を被った。1794年2月、首領格のルーは死刑の宣告を受け、獄中で自殺した。

[金澤 誠]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アンラジェ」の意味・わかりやすい解説

アンラジェ
Enragés

1793年フランス革命の最も過激な一派に与えられた名称。ルー,ルクレール,バレールらを指導者として,食糧難,物価高によって生活が悪化したとき,「最高価格法」の実施を要求してしばしば暴動を起したが,公安委員会によって抑圧された。

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