綱を左右二手に分かれて引き合い,力を競う競技。運動と用具が手軽なこともあって未開社会と伝統的社会に広く行われる。狩猟民ではエスキモーが天候占いに,アイヌが熊祭の一部に,カムチャツカ半島のイテリメン族(カムチャダール族)が季節の交代を確かならしめるために綱を引き合う。しかしより発達しているのは農耕民である。それも東アジアと東南アジアの水稲耕作民にとくに濃密に分布し,インド,北アフリカ,ヨーロッパの穀物栽培地帯に点在し,アジアから押し出された形でオセアニアのイモ類栽培民に散在する。世界の綱引きの中心ともいえる穀物栽培民の綱引きは,多くの所で,新年,つまり農耕季の開始にあたって天父が地母を精液なる雨ではらませ,そのことによってその年の豊穣を確かなものとする古代文明に固有の天父地母聖婚観念に基礎づけられた農耕儀礼となっている。すなわち新年に豊穣を祈って男女が対抗して綱を引く(性交を象徴した競争的共同作業)という形をとる。豊穣,新年,性の基本要素のうえにさらに,北アフリカのベルベル族やタイ東北部のラオ族や東部インドネシアのタニンバル諸島民のようにとくに降雨を祈願したり,日本のように綱を竜,蛇とみるなど,水要素を強調してより複雑な儀礼態を生み出した所もある。しかし近代社会を迎えると,綱引きは伝統的共同体において長らく維持した儀礼性を喪失し,純粋に競技化する。その典型はオリンピック(第2~7回大会)の綱引き競技であるが,綱引きの近代競技化は欧米のなかでもイギリスが早かった。国際綱引き競技連盟(1960創立)も本部はイギリスにある。
執筆者:寒川 恒夫
日本では綱引きは,小正月,盆,十五夜など年や季節の折り目に行われ,本来作物などの豊凶を占う神事とされている。奄美地方では,部落の男女で引くのが普通で,男が勝つと豊漁,女が勝つと豊作といい,たいてい女が勝つようにしくまれている。薩摩半島の南九州市の旧知覧町では〈十五夜ソラヨイ〉といって,少年たちが蓑笠姿の特異な扮装をして山から茅を刈っておりてくる習俗がある。綱の材料は新しい稲わらが多いが,茅,つる,竹などを使用することもある。綱引き終了後は綱で土俵をつくって相撲をしたり,綱を切って海や川に流したりする。しかし綱引きのなかには,綱を引き合わずに子供たちが綱をかついで村の周囲をまわって歩き,穢れを綱にたくして村を清めたあと,綱を海や川に流す所もみられる。茨城・千葉両県の一部では,盆に盆綱(ぼんづな)といって子供たちが新盆の家などを竜蛇にかたどった綱をかついでまわる行事があり,この綱に精霊が乗ってやって来ると伝承している。壱岐島では盆の綱で仏の出立を送るという。綱引きの綱を竜蛇の形につくる所も多く,竜蛇が異界から来訪し,村を祝福し清めたあと再び異界へ戻っていくという形をとる所もある。綱を引き合う形態は,綱をかついでまわるものより新しい形態ではないかと考えられている。また綱引きの前に,綱を巻いておき,綱のなかの少年に米や粟の作柄をたずねる行事をする土地もある。綱引きは,漁民と農民,上と下,東と西などという対立する2組に分かれて行われることから,これを二元的な世界観の表出ととらえる学者もいる。綱引きには,年占(としうら),神霊や仏の去来,村の浄化など多様な意味が込められている。
執筆者:飯島 吉晴
朝鮮語ではチュルタリギchultarigiといい,〈索戦〉の字を当てることもある。古くから朝鮮半島南部で盛んで,おもに上元(旧暦1月15日)に年占の行事として,村の老若男女が東西に分かれて行う。綱には男女の区別があり,東側が男,西側が女とされており,地方によっては女の綱が勝つと豊年になるという。正月のはじめから家ごとにわら束を集めて綱をつくり,太い親綱に数十条の子綱をつけて引くが,綱引きが始まると農楽隊がそばで農楽をにぎやかに奏して,士気を鼓舞する。
執筆者:李 杜 鉉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
人が左右2組に分かれ、1本の綱を引き合い、相手を引き込んだほうを勝ちとする競技。スポーツの一種として親しまれているが、綱引きは元来、年占(としうら)や豊作・豊漁祈願の意を込めて行われることが多かった。全国に分布する行事で、小正月(こしょうがつ)や盆、十五夜に行われることが多い。形式には、2組に分かれて綱を引き合うもののほか、引き合わないで村落内を綱を担いだり引きずって歩いたりするものもある。用いる綱は稲藁(わら)やチガヤを材料にしたものが多く、じょうぶにするために蔓(つる)草なども加えられるが、長短や太さは所によってまちまちである。形状も、蛇形に綯(な)ったり、男女の性器を模した雄綱・雌綱をつくったり、本綱に多数の枝綱を結び合わせたものなど、単なる1本の太綱だけでないものも珍しくない。引き合う綱引きの場合は、村落間の対抗や村落内の男女・老若間対抗の形をとり、勝った側に豊作、豊漁、幸福などがもたらされるとするものである。しかし実際には一種の神事として儀礼的抗争に終始するものが多く、あらかじめ勝つ側が決まっている例さえある。あとの綱は社寺に納めたり川へ流したりしている。綱引きとは称しても、引き合わないものも多い。奈良県を中心に分布する綱掛け祭りはその一種で、正月に勧請縄(かんじょうなわ)とよぶ太綱をつくって男たちがにぎやかに村落内を担ぎ歩き、悪疫・災禍の入来を防ごうとの意で、それを村境の道路や川をまたいで左右の木に張り渡している。千葉・茨城県には、盆に子供たちが綱を引いて新盆の家を回ったあと、川に流したり、綱で土俵をつくって相撲(すもう)をとったりする所がある。綱の土俵の中で相撲をとる例は南九州に多い。鹿児島県を中心として分布する十五夜の綱引きは特異なもので、引いて歩く前に、蛇がとぐろを巻いたように綱を丸く積み上げ、それに餅(もち)、団子、いもなどの供え物をしたり、その輪の中に入って月を拝んだりする例があり、水神である竜神の祭りとの関連をうかがわせている。綱引きは世界各地で行われているが、とくに韓国や中国、東南アジア、オセアニアなどには、わが国のと類似するものが少なくない。
[田中宣一]
元来は宗教的な意味をもつ年中行事であり、狩猟民ではエスキモーおよびイヌイット、カムチャツカ半島のイテリメン人、また農耕民族では東アジア、インドシナ半島などの水稲耕作民の間で盛んに行われた。
近年、それがスポーツとして行われるようになり、1908年のオリンピック・ロンドン大会では、番外種目として行われたこともある。国際綱引連盟の定めるルールに基づき、1981年(昭和56)日本綱引連盟が競技規則を設け、スポーツとしての綱引きが、全国的に盛んに行われるようになった。長さ33.5~36メートルの綱を、1チーム8人のタガーたちが、2組に分かれて引き合い、4メートル引き寄せたチームが勝ちとなる。11の体重別クラスに分かれ、8人の体重合計が、いちばん軽いクラスが400キログラム以下、約40キログラムごとに1階級ずつあがり、もっとも重いクラスが800キログラム以上である。試合は3セットマッチで行われる。
[太田昌秀]
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…さらに日露戦争後の地方改良運動と関連して,学校運動会が校区民衆にとっても子どもを媒介としたレクリエーションの場と化していく。元来は豊凶を占う神事の一つだった〈綱引き〉が,父母ともども参加する種目になったことに示されるように,地域の〈まつり〉の要素を含むようになった。以後,運動会は地域と学校との数少ない交流の場となるとともに,子どもたちにとっても全員が同時に共同参加する数少ない行事の一つとなったのである。…
…例えば茨城県新治郡出島村(現,霞ヶ浦町)ではイシブシ(石投げ合戦)といい,菱木川をはさんで子供同士が口げんかから石投げとなり,大人や近隣の人々も応援にかけつけるありさまだったというが,石が当たっても菱木川で洗えば傷にならないといった。菖蒲叩きも二手に分かれて争う場合があったが,この日に競馬や綱引きをする所も多かった。鳥取県岩美町田河内では,子供が各家の屋根に挿してある菖蒲を集め,それに藁を加えて菖蒲綱という大綱を作って持ち歩いた後,二手に分かれて綱引きをしたという。…
※「綱引き」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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