ブリタニカ百科事典(読み)ブリタニカヒャッカジテン(英語表記)Encyclopædia Britannica

デジタル大辞泉 「ブリタニカ百科事典」の意味・読み・例文・類語

ブリタニカひゃっかじてん〔‐ヒヤククワジテン〕【ブリタニカ百科事典】

Encyclopaedia Britannica》英国の百科事典。初版は1768年から1771年にかけて英国のエディンバラで刊行。当初は英国の学者の論文を集めたものであったが、版を重ねるごとに手が加えられ、世界的な百科事典となった。1975年に最初の外国語版として日本語版を出版。1981年にデジタル版、1994年にオンライン版の提供を開始。現在は米国のシカゴに本社を置くエンサイクロペディアブリタニカが出版している。2012年、第15版をもって書籍版の発行を終了し、電子版のみとなった。

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精選版 日本国語大辞典 「ブリタニカ百科事典」の意味・読み・例文・類語

ブリタニカひゃっかじてんブリタニカヒャククヮジテン【ブリタニカ百科事典】

  1. ( 原題[英語] Encyclopaedia Britannica ) 英語圏を代表する百科事典。初版は一七六八~七一年刊。最初はイギリスで発刊された。一九四三年にアメリカシカゴ大学に版権が移り、以後同大学教授陣を中心に編集出版を続けている。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブリタニカ百科事典」の意味・わかりやすい解説

ブリタニカ百科事典
ブリタニカひゃっかじてん
Encyclopædia Britannica

現存する英語による最古,最大の総合百科事典。日本の『ブリタニカ国際大百科事典』の原典。初版は 1768年12月からスコットランドのエディンバラで分冊形式で発行され,1771年全3巻(約2500ページ。図版 160点)にまとめられた。重要事項を扱った長文の論文的項目と,専門用語などに関する短い定義的項目からなり,項目はアルファベット順に配列された。
第2版(10巻 8595ページ)は 1777年6月から 1784年9月にかけて出版された。既存項目に新たな記述を書き加えただけでなく,論文や新項目も増えた。伝記的項目が追加され,歴史が地理項目に含められ,範囲も「技術と科学の事典」をこえたものになった。第3版(1788~97)はさらに長くなって 18巻 1万4579ページとなり,2巻の追補版が 1801年に刊行された。第3版と追補版の新鮮で活力にあふれた記述は,有益かつ魅力的でブリタニカの不朽の名声を築いた。第4版(20巻 1万6033ページ)は 1801~09年に出版され,1810年に完結した。第3版の改訂再版で論文の追加と延長,歴史項目の改訂,伝記的項目の充実のために 2巻が加えられた。第5版は第4版の改訂版,第6版は第5版の項目の一部を改訂した再版で,第4,5,6版の追補版に比べると重要度は高くなかった。それらは同時に準備印刷され,6巻の追補版は 1815~24年に刊行された。1830~42年に刊行された第7版(21巻 1万7011ページ。図版 506点)は過去の版の改訂版であったが,便利な総索引が別冊につき,以後の版に受け継がれた。第8版(約230ページの総索引を含む 21巻計 1万7957ページ。図版 402点)は 1852~60年に出版された。過去の版の項目も一部使われたが,全面改訂版といえるものであった。最大の分量を誇る第9版(24巻と別冊索引)は 1875~89年に出版された。「学者の百科事典」として知られる第9版は,当時の科学や宗教の議論に対する進歩的で見識ある立場をとり話題となった。1100人にも及ぶ寄稿者のなかには 70人以上のアメリカ合衆国の学者と 60人ほどのヨーロッパ大陸の学者が含まれていた。1901年にアメリカの出版業者ホーレス・E.フーパーが所有権を買って,以後版権はアメリカに移った。
第10版は『ロンドン・タイムズ』の後援で出版された(1902~03)。第9版に追補版 11冊を加えたもので,歴史に関する項目の大半を改訂した。有名な第11版(29巻)はケンブリッジ大学出版局によって刊行された(1910~11)。ロンドンとニューヨークで編集が行なわれ,編集方針の大幅変更によって,総合的で長い項目をより専門化したものに改訂したため,9版の倍以上の 4万項目に増えた。1920年シアーズ・ローバックに版権が買い取られ,1922年に 3巻の追補版が加えられ第12版(32巻)となった。1926年には全面改訂された 3巻の追補版が刊行され第13版となった。この間に所有権は再びフーパー家に移ったが,1928年シアーズ・ローバックが再び版権を買い戻した。1926年から作業にほぼ 3年を要した第14版(索引と世界地図を含む 24巻)は大不況の直前の 1929年に出版された。シアーズ・ローバックの副社長エルカン・ハリソン・パウエルは直販制度を導入して売り上げを伸ばすとともに,編集方針も変え,継続的に改訂を行なって毎年改訂再版を刊行するようにした。1941年シカゴ大学がシアーズ・ローバックから全版権の寄贈を受けたが,大学が経営を望まなかったため,シカゴ大学副総長ウィリアム・ベントンが資金を提供して,総長のロバート・メイナード・ハッチンズが編集委員長に就任した。1974年,10年の歳月と 3200万ドルの巨費を投じてプロペディア(総論・手引),マイクロペディア(小項目事典),マクロペディア(大項目事典)の計 28巻からなる第15版が刊行された。1985年には大幅な改訂が行なわれて全 32巻となった。1994年にインターネットによるオンライン・サービスを開始,1995年には 2枚組のCD-ROM版も製作された。1996年,スイスのジェイコブ・サフラ財団に経営権が譲渡された。2012年印刷本の形態での発行・販売が終了し,インターネットをはじめとするさまざまな電子版で提供されることになった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブリタニカ百科事典」の意味・わかりやすい解説

ブリタニカ百科事典
ぶりたにかひゃっかじてん
Encyclopaedia Britannica

国際的な英語の百科事典。最初はイギリスで、のちアメリカで発行されている。1768~71年にエジンバラの銅版画家のベルAndrew Bell(1726―1809)が印刷業者のマックファーカーColin Macfarquharと共同で、100分冊各冊6ペンスで百科事典を発行したのが始まりである。この時代のイギリスは、ちょうどブルジョアジー勃興(ぼっこう)期にあったため、この事典は紳士の教養を要求する階層に支持されて成功し、完成後は2200ページを三巻に製本して初版とした。一流学者の44論文と単行本からの抜粋からなったものである。その後、第9版は東洋学者スミスWilliam Robertson Smith(1846―94)の編集で外国人学者にも寄稿させて有名になり、第10版(1902~03)は本巻24巻に索引と補遺11巻をつけた全35巻として刊行され、ビクトリア女王時代を代表する百科事典となった。これは、丸善によって日本にも輸入され、『大英百科全書』として広くわが国の学者に知れ渡った。第11版はケンブリッジ大学出版局が引き受けて29巻とし、初めてインディア・ペーパーに印刷し、1910~11年に発行した。この版も第9版とともに各国学者の執筆協力を得ており、その水準の高さで世界的に有名になった。

[彌吉光長]

第12版以後

第12版からはアメリカにあるシアーズ・ローバック株式会社の出資を仰ぎ、1928年には同社の経営に移って、シカゴを本社とし、ロンドンとニューヨークに編集局をもつようになったが、編集の面でも変化があった。すなわち、第11版刊行後の世界の急激な変化に対応するため、第14版で全体的な改稿、新版の刊行を終わり、36年から毎年必要箇所を改訂することにした。また、38年からは年鑑を発行して、旧版所有者にも便宜を図った。第15版(30巻)は74年に刊行されたが、書名もThe New Encyclopaedia Britanicaとなり、旧版は全面的に改められた。これは、総論・索引編ともいうべきプロペディアPropaedia(1巻、1万5000項目)、小項目編のマイクロペディアMicropaedia(10巻、10万2214項目)、マクロペディアMacropaedia(19巻、4207項目)の三部門からなり、有機的・体系的に把握できるようになっている。なお、この版の翻訳に新原稿を加えたものが『ブリタニカ国際大百科事典』(28巻、1972~75)として、わが国でも発行された。

[彌吉光長]

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改訂新版 世界大百科事典 「ブリタニカ百科事典」の意味・わかりやすい解説

ブリタニカ百科事典 (ブリタニカひゃっかじてん)
Encyclopaedia Britannica

世界的に有名な英語の百科事典。初版は全3巻,1768年から71年にかけて刊行された。エジンバラの版画家ベルAndrew Bell(1726-1809)と印刷業者マックファーカーColin MacFarquhar(1745ころ-93ころ)が,印刷業者で学者のスメリーWilliam Smellie(1740-95)に編纂を依頼,2段組み四つ折本100分冊を毎週刊行する計画で出版を始め,完結後3巻にまとめた。従来の百科事典の方針は〈科学を個々の術語に分解し,アルファベット順に並べて説明しようとする愚行〉だとして,科学の原理を体系的に叙述することを試みた。重要な項目,たとえば〈解剖学〉には166ページを費やしているが,一方,定義を記しただけの短い項目もある。図版はベルの手になる版画である。スメリーは第2版(10巻,1777-84)の編纂も依頼されたが,歴史と伝記の項目を入れることに反対して断った。その後の版では,とくに第9版(25巻,1875-89)と第11版(29巻,1910-11)が学問的水準の高さで知られている。シカゴの通信販売会社シアーズ・ローバック社は1920年に著作権を買い取り,その後41年にその権利をシカゴ大学に贈与した。第14版(24巻,1929)刊行後,継続的改訂方針を取り入れ,36年以後には毎年部分的に改訂を施したセットを発行した。さらに48年から事典の補遺的役割を果たす《ブリタニカ年鑑Britannica Book of the Year》を刊行している。74年構成が大きく変わり,事典本体の項目を体系的に把握させる総論としての〈プロペディア〉,小項目事典で索引を兼ねる〈マイクロペディア〉,および大項目事典〈マクロペディア〉の3部構成,全30巻となった。その後も毎年の改訂は続けられたが,85年にかけて行われた第15版の大改訂によって事典全体の構成が改めて見直され,前述の〈マイクロペディア〉が兼ねていた索引機能を独自に果たすための索引巻が2巻加わり,全32巻となった。日本では第15版の翻訳に新たな原稿を加えたものが《ブリタニカ国際大百科事典》の名で発行された(初版1972-75)。90年代に入ると電子出版事業に進出し,これまでにCD-ROMによる百科事典(《Britannica CD》)の刊行,インターネット上での情報提供サービス(〈Britannica Online〉,94年開始)などを行っている。
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百科事典マイペディア 「ブリタニカ百科事典」の意味・わかりやすい解説

ブリタニカ百科事典【ブリタニカひゃっかじてん】

英語による大項目式の代表的百科事典。《Encyclopaedia Britannica》。1768年―1771年英国のエディンバラで初版3巻を刊行。第9版25巻(1875年―1889年)は米国でも印刷され,第11版29巻(1910年―1911年)は英米共同編集となり,その後のスタイルの基本を確立した。14版(1929年)以後は毎年改訂を原則とし,本文23巻索引・地図帳1巻の計24巻に固定。1920年シアーズ・ローバック社が版権を買い,1941年シカゴ大学に寄贈,現在はシカゴ大学,英国の3大学,カナダのトロント大学の委員の監修によりブリタニカ社が刊行している。1948年から《ブリタニカ年鑑》も発行。また日本では1972年―1975年《ブリタニカ国際大百科事典》(28巻)。1974年新版ブリタニカを刊行し,構成も大きく変わった(小項目事典10巻を含む全30巻)。近年では,CD-ROM,DVD-ROM(1990年〜),インターネット(1993年〜)などデジタル媒体による百科事典の提供も手がけている。
→関連項目百科事典

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