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ブルム ブルムBlum, Léon

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ブルム
Blum, Léon

[生]1872.4.9. パリ
[没]1950.3.30. ジュイアンジョザス
フランスの政治家。 1890年エコール・ノルマル・シュペリュール (高等師範学校) 入学,94年パリ大学法科に移り,同大学卒業後,文芸・演劇批評家として活躍。 96年指導的な社会主義者 J.ジョレスと知合い,1902年社会党に入り,19年下院議員。 20年社会党が共産党と少数派の社会党に分裂後,29年社会党党首となった。 35年急進社会党,共産党などの反ファシズム勢力を結集して人民戦線を結成。 36~37年社会主義者,ユダヤ人として初めて人民戦線内閣の首相に就任し,週 40時間労働,軍需産業の国有化などの社会改革を行なったが,対外的にはスペイン戦争不干渉政策をとり不評を買った。 40年にはビシー政府に戦争責任者として逮捕され,45年アメリカ軍に救出されるまでドイツに抑留,その後 46~47年暫定内閣首相兼外相をつとめた。主著『人類の段階』A l'échelle humaine (1945) 。

ブルム
Blum, Robert

[生]1807.11.10. ケルン
[没]1848.11.9. ウィーン
ドイツの政治家。ライプチヒで劇場に勤め,やがて同市で自由主義運動の指導者となり,1848年の三月革命に際し,ザクセン自由党を組織。次いで準備議会の副議長,さらにフランクフルト国民議会では,ザクセンから選出された左派の代表的議員として活躍。ウィーンの反革命に際し,同地におもむいて学生を主とする人民軍を指揮したが,ウィーン陥落後,軍法会議の判決により射殺された。

ブルム
Brum, Baltasar

[生]1883.6.18. サルト
[没]1933.3.31. モンテビデオ
ウルグアイの政治家。大統領 (在任 1919~23) 。法律学で学位を取り,一時法律家となったが,1913年以来情報相,外相,蔵相,内相などを経て,19年大統領に就任。汎アメリカ主義運動の推進者で,33年 G.テラ大統領の独裁権掌握に抗議して自殺。

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百科事典マイペディアの解説

ブルム

フランスの政治家。初め文芸批評家。1919年社会党下院議員となり,1920年左派分裂後は党の指導者。1936年―1937年人民戦線内閣の首相となり社会・労働立法を推進したが,スペイン内乱に対しては不干渉
→関連項目フランス社会党

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世界大百科事典 第2版の解説

ブルム【Léon Blum】

1872‐1950
フランスの文芸批評家,政治家。富裕なアルザス系ユダヤ人の絹物商の子としてパリに生まれた。高等師範学校在学中にジョレスと知りあい,ドレフュス事件に刺激されて社会主義者となった。ソルボンヌで法律を修めたあと官界に入り参事院請願委員となったが,かたわら文芸批評や演劇批評にたずさわり,《結婚論》(1907)などを書いて批評家として名をなした。第1次大戦後は政界に入り,1919年,社会党のセーヌ県選出下院議員となり,20年の党の分裂ののちは社会党の指導者としてその再建につとめた。

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大辞林 第三版の解説

ブルム【Léon Blum】

1872~1950) フランスの政治家・批評家。1925年社会党党首、36年人民戦線内閣首相。第二次大戦後には臨時政府の首相を務めた。著「結婚論」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ブルム
ぶるむ
Lon Blum
(1872―1950)

フランスの政治家、文学者。富裕なユダヤ商人の次男としてパリに生まれる。高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリュール)に入学したが中退し、パリ大学で文学、法学を学んだ。20余年間参事院判事として法律家の生活を送る一方、文芸批評家として活躍し、女性の性的解放を是認した『結婚について』やスタンダール研究などを発表して話題をよんだ。ドレフュス事件に際してはドレフュス擁護派に加担し、そのなかで社会主義者ジョレスと親交を結んだ。第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)時にジョレスが暗殺されると、これを機に文学から離れて政治に身を投じ、大戦中は公益事業省官房長を務めた。1919年に47歳で初めて下院議員に出馬し当選。1920年の社共分裂に際しては右派の理論的支柱となり、新しい社会党の指導者となった。1930年代に反ファッショ人民戦線が成立し、1936年春の総選挙で左翼が勝利を収めると、第一党の党首として人民戦線内閣の首相に就任した。フランス史上最初の社会主義者の首相であり、最初のユダヤ人首相であった。組閣と前後して起こった労働者による未曽有(みぞう)の工場占拠の際、一斉賃上げを経営者代表に認めさせたほか、年2週間の有給休暇制、週40時間労働制などの社会立法を議会で矢つぎばやに成立させ、「ブルムの実験」、「フランス・ニューディール」とよばれた。しかし、不況克服に成功せず1年余りで退陣した。1938年にも1か月足らず首相を務めた。ビシー政権時代にはペタン政府により拘留され、ドイツで終戦を迎えた。戦後、栄光に包まれて帰国し、短期間(1946~1947)首相を務めた。[平瀬徹也]
『福永英二・新関嶽雄訳『結婚について』(1951・ダヴィッド社) ▽吉田八重子訳『人間から人間へ――わが人民戦線の回想』(1975・人文書院)』

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世界大百科事典内のブルムの言及

【急進社会党】より

…これにはエリオら6名の急進党員が参加したが,極右翼に強い姿勢を示さない政府に対する不満が強まり,35年には党はダラディエの主導下に人民戦線に参加した。36年6月誕生したブルムの人民戦線内閣は,社会党と急進党を主力として構成され,ダラディエは副首相兼陸相として入閣した。しかし38年自ら首相となったダラディエは,ヒトラーに屈してズデーテンをドイツに引き渡すミュンヘン協定に調印し,人民戦線を瓦解させた。…

【人民戦線】より

…これは創設以来世界革命を目標に掲げる国際機関として活動してきたコミンテルンにとって,最も重大な政策転換であり,国際的に大きな影響を及ぼすものであった。 36年5月議会選挙で人民戦線派が勝利を収め,6月4日社会党のレオン・ブルムを首相とする人民戦線内閣が成立した。この勝利は,新たに開かれた政治的・社会的な変革の可能性に期待する人々のエネルギーの解放を伴った。…

※「ブルム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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