コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

プラッシーの戦い プラッシーのたたかい Battle of Plassey

3件 の用語解説(プラッシーの戦いの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

プラッシーの戦い
プラッシーのたたかい
Battle of Plassey

1757年インドベンガル地方の太守シラージ・ウッダウラとイギリス東インド会社との間で,プラッシーの地で戦われた戦争。ベンガル太守はイギリス東インド会社およびその職員の密貿易がベンガル経済に大きな打撃を与えているのに抗議し,イギリス人カルカッタ市から追放したが,R.クライブを将とするイギリス軍は 57年プラッシーの地で太守を破り,戦死させた。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

プラッシー‐の‐たたかい〔‐たたかひ〕【プラッシーの戦い】

1757年、インド、ベンガル地方のプラッシー(Plassey)で行われた、イギリス東インド会社軍と、フランス・ベンガル連合軍との戦い。クライブの指揮するイギリス軍が圧勝し、インドにおける優位を確立した。→東インド会社

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

プラッシーの戦い
ぷらっしーのたたかい

1757年6月23日西ベンガルのプラッシーplassey(ベンガル語ではポラーシーpal)におけるクライブの率いるイギリス東インド会社軍とムガル帝国のベンガル州総督(ナワブ)シラージ・ウッダウラ軍との会戦。会社は前年から州総督の許可を受けずにカルカッタ(現コルカタ)の城塞(じょうさい)強化工事を進めてシラージと対立し、彼は一時カルカッタを占領したが、まもなく会社軍に奪回された。シラージは会社への賠償金の支払いと鋳貨権の付与などの譲歩を余儀なくされた。57年この協定の直後にイギリスは、またも州総督の統治権を無視してチャンデルナゴルのフランス商館を襲撃占領したが、シラージはこれに抗議しえなかった。ついでクライブは反シラージ派のミール・ジャーファルや在地の富商と内通して挙兵し、詭計(きけい)によってシラージの軍を壊滅させ、シラージも殺害された。会社はミール・ジャーファルを州総督に据えて賠償金や報酬金を取り立てた。この結果、ムガル帝国のベンガル州総督は会社の傀儡(かいらい)に転落し、会社は軍事的、政治的優位のうえに通商特権を無制限に拡大して、在地の商人、手工業者層に対する経済的支配をも達成することになった。イギリスのインド支配の橋頭堡(きょうとうほ)がここに確保されたのである。[高畠 稔]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

プラッシーの戦いの関連キーワードクライブベンガル文学ベンガル山猫ベンガラ糸ベンガルールベンガルタイガーベンガル虎西ベンガルプラッシーの戦ベンガル分割

今日のキーワード

パラチオン、パラチオンメチル

パラチオンは無色で油状の液体、パラチオンメチルはコハク色の液体。ともに毒性が強く、有機リン系殺虫剤として使用された。50年代以降、稲の害虫被害を防ぐことが確認され、広く導入された。しかし、農民の中毒死...

続きを読む

コトバンク for iPhone