改訂新版 世界大百科事典 「プレッツォリーニ」の意味・わかりやすい解説
プレッツォリーニ
Giuseppe Prezzolini
生没年:1882-1982
イタリアの文学者。盟友パピーニとともに,1900年代初頭20年間のイタリア文学界を主導した雑誌のオルガナイザーであった。早くに学業を中断,フィレンツェに移住。03年,パピーニと協同して《レオナルド》誌を創刊。ベルグソン,プラグマティズム,同時にモダニズムの運動,J.ソレルのサンディカリスム,さらにクローチェの思想などに幅広い関心を向け,摂取する。08年,両大戦間を代表する文学雑誌《ボーチェ》を創刊,14年まで編集長を務める。第1次大戦勃発に際して参戦を唱え,自身も出征した。戦後は政治から一定の距離を保ち,ファシズム権力にも〈反対せず〉の態度をとって妥協。29年,アメリカに移住,50年までコロンビア大学の教壇に立った。在米中,資料の編纂に力を傾け,著名な《イタリア文学史・批評文献目録1902-32》(1937-39)を刊行。著作は数多く,パピーニとの共著《イタリア文化》(1906),《フィレンツェ人マキアベリの生涯》(1927),懐疑と失意に満ちた特異な自伝《無為なるイタリア人》(1954),《ボーチェの時代》(1961),《日記》(全2巻。1978,80)が代表的なものとしてあげられる。
執筆者:古賀 弘人
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報