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プロブス Probus, Marcus Aurelius

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

プロブス
Probus, Marcus Aurelius

[生]?
[没]282
ローマ皇帝 (在位 276~282) 。近衛長官に就任中に,部下に推されて,M.フロリアヌスと帝位を争いこれを倒した。ブリタニアからドナウにかけて,さらにシリア,エジプトにおいて蛮族の侵入と反乱を鎮圧。農業の再建に努力し,ガリア (フランス) やパンノニア (オーストリア東部,ハンガリー) にぶどう栽培を始めたが,部下に離反され殺された。

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世界大百科事典 第2版の解説

プロブス【Marcus Aurelius Probus】

232‐282
ローマ皇帝。在位276‐282年。パンノニアのシルミウム兵士の子として生まれ,M.C.タキトゥス帝の死後,対立帝フロリアヌスを倒して帝位につく。アラマンニ族,フランク族,ブルグント族バンダル族など外敵の侵入を阻止し国境を固めるとともに,各地の反乱を鎮圧した。軍規を厳しくしたこと,兵士をブドウ園建設に使用したことが不評を買い,親衛隊長官カルスラエティアで反乱を起こした際,自分の軍隊により殺された。

プロブス【Marcus Valerius Probus】

1世紀後半のローマの文献学者。生没年不詳。ベリュトゥス(現,ベイルート)出身。職業軍人から文学研究者に身を転じた。帝政期ローマの文法教育で軽視されていたテレンティウスルクレティウスサルスティウスウェルギリウスら共和政期の作家の著作をあらたに刊行し,古典期の文学に対する関心を再び呼び起こした。著書は数少なく,しかも文法や用語法に関する論文は散逸した。しかし,古代末期および中世でも彼の名は広く知られ,ウェルギリウスの《詩選》および《農耕詩》の注釈など彼の名を付した著作が多く生まれた。

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世界大百科事典内のプロブスの言及

【ローマ】より

…彼はシリアの太陽神の加護によってパルミュラ戦に勝利したと信じて,エラガバルスのあとローマ市から戻されていた太陽神の神体を再びローマに運び国家神とした。次のタキトゥス(在位275‐276)は小アジアでゴート族を破り,プロブス(在位276‐282)は北部国境の守りを固め,カルス(在位282‐283)はメソポタミアに侵入した。283年にはさらにカリヌス(在位283‐285),ヌメリアヌス(在位283‐284)が立ったが,ディオクレティアヌス(在位284‐305)の即位をもって,混乱の軍人皇帝時代は終わる。…

※「プロブス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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