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ベックマン ベックマン Beckmann, Ernst Otto

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ベックマン
ベックマン
Beckmann, Ernst Otto

[生]1853.7.4. ゾーリンゲン
[没]1923.7.12. ベルリン
ドイツの化学者。薬局の徒弟をしていたが,ライプチヒ大学で A.コルベに化学を学び,1878年学位を得た。ギーセン (1891) ,エルランゲン (92) ,ライプチヒ (97) の各大学教授を歴任し,1912年からはカイザーウィルヘルム化学研究所所長も兼ねた。

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ベックマン
ベックマン
Beckmann, Max

[生]1884.2.12. ライプチヒ
[没]1950.12.27. ニューヨーク
ドイツの画家。ワイマール美術学校に学んだのち,パリ,フィレンツェ,ベルリンで修業。 1905年ベルリン分離派に参加。 15年フランクフルトの美術学校教授となったが,33年ナチスの圧迫で退職。

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百科事典マイペディアの解説

ベックマン

ドイツの化学者。コルベに学ぶ。1912年カイザー・ウィルヘルム協会化学研究所長兼ベルリン大学教授。1886年ベックマン転位(ケトオキシムを酸やアシル化剤で処理すると酸アミドになる反応)を発見。

ベックマン

ドイツの哲学者,経済学者。ゲッティンゲン大学に学び,1766年以後同大学教授。1770年代に,当時ドイツ諸侯国の富国強兵策の基礎とされた官房学の一主要部門として技術学を提唱,生産工程の科学的な分析を説き,技術の発展の必然性を見いだそうとした。

ベックマン

ドイツの画家。ライプチヒ生れ。1905年ベルリンでゼツェッシオンに参加,M.リーバーマンの影響を受けた。第1次大戦後表現主義的作風に向かい,対象を画面いっぱいにグロテスクに描き,現代人の疎外を風刺を交えて表現。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

ベックマン Böckmann, Wilhelm

1832-1902 ドイツの建築家。
1832年1月29日生まれ。ベルリンの高等建築学校にまなび,エンデとともに建築事務所を開設。明治19年(1886)来日。東京日比谷の官庁集中計画を立案,裁判所司法省などの設計図を作成した。また建築関係者のドイツ留学を斡旋(あっせん)した。1902年10月22日死去。70歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

ベックマン

没年:1902.10.22(1902.10.22)
生年:1832.1.29
明治期に来日したドイツ人建築家。『ドイツ建築新聞』を創刊したほか,ベルリンの建築家協会および動物園協会の会長を歴任。エンデと共に建築事務所を開設。日本政府の依頼で西洋式の官庁建築を設計するために明治19(1886)年に来日。2カ月の日本滞在中,基本設計のほか,土壌調査を行い,ホフマン窯による新しい煉瓦製造工場の建設を提言した。帰国に際して,河合浩蔵,妻木頼黄,渡辺譲ら日本人建築家と職人総勢20人を連れていき,官庁建築の建設に尽力した。現存する旧司法省は平成の大改修が行われ,赤煉瓦の外壁にスレート葺の大屋根を頂く荘重かつ優美な姿がよみがえった。著書に『日本旅行記』(1886)がある。

(堀内正昭)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

ベックマン【Ernst Otto Beckmann】

1853‐1923
ドイツの有機化学者。ゾーリンゲンの染物屋の息子として生まれる。1875年ライプチヒ大学でH.コルベ,S.C.マイヤーに学び,78年卒業する。高等技術学校の教職についた後,87年ライプチヒ,91年ギーセン,92年エルランゲン,12年ベルリンの各大学教授を歴任する。1912年よりカイザー・ウィルヘルム研究所の応用化学・薬化学研究所長を務める。1886年,ケトオキシムは酸性でアミドを作用させると急激に反応が生じ,いわゆる〈ベックマン転位〉反応となることを明らかにした。

ベックマン【Johann Beckmann】

1739‐1811
ドイツの官房学的な経済学者。ゲッティンゲン大学教授。当初,牧師になろうとしたが数学に長じていたので自然科学の分野に進んだ。同時に古典語を中心に10ヵ国語を習得し,人文・自然科学両方の知識をあわせた独特の研究を行った。彼が活動した時代には,官房経済学がドイツ在来の産業技術を新しく再構成してイギリス産業革命に対抗しようとしていたので,彼の研究は,まず当時の産業技術を網羅的に列挙する商品学となった。しかし技術の発達が速すぎるため,それに追随することをやめ1780年以降25年にわたり技術史の論文集を書きつづけた。

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世界大百科事典内のベックマンの言及

【技術史】より

…しかし,これより100年以上前に中国では宋応星が《天工開物》という詳細な技術誌を著していたことは注目されよう。 ヨーロッパで最初の技術史の書物はJ.ベックマンの《発明史》(1780‐1805,邦題《西洋事物起原》)で,個別的に古代からの文献を広く渉猟してまとめた事典である。項目数は多くはないが,歴史的配慮が行き届いており,各国語に訳されてその後の技術史研究の出発点となった。…

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