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ベネット ベネットBennet, John

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ベネット
Bennet, John

[生]1576頃
[没]?
イギリスの作曲家。エリザベス朝時代に活躍した。 1599年 17曲から成る『四声のためのマドリガル集』を出版。 1614年編集されたマドリガル集『オリアンナの勝利』に収められている『万物は今や楽しげに従い』 (1601) が有名。

ベネット
Bennett, (Enoch) Arnold

[生]1867.5.27. スタッフォードシャーハンリー
[没]1931.3.27. ロンドン
イギリスの小説家。法律家を志したがジャーナリズムに転じ,雑誌編集者となった。 1903年パリに渡り,07年フランス人の女優と結婚,11年帰国して創作に専念,数編の戯曲と雑文のほか,フローベールやバルザックから学んだリアリズムによる小説を多数書いた。モーパッサンの『女の一生』に範をとって2人の姉妹の生涯を描いた代表作『老妻物語』 The Old Wives' Tale (1908) をはじめ,『五つの町のアンナ』 Anna of the Five Towns (02) ,3部作『クレーハンガー』 Clayhanger (10) ,『ヒルダ・レスウェイズ』 Hilda Lessways (11) ,『この二人』 These Twin (16) など,いずれも製陶業の中心地である郷里の「五つの町」を背景としている。エドワード朝の代表的作家の一人。

ベネット
Bennett, James Gordon

[生]1795.9.1. イギリス,ニューミル
[没]1872.6.1. アメリカ合衆国,ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国の新聞編集者。1819年イギリスからアメリカに移住し,ニューヨークに居を定めた。当地に学校を設立し政治経済学を教えるかたわら,ジャーナリストとしても働き,その後 10年間にさまざまな新聞社に雇われた。『ニューヨーク・インクワイアラー』特派員,『モーニング・クーリエ・アンド・ニューヨーク・インクワイアラー』共同編集者を務め,ベネットが執筆した記事は注目を集めた。1832年ニューヨークで『グローブ』を発行したが,長続きしなかった。1833~34年フィラデルフィアで『ペンシルバニアン』の主筆を務めるとともに,経営陣の一角を占めた。1835年に資本金 500ドルで新聞社を設立,4ページ,1部 1ペニーの『ニューヨーク・ヘラルド』を創刊した。ベネットの勤勉な働きと洞察力によって,新聞は商業的成功を収めた。ベネットはニュースの収集にとりわけ注意を払い,今日の報道手法の多くを取り入れた。1835年6月,アメリカの新聞で初めてウォール街の金融記事を,同年 12月にはニューヨーク大火の生々しく詳細な記事を掲載。1838年に初めてヨーロッパに特派員を置き,1846年に政治演説の全文を電報を使って入手,南北戦争の取材に延べ 63人の従軍記者を送り込んだほか,挿絵の掲載,社会部の創設など,斬新な編集によってアメリカ新聞界に大きな影響を与えた。(→ジャーナリズム新聞

ベネット
Bennett, Richard Bedford, Viscount Bennet

[生]1870.7.3. ニューブランズウィック,ホープウェル
[没]1947.6.27. サリー,マイクルハム
カナダの政治家。首相 (在任 1930~35) 。弁護士をつとめたのち,1909年アルバータ州下院に当選して政界に入り,11年連邦下院議員となった。保守党に属し,21年の短命に終った A.ミーエン内閣で法相を,同じく 26年のミーエン内閣では蔵相をつとめた。 27年保守党大会で党首に選ばれ,30年の総選挙で保守党が勝利を占めると,首相,蔵相,外相を兼ねるという強力な地位についた。大恐慌時のカナダの統治者となり,32年のオタワにおけるイギリス帝国経済会議や,35年にニューディールのカナダ版を議会に提出することで景気の回復をはかったが成功せず,同年大敗を喫して自由党に政権を譲り渡した。 38年まで保守党党首をつとめたのち政界を引退し,39年からイギリスに永住した。 41年子爵に叙せられた。

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百科事典マイペディアの解説

ベネット

英国の小説家。雑誌編集ののち30歳ころから劇評書評など盛んな文筆活動に入る。小説にはフランス自然主義の影響がみられ,《老女物語》(1908年)や《クレーハンガー》連作(1910年―1916年)などの主要作品は,少年時代を過ごした窯業地帯のファイブ・タウンズを舞台としている。

ベネット

米国のジャズ,ポピュラー歌手。本名Anthony Dominick Benedetto。1950年にプロの歌手として出発し,1952年に発表した《ビコーズ・オブ・ユーBecause Of You》で注目を浴びた。

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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)の解説

ベネット

イギリスの作曲家。ピアニストとしても活動し、
メンデルスゾーンやシューマンとの交流もあった。4曲のピアノ協奏曲や独奏ピアノのための小品を作曲している。音楽は祖父から教わり、ケンブリッジ大学キングス・ ...続き

出典|(社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ベネット【Enoch Arnold Bennett】

1867‐1931
イギリスの小説家。1900年から8年にわたってパリに滞在,フランス自然主義の強い影響をうけた。スタッフォードシャーに生まれ,ロンドンに出て一時は法律事務所に勤めたが,婦人雑誌の編集者をしたのち,1896年から創作に専念。その作品は故郷である陶器製造地ファイブ・タウンズを背景にしたものが多く,横暴な父親の命ずるままに結婚した女を描いた《ファイブ・タウンズのアンナ》(1902)などの初期の作品ののち,モーパッサンの《女の一生》の向こうを張って書いた《老女物語》(1908)で一躍有名になった。

ベネット【Richard Bedford Bennett】

1870‐1947
カナダの政治家。1930‐35年首相。保守党に所属。ニューブランズウィック州に生まれ,ダルハウジー大学で法律を学び,弁護士となってカルガリーで開業。1898年ノースウェスト・テリトリーズ議会に選出されて政界に入るが,連邦議会議員となったのは1911年であった。2度にわたる短期間のA.ミーエン内閣で法務大臣と大蔵大臣を務めたのち,27年,ミーエンを継いで保守党党首に選出された。30年,大恐慌への対応を問われた総選挙で彼はW.L.M.キングの率いる自由党を破って政権についた。

ベネット【Tony Bennett】

1926‐
アメリカのポピュラー歌手。ニューヨークのクイーンズに生まれる。第2次大戦に従軍し,慰問楽団に入ってドイツへ渡ったが,退役後,小さなクラブで歌っていて喜劇俳優ボブ・ホープに見いだされた。1951年にコロンビア・レコード専属となり,その翌年《ビコーズ・オブ・ユーBecause of You》がヒットして急速に人気をつかんだ。ロックンロール流行期にはやや低迷したが,62年《霧のサンフランシスコI Left My Heart in San Francisco》で人気を取り戻し,ジャズ的な味わいをもったおとなの歌い手として活躍を続けている。

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大辞林 第三版の解説

ベネット【Enoch Arnold Bennett】

1867~1931) イギリスの小説家。フランス自然主義の影響を受け、写実的小説を書いた。代表作「老妻物語」

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