ベネット(読み)べねっと(英語表記)James Gordon Bennett

デジタル大辞泉 「ベネット」の意味・読み・例文・類語

ベネット(Enoch Arnold Bennett)

[1867~1931]英国の小説家写実主義的描写と英国風のユーモアで知られる。小説「老妻物語」など。

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精選版 日本国語大辞典 「ベネット」の意味・読み・例文・類語

ベネット

  1. [ 一 ] ( Enoch Arnold Bennett イーノック=アーノルド━ ) イギリスの小説家。フランス自然主義の影響の下に、写実的作品を発表。エッセー、評論、劇作など多分野にわたる活動を行なった。代表作「老妻物語」。(一八六七‐一九三一
  2. [ 二 ] ( James Gordon Bennett ジェームズ=ゴードン━ ) アメリカの新聞経営者。スコットランド生まれ。一九世紀前半の代表紙「ニューヨークヘラルド」の社主兼主筆。(一七九五‐一八七二

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改訂新版 世界大百科事典 「ベネット」の意味・わかりやすい解説

ベネット
Enoch Arnold Bennett
生没年:1867-1931

イギリスの小説家。1900年から8年にわたってパリに滞在,フランス自然主義の強い影響をうけた。スタッフォードシャーに生まれ,ロンドンに出て一時は法律事務所に勤めたが,婦人雑誌の編集者をしたのち,1896年から創作に専念。その作品は故郷である陶器製造地ファイブ・タウンズを背景にしたものが多く,横暴な父親の命ずるままに結婚した女を描いた《ファイブ・タウンズのアンナ》(1902)などの初期の作品ののち,モーパッサンの《女の一生》の向こうを張って書いた《老女物語》(1908)で一躍有名になった。これはファイブ・タウンズの一つ,バースリーの呉服商の二人娘,つまり店の者と結婚してこの土地で平凡な生活を送る姉娘と,行商人と駆落ちしたあげくパリで捨てられて悲惨な生活を送った妹娘の2人が,最後にはともに故郷で死を迎える姿を,フランス流の冷徹さとは少し違ったあいまいさをもって描いており,この点にイギリス自然主義の特徴を見ることもできる。次の《クレーハンガー》(1910),《ヒルダ》(1911),《この二人》(1916)は,頑固な父に育てられたクレーハンガーの父への反抗,ヒルダとの出会い,その結婚後の葛藤と和解を自然主義的な手法で綿密に描いている。このほか,小説ではロンドンのひどくけちな古本屋夫婦を描いた《ライシーマンの歩み》(1933)などが優れているが,劇作でも親子三代の結婚を扱った《一里塚》(1912),《大冒険》(1913)などは非常な人気を博した。彼の作品には19世紀末から20世紀初頭のイギリス文学のテーマである父と子の葛藤,女の忍従が執拗に描かれており,H.G.ウェルズ,J.ゴールズワージーと並ぶエドワード朝の代表的作家である。
執筆者:


ベネット
Richard Bedford Bennett
生没年:1870-1947

カナダの政治家。1930-35年首相。保守党に所属。ニューブランズウィック州に生まれ,ダルハウジー大学で法律を学び,弁護士となってカルガリーで開業。1898年ノースウェスト・テリトリーズ議会に選出されて政界に入るが,連邦議会議員となったのは1911年であった。2度にわたる短期間のA.ミーエン内閣で法務大臣大蔵大臣を務めたのち,27年,ミーエンを継いで保守党党首に選出された。30年,大恐慌への対応を問われた総選挙で彼はW.L.M.キングの率いる自由党を破って政権についた。保守党政府は32年オタワでイギリス帝国経済会議を開催し,互恵通商を求めてアメリカ合衆国への接近をはかり,ついには35年カナダ版〈ニューディール〉を発表して不景気からの脱出をはかるが,いずれもはかばかしい成果のあがらぬうちに35年の総選挙で敗北を喫した。38年政界を退き,翌年イギリスへ赴き永住。41年に子爵に列せられたが,一生独身であったのでその死とともに爵位も消滅した。
執筆者:


ベネット
Tony Bennett
生没年:1926-

アメリカのポピュラー歌手。ニューヨークのクイーンズに生まれる。第2次大戦に従軍し,慰問楽団に入ってドイツへ渡ったが,退役後,小さなクラブで歌っていて喜劇俳優ボブ・ホープに見いだされた。1951年にコロンビア・レコード専属となり,その翌年《ビコーズ・オブ・ユーBecause of You》がヒットして急速に人気をつかんだ。ロックンロール流行期にはやや低迷したが,62年《霧のサンフランシスコI Left My Heart in San Francisco》で人気を取り戻し,ジャズ的な味わいをもったおとなの歌い手として活躍を続けている。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベネット」の意味・わかりやすい解説

ベネット
Bennett, James Gordon

[生]1795.9.1. イギリス,ニューミル
[没]1872.6.1. アメリカ合衆国,ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国の新聞編集者。1819年イギリスからアメリカに移住し,ニューヨークに居を定めた。当地に学校を設立し政治経済学を教えるかたわら,ジャーナリストとしても働き,その後 10年間にさまざまな新聞社に雇われた。『ニューヨーク・インクワイアラー』特派員,『モーニング・クーリエ・アンド・ニューヨーク・インクワイアラー』共同編集者を務め,ベネットが執筆した記事は注目を集めた。1832年ニューヨークで『グローブ』を発行したが,長続きしなかった。1833~34年フィラデルフィアで『ペンシルバニアン』の主筆を務めるとともに,経営陣の一角を占めた。1835年に資本金 500ドルで新聞社を設立,4ページ,1部 1ペニーの『ニューヨーク・ヘラルド』を創刊した。ベネットの勤勉な働きと洞察力によって,新聞は商業的成功を収めた。ベネットはニュースの収集にとりわけ注意を払い,今日の報道手法の多くを取り入れた。1835年6月,アメリカの新聞で初めてウォール街の金融記事を,同年 12月にはニューヨーク大火の生々しく詳細な記事を掲載。1838年に初めてヨーロッパに特派員を置き,1846年に政治演説の全文を電報を使って入手,南北戦争の取材に延べ 63人の従軍記者を送り込んだほか,挿絵の掲載,社会部の創設など,斬新な編集によってアメリカ新聞界に大きな影響を与えた。(→ジャーナリズム新聞

ベネット
Bennett, (Enoch) Arnold

[生]1867.5.27. スタッフォードシャー,ハンリー
[没]1931.3.27. ロンドン
イギリスの小説家。法律家を志したがジャーナリズムに転じ,雑誌編集者となった。 1903年パリに渡り,07年フランス人の女優と結婚,11年帰国して創作に専念,数編の戯曲と雑文のほか,フローベールやバルザックから学んだリアリズムによる小説を多数書いた。モーパッサンの『女の一生』に範をとって2人の姉妹の生涯を描いた代表作『老妻物語』 The Old Wives' Tale (1908) をはじめ,『五つの町のアンナ』 Anna of the Five Towns (02) ,3部作『クレーハンガー』 Clayhanger (10) ,『ヒルダ・レスウェイズ』 Hilda Lessways (11) ,『この二人』 These Twin (16) など,いずれも製陶業の中心地である郷里の「五つの町」を背景としている。エドワード朝の代表的作家の一人。

ベネット
Bennett, Richard Bedford, Viscount Bennet

[生]1870.7.3. ニューブランズウィック,ホープウェル
[没]1947.6.27. サリー,マイクルハム
カナダの政治家。首相 (在任 1930~35) 。弁護士をつとめたのち,1909年アルバータ州下院に当選して政界に入り,11年連邦下院議員となった。保守党に属し,21年の短命に終った A.ミーエン内閣で法相を,同じく 26年のミーエン内閣では蔵相をつとめた。 27年保守党大会で党首に選ばれ,30年の総選挙で保守党が勝利を占めると,首相,蔵相,外相を兼ねるという強力な地位についた。大恐慌時のカナダの統治者となり,32年のオタワにおけるイギリス帝国経済会議や,35年にニューディールのカナダ版を議会に提出することで景気の回復をはかったが成功せず,同年大敗を喫して自由党に政権を譲り渡した。 38年まで保守党党首をつとめたのち政界を引退し,39年からイギリスに永住した。 41年子爵に叙せられた。

ベネット
Bennet, John

[生]1576頃
[没]?
イギリスの作曲家。エリザベス朝時代に活躍した。 1599年 17曲から成る『四声のためのマドリガル集』を出版。 1614年編集されたマドリガル集『オリアンナの勝利』に収められている『万物は今や楽しげに従い』 (1601) が有名。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベネット」の意味・わかりやすい解説

ベネット(Enoch Arnold Bennett)
べねっと
Enoch Arnold Bennett
(1867―1931)

イギリスの小説家。スタッフォードシャーの生まれ。事務弁護士の父のもとで法律を勉強するが、ロンドンに出て、女性雑誌の編集者を経て、小説、書評、劇作など幅広い著作活動に入った。フランス自然主義やG・ムーアの影響を受けた第一作『北部出身の男』(1898)を発表。1902年から9年間パリに滞在して、フランス人と結婚したが、のち別居。『五つの町のアン』(1902)から、故郷の陶器製造の工業都市を舞台に中産階級の生活をアイロニーと同情を込めて描き、『老妻物語』(1908)、『クレイ・ハンガー』(1910)、『ヒルダ・レスウェイズ』(1911)、『双子』(1916)などを出した。人物の外的要因を細部にわたって描く彼の手法は、内面の意識を重視するV・ウルフに批判されたが、第二次世界大戦後には再評価される動きも出ている。

[安達美代子]


ベネット(James Gordon Bennett)
べねっと
James Gordon Bennett
(1795―1872)

アメリカの新聞経営者。スコットランド生まれ。1819年渡米し、さまざまな職業についたのち、1827年から『ニューヨーク・エンクワイアラー』紙のワシントン特派員として活躍。1835年1部1セントの『ニューヨーク・ヘラルド』紙を創刊し、6週間たらずで発行部数7000部を記録する成功を収めた。ベネットは、ウォール街の経済ニュースをはじめ、芸能、競馬、船舶、裁判所関係のニュースなど、新しい報道分野を開拓したり、ワシントンやヨーロッパに支局を設置、電信を初めて新聞に利用するなど、さまざまな企画を打ち出して独自の新聞づくりを行い、アメリカ新聞史上に一時代を画した。

[鈴木ケイ]

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百科事典マイペディア 「ベネット」の意味・わかりやすい解説

ベネット

米国のジャズ,ポピュラー歌手。本名Anthony Dominick Benedetto。1950年にプロの歌手として出発し,1952年に発表した《ビコーズ・オブ・ユーBecause Of You》で注目を浴びた。1962年には《想い出のサンフランシスコI Left My Heart In San Francisco》が大ヒット,ポピュラー歌手として不動の地位を築いた。ジャズ歌手としても精力的に活動し,1950年代にはエリントンベーシーらと共演。1975年にはB.エバンスとの2度目の共演となるアルバムを吹き込み,ジャズ界での支持も大きい。

ベネット

英国の小説家。雑誌編集ののち30歳ころから劇評,書評など盛んな文筆活動に入る。小説にはフランス自然主義の影響がみられ,《老女物語》(1908年)や《クレーハンガー》連作(1910年―1916年)などの主要作品は,少年時代を過ごした窯業地帯のファイブ・タウンズを舞台としている。

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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者) 「ベネット」の解説

ベネット

イギリスの作曲家。ピアニストとしても活動し、
メンデルスゾーンやシューマンとの交流もあった。4曲のピアノ協奏曲や独奏ピアノのための小品を作曲している。音楽は祖父から教わり、ケンブリッジ大学キングス・ ...続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

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