翻訳|Benedictus
西欧修道制の創設者,聖人。生涯についてはよく知られていない。イタリア中部,スポレトに近いヌルシアNursiaの名門の家に生まれ,500年ころ法律を学ぶためにローマに赴いたが,この古都の退廃に衝撃を受けて隠修士となり,最初はアフィレ,次いでスビアコの洞窟で修行した。また彼のもとに集まった修道士のために付近に12の修道院を建ててその指導に当たった。529年ころモンテ・カッシノ(モンテ・カッシノ修道院)に移り,以後ここを離れず,晩年の534年以後,彼の唯一の著作〈ベネディクトゥス会則〉を執筆した。
この会則は東方で発生した修道生活の古い伝統を強く継承しながらも,西欧独自の性格を創造した注目すべき文書である。すなわちそれは東方修道制のいたずらに厳格な道を避けて中庸の精神を堅持し,修道士の労働や定住義務を重視し,修道院の運営を組織化し,その自律性を物心両面で確立しようとしたもので,以後全西欧の修道士の遵守すべき基本準則となった。もっとも最近はこの会則と〈レグラ・マギストリ〉の名で伝わる起草者不明の会則との系譜関係が問題となり,研究の大勢は後者を先行文書とするほうに傾きつつある。もしそうだとすると,それを大幅に引用している会則の独自性はそれだけ弱まることになるが,それでも,この会則の簡潔な卓抜さはそこなわれることはない。彼の生涯を知らせる唯一の史料はグレゴリウス1世の手になる《対話》第2編のみであるが,記述の多くは奇跡物語で彼の事跡を伝えるところは少ない。
執筆者:今野 國雄
美術作品では一般に,白か黒の修道士服を着た髪の長い老人として表される。持物は,杖,本(会則),彼が妹スコラスティカScholastica(聖女)の霊として見たと伝えられる鳩のほか,伝説に登場するツグミ,割れた器,蛇のついたコップ,輝くはしごなど。肉体の欲望を消すため茨の中を裸でころがったという伝説から,裸の青年としても描かれる。妹,修道士マウルスMaurus,プラキドゥスPlacidusとともに表されることもある。祝日は3月21日。スコラスティカの祝日は2月10日。
執筆者:井手 木実
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西方キリスト教会修道制度の創設者。中部イタリアのヌルシアに名門の子として生まれ、ローマで哲学と法学を学んだが、中途で修道生活に入った。ローマ近郊のスビアコ付近の洞窟(どうくつ)に住み、古代東方に始まる苦行主義的傾向の強い禁欲生活を3年間続けたのち、その地の司祭のねたみを買い、529年少数の弟子とともにモンテ・カッシーノに移って修道院を設立、共住生活を根幹とする修道院制度の基礎を築いた。
ベネディクトゥスは「西欧修道制の父」とよばれているが、その功績はかかって彼の起草した戒律にあるといってよい。自己の体験をも踏まえて独修者の自己満足的修行の誤りを批判し、共同の定住生活に基づき「祈りと労働」をモットーとする組織的修行形式を規定した修道戒律を制定した。この戒律がその後の西欧修道生活の規範となったのである。
戒律の普及・発展に尽力した教皇グレゴリウス1世(在位590~604)は『対話』第二篇(へん)で自らベネディクトゥスの伝記を記録している。その内容は奇跡物語と教訓を主とするものではあるが、ベネディクトゥスに関するほとんど唯一の資料とされている。聖人。祝日は3月21日、7月11日。
[赤池憲昭 2017年12月12日]
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480?~547
イタリアのヌルシア生まれの修道者。西ヨーロッパの修道会制度の確立者。ローマで哲学,法学を学んだが,堕落を恐れて500年頃スビアコの独住修士となった。付近の修道者を厳格に指導したため迫害を受け,529年モンテ・カッシーノにベネディクト修道会を創設した。彼が539年に起草した同会会則は修道制の模範とされ,西ヨーロッパ風の社会的・実践的修道会活動の指針となった。
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…1378年以後39年間カトリック教会はローマとアビニョンとに2人の教皇をもって分裂し,歴史上〈大離教(シスマ)〉と呼ばれる事態が続いた。それを終わらせようと1409年に招集されたピサ教会会議は,ローマのグレゴリウス12世とアビニョンのベネディクトゥス13世とをともに罷免し,新たにアレクサンデル5世を教皇に選んだが,2人の前教皇が罷免を承認しなかったので,かえって3人の教皇が鼎立する結果となった。この異常な事態を解決するために神聖ローマ皇帝ジギスムントの強い要請に基づき,アレクサンデル5世の後任教皇ヨハネス23世が14年11月5日に招集したのがコンスタンツ公会議で,18年4月22日まで続いた。…
…スペイン東部バレンシア出身のドミニコ会士で,カトリック教会の聖人。アビニョンの教皇クレメンス7世を支持し,ベネディクトゥス13世の聴罪司祭となる。フランス,イタリアなどで異端に対して伝道し,当時しだいに激しくなりつつあったイベリア諸国の反ユダヤ主義思潮の中でも雄弁な説教家として活躍した。…
…18世紀には,吸血鬼をめぐる哲学的論争がしきりに戦わされた。ボルテール,ドン・カルメDom Augustin Calmet(1672‐1757),教皇ベネディクトゥス14世などが啓蒙主義的理性の立場から,吸血鬼現象を社会学的・病理学的・心理学的不安もしくは疾病として解明しながら,土俗的後進地に蟠踞(ばんきよ)する吸血鬼信仰をあばき,追いつめ,退治する。一方,19世紀初頭のロマン主義者はふたたび吸血鬼を擁護し,ノディエやゲレスが,吸血鬼の心的実在性をめぐる論陣を張ったが,産業社会の趨勢はすみやかに人々の意識から吸血鬼を消し去った。…
…1864年のピウス9世(1846‐78)の《謬説表(シラブスSyllabus)》は近代文化に対する世界観的挑戦であった。レオ13世(1878‐1903)はカトリック教会と近代世界との親しい関係を開き,ピウス10世(1903‐14)は教会内の信仰再生に努めたが,ベネディクトゥス15世BenedictusXV(1914‐22)とピウス11世(1922‐39)は戦争と革命による世界不安に直面し,ピウス12世(1939‐58)は第2次世界大戦の全人類的受難を背負わなければならなかった。〈教会は諸民族に出会わなければならない〉と述べたヨハネス23世JohannesXXIII(1958‐63)の牧者的精神はパウルス6世(1963‐78),ヨハネス・パウルス1世Johannes PaulusI(1978),さらにヨハネス・パウルス2世(1978‐ )に受け継がれている。…
…〈叙任権闘争〉と呼ばれるこの運動は,910年に建てられたクリュニー修道院に端を発する改革運動を前提とする。これは,教会と同じく社会的地位の向上した修道院内部の腐敗を〈ベネディクトゥスの会則〉の厳格な順守によって清め,かつ教会に対しては司祭の結婚と聖職売買(シモニア),およびドイツ王による司教と大修道院長の叙任の禁止を要求するものであった。ニコラウス2世(在位1058‐61)は1059年のローマ会議で教皇選挙に世俗人の参加を禁止する法を立て,政治的権力から離れた〈教会の自由〉を主張した。…
…フランスのボルドーに生まれた,ノラのパウリヌスも彼につづくすぐれたキリスト教詩人であるが,さらに優しい心情で聖フェリクス誕生の祝歌や,キリスト者の婚礼歌などをつくっている。 これにつづく5~6世紀は,帝国西部がゲルマン民族に攻略され,不安と騒乱に陥った時代で文学もまったく衰えたが,信仰の情熱は対比的にはげしくなり,アウグスティヌスの弟子である護教家オロシウスや,《神の統治について》などの著者サルウィアヌス,最もキリスト的な詩人といわれるセドゥリウスSedulius(470年ころ活動),散文では《哲学の慰め》で知られるボエティウスや,《教会史》を著作目録に含むカッシオドルスがあり,布教活動の面では,5世紀の教皇レオ1世ののち,ベネディクト会をはじめたベネディクトゥスと教皇グレゴリウス1世が特筆に値する。この3人はいずれも教義の確立や修道会の規制のため,説教,論説,書簡など多量の著述をもったが,ことにベネディクトゥスの〈修道会会則(ベネディクトゥス会則)〉は後世に大きな影響を与えた。…
…特に旧約時代末期,エルサレムの神殿内にできた会堂で行われた朝晩の《詩篇》による賛美と感謝の祈りは,司教座教会などで毎日行われるようになったキリスト教の朝晩の祈りに受け継がれ,さらに修道生活の日課の中で発展した。その構造は,ヌルシアのベネディクトゥスの会則の理想を具体化し,祈りと労働を交互に組み合わせ,中世修道院の生活様式と密接に結ばれたものであったが,キリスト者の絶え間ない祈りの理想として全教会に勧められるようになった。トリエント公会議後1558年に改訂された《ローマ聖務日課》は,中世修道院の原型をとどめ,これがすべての教役者に義務づけられることになった。…
…そこには写字室(スクリプトリウムscriptorium)が設けられ,ギリシア語の文献がラテン語に翻訳され,彼のおかげで古典的な学問が伝えられることになる。また529年ころベネディクトゥスはモンテ・カッシノに修道院をつくるとともに,いわゆる〈ベネディクトゥスの会則〉を定めたが,その中に読書や写本が日課として定められていた。このような修道院文化は,大陸から離れたイングランドやスコットランドでも営まれた。…
…ヌルシアのベネディクトゥスがモンテ・カッシノで創始した共住制修道会,および彼の妹スコラスティカScholasticaを中心として結成された女子修道会。広義には540年ころからベネディクトゥスが執筆した〈会則〉を採用するすべての修道会の総称。…
…パピルスに代わって羊皮紙が書物の主要な材料となり,書物の形も巻物から現在のようなとじ本に移った。中世における出版の歴史に忘れることのできない名は,ヌルシアの聖ベネディクトゥスである。彼はそれまでの観想的な修道生活を西欧的な対社会的・活動的生活に変えた人として記憶されるが,労働の一つとしての書物の出版が修道士のおもな仕事となり,修道院における写字彩飾室は,実質的にみて当時の出版所にほかならず,出版とは,書写彩飾された1冊の書物を長上の恩顧者に献納する宗教的な行為を意味した。…
※「ベネディクトゥス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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