イギリスの労働運動家、政治家。南ウェールズの炭坑労働者の家に生まれ、小学校卒業後、炭坑労働者として働いた。炭坑労働者組合の活動家として頭角を現し、1929年労働党下院議員となった。当初から党内左派に属し、1930年代にはクリップスなどと左派の新聞『トリビューン』を発刊、人民戦線運動も行った。第二次世界大戦中、労働党も参加した連立内閣の批判をやめなかったが、1945年労働党内閣が成立すると保健相に就任、国民医療制度の実現に指導力を発揮した。1951年労働相になったものの、3か月後、再軍備のための社会保障費削減に反対して辞任した。その後も左派の中心人物であったが、1956年ごろから左派とたもとを分かっていった。
[木畑洋一]
イギリスの労働党左派の政治家。南ウェールズの炭坑夫の息子。14歳で炭坑に入り,組合改革運動のサンディカリスムの影響をうける。中央労働カレッジで学び,1929年労働党所属の国会議員となり,34年同じく炭坑夫の娘で国会議員のジェニー・リーと結婚。左派機関紙《トリビューン》(1937-)の発刊に協力し,統一戦線・人民戦線運動を推進した。第2次大戦後はアトリー内閣の保健相(1945-51)として国民診療制度を導入し,公共住宅の建設を進めた。51年診療の一部有料化に反対して閣僚(当時は労働相)を辞任,ベバニズムと呼ばれる党内左派の中心となる。主著《恐怖にかえて》(1952)は民主社会主義の信仰告白であった。55年党首後継争いでゲーツケルに敗れる。左派は混合経済のコンセンサス政治を批判し,冷戦下の軍事優先策に抗議した。しかし57年党大会で〈交渉の場で外相を裸にする〉一方的核廃棄案に背を向け,翌年副党首となり,ベバニズムは終わった。
執筆者:都築 忠七
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