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社会保障 しゃかいほしょう social security

翻訳|social security

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

社会保障
しゃかいほしょう
social security

最低生活の維持を目的として,国民所得の再分配機能を利用し,国家がすべての国民に最低水準を確保させる政策をいう。保障される最低水準は,国により時代によって異なる。しかし少くとも労働力の再生産が可能な水準でなければならない。

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知恵蔵2015の解説

社会保障

社会保障という言葉が初めて用いられたのは、1935年制定の米国の社会保障法(Social Security Act)である。第2次世界大戦中の42年に出された英国のベバリッジ報告は、国民の最低限の生活水準(ナショナルミニマム)を提供することを提案し、社会保障の普及に影響を与えた。社会保障を構成する内容は各国で異なるが、国際労働機関(ILO)は社会保障の最低基準に関する条約で、医療、疾病、失業、老齢、障害など9つの給付を挙げている。戦後の日本では憲法25条に社会保障の基本理念を打ち出した。61年に国民皆保険国民皆年金が達成され、全国民を対象とした総合的な社会保障の基盤ができた。現行の社会保障体系は、社会保険(医療、年金、雇用、災害補償、介護)、児童手当公的扶助社会福祉公衆衛生戦争犠牲者援護などからなる。

(梶本章 朝日新聞記者 / 2007年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2015」
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デジタル大辞泉の解説

しゃかい‐ほしょう〔シヤクワイホシヤウ〕【社会保障】

国民の生存権を確保することを目的とする保障。日本では、社会保険(労災、失業、医療、年金、介護など)・公的扶助社会福祉事業・公衆衛生などから構成されている。→社会保障給付

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百科事典マイペディアの解説

社会保障【しゃかいほしょう】

国が国民の最低文化生活を保障する制度。この言葉が公的に使われたのは1935年米国で制定された社会保障法が初めとされる。日本では1950年の社会保障制度審議会の〈社会保障制度に関する勧告〉に基づいて整備されてきている。
→関連項目完全雇用国際社会保障協会社会保障憲章社会保障国民会議社会保障国民負担率奨学制度年金制度ビバリッジ報告

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世界大百科事典 第2版の解説

しゃかいほしょう【社会保障 social security】

われわれの生涯には,自分の力で生活を支えていくことを困難にする社会的危険や社会的事態に遭遇することが少なくない。このような生活不安に対して国民の一人一人に最低生活水準を保障し,生活の安定を図ることを目的として,国の責任で現金やサービスなどの給付を行う政策ないし制度を社会保障とよんでいる。今日,社会保障は福祉国家といわれる先進自由主義諸国において最も重要な公共政策になっているばかりでなく,体制の異なる社会主義諸国や発展途上国においても国民に対する生活保障の重要政策として広く受け入れられている。

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大辞林 第三版の解説

しゃかいほしょう【社会保障】

国家が国民の生活を保障する制度。日本では社会保険・公的扶助・社会福祉・公衆衛生などがある。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

社会保障
しゃかいほしょう
social security

現代資本主義生み出す貧困・生活不安などの生活問題に対して、国民生活を保障することを通して、国内・国外の社会主義に対抗しつつ現代資本主義国家を維持し、延命を図ることを目的とした生活保障政策をいう。社会保障という用語は、1933年アメリカ合衆国で経済保障あるいは所得保障にかわるものとして造語されたもので、それが35年社会保障法として初めて公用語として使用された。しかしその内容は、ヨーロッパ諸国の制度に追いつこうとしたものにすぎない。社会保障は、W・チャーチルの有名なことばを借りれば、「揺り籠(かご)から墓場まで」の国民生活を保障するものである。国民の生活は、失業、労働災害、傷病、老齢などの生活上の事故で所得が中断または永久に失われたり、支出が増大したりして、脅かされたり破壊されたりする。子供の誕生と養育とで支出が増加したりもする。また、年齢が若かったり逆に年をとりすぎていたり、また心身に障害があったりして、家庭生活を1人ないしは家族でできない場合もある。こうした事態に対する国家による個人または世帯単位での国民生活の保障策の総称を社会保障という。
 以上のことと現代日本の国民生活の現状とをあわせ、社会保障のライフ・サイクルごとの必要度をまとめると以下のようになる。
〔1〕幼年人口期(0歳以上15歳未満)の所得と家事の保障の必要度は、両親による扶養が当然なので、きわめてまれである。医療保障は、生涯を通じて不断に必要であり、その必要度はライフ・サイクルごとに大きな違いがある。施設出産が98%である今日、誕生時と直後の必要度は絶対的である。その後15歳前後をボトムに、加齢とともに高まる。
〔2〕生産年齢人口(15歳以上65歳未満)の所得保障の必要度は、雇用状況に影響される。完全雇用状態であれば必要度は小さい。2001年(平成13)以降、雇用不安状況にあり、高くなっている。医療と家事の必要度は、健康と家族環境に左右される。
〔3〕老齢人口期(65歳以上)の所得保障の必要度は、当然のこととして絶対的に高くなる。医療と家事の必要度は、身体状況と家族環境により決定され、しだいに高くなる。とくに医療は「畳の上では死ねない」といわれるように、病院で病名がついて死ぬのが今日の死に方であり、医療はまた絶対的に必要となってくるのである。
 こうして社会保障は、国民の生活を保障するため、まず健康を守るために医療を、ついで消費生活のために所得を、そして身の回りの世話のために家事を保障する。医療の保障は、日本を含め大多数の国における医療保険体系と、医療サービス体系とがある。医療保険体系は複雑で、(1)中核である医療保険、(2)医療保険を補完する各種医療保障制度、(3)最終的手段としての公的扶助による医療扶助、(4)業務上の傷病に対する労働者災害補償保険によって行われる。これに対して、医療サービス体系は、医療機関を公営化し、医療そのものを無償とするものである。イギリスなど8か国が実施している。医療保険の制度的限界を超えたものである。
 所得の保障にも2通りある。
〔1〕所得そのものの直接保障。所得保障の中核で、失業保険、医療保険の傷病手当金、年金保険などの社会保険、家族手当、公的扶助による生活扶助などがある。これらのうち中軸は年金保険で、最終的手段が生活扶助である
〔2〕所得補償。失われた労働能力に対する損失補償で、労働者災害補償保険で行う。家事の保障は、社会福祉と、一部を例外的に公的扶助で行う。
 このように社会保障は、(1)失業保険、労働者災害補償保険、医療保険、年金保険などの社会保険(医療に関しては医療サービス)、(2)家族手当、(3)公的扶助、(4)社会福祉の四本柱で構成されている。[横山和彦]

欧米の社会保障の歴史

社会保障が成立するためには、貧困を資本主義社会の社会的・必然的な産物としてとらえ、国家の責任で貧困対策を行うことが前提となる。社会保障前史である資本主義社会の成立期(15世紀末~1760年代)と確立期(1760年代~1870年代)にあっては、貧困は、個人の努力の不足、怠惰の招いたもので、「自然の刑罰」であると考えられ、貧困は個人の責任であるとされていた。これでは貧困対策は、国家的対策として実施される可能性はなかった。1531年以降イギリスで行われてきた救貧法は、「自然の刑罰」の執行人といったもので、労働能力非所有者であわせて家事能力非所有者である子供、老人、障害者、病弱者のみを対象とした社会保障前史に属するものである。西欧の先進資本主義諸国は、1873年の経済恐慌をきっかけとして20年余にもわたる慢性不況にみまわれた。慢性不況は、大量かつ長期の失業者を生み出した。さいわいに失業の憂き目にあわず雇用されていた労働者も、失業者の存在が重圧となって低賃金や劣悪な労働条件を押し付けられた。これらの結果、当然、貧困者は増大した。失業は「社会の疾病」と考えられるようになった。失業による貧困が一般化すると、貧困は、それまでのように個人の責任ではなく社会の責任であると理解されるようになった。こうして、国家は貧困に関して責任を問われるようになり、貧困対策は国家の責任となった。
 社会保障は、社会政策としてドイツで始められた。社会政策の中心は社会保険であり、1883年に疾病保険法、84年に災害保険法、89年に廃疾・老齢保険法が成立した。これらは「ビスマルクの社会政策三部作」とよばれた。それは慢性不況に伴う社会主義勢力の台頭に対する弾圧策=「ムチ」に対し、労働者階級の懐柔策としての「アメ」であった。慢性不況は、失業者という労働能力所有者ではあるが無所得者を生み出した。国家は、労働運動の激化に対処するために失業者を救済せざるをえなかった。そこで救貧法を所得保障策=公的扶助と家事保障策(あわせて所得保障策も行う)=社会事業とに発展的に解消することが求められた。
 貧困が社会的要因によるものであり、国家は公的に貧困者を保障する責任と義務があると考えられるようになると、貧困者には保障請求権があると了解されるようになり、しだいに公的扶助が確立した。こうして救貧法は公的扶助へと前進し、1891年、最初の公的扶助がデンマークで誕生した。さらに、貧困者対策の一翼を担うものとして家事保障策に特化していく社会事業も発足した。残された失業保険は、1911年、イギリスのロイド・ジョージの国民保険第二部として誕生した。26年には家族手当がニュージーランドで始められた。このように対労働者対策の社会保険と家族手当、貧困者対策の公的扶助、社会事業とに分かれていたこれらの制度は、29年に始まった世界恐慌をきっかけに第二次世界大戦中および戦後を通して、国民すべての生活を等しく守る社会保障へと発展したのである。
 社会保障への前進には、貧困要因の変化が必要であった。社会保障は、失業、不規則労働、低賃金という「都市型貧困」には基本的に対処できない。これらに対応できるのは労働政策である雇用政策、最低賃金政策である。社会保障の確立には、貧困要因が病気、老齢という「身体的要因」へ移行することが不可欠である。この変遷は、第二次世界大戦終了後初めてS・ロウントリイによって証明された。また、社会保障の成立には積極的財政政策を可能とする金本位制にかわる管理通貨制の採用が必要であった。この導入は1930年代に行われていた。社会保障への転身には、これら経済的要因に加えて政治的な要因も必要であった。46年から始まった冷戦体制に基づく体制優位競争が、政治的要因をもたらした。資本主義諸国は、社会主義の理念である結果の平等を社会保障の実施で達成しようとしたのである。
 現代資本主義社会において、組織的な社会保障が政策課題となったのは第二次世界大戦後のことである。高度経済成長のもとで完全雇用状態が出現し、被用者の生活安定が雇用の保障とともに達成されるようになった。ついで、社会保障によって労働能力をもたないものの生活が保障されるようになったのである。社会保障は、まず公的扶助を中心に貧困対策として展開された。ついで、高度経済成長とともに貧困は解決され、社会保障の中核は医療保険による健康保障に移り、国民の健康が維持されて長寿が一般化する。そのため、人口の高齢化とともに年金保険が社会保障の主役となる。こうして社会保障は、年金保険による所得保障、医療保険による健康保障、それに老人福祉による家事保障が三位一体となり、老齢者の生活保障策として展開されるようになる。このように高齢化社会においては社会保障が最重点政策課題となるのである。[横山和彦]

日本の社会保障の歴史


前史
日本の社会保障の前史は、1874年(明治7)の恤救(じゅっきゅう)規則に始まる。恤救規則は、きわめて制限的に実施され、救済率は低く(全実施期間の救済率は0.3%)、国民生活を保障するものではなかった。日本は第一次世界大戦下において未曽有(みぞう)の好況を経験した。しかしその間、国民の生活は好況に伴う物価高騰、とくに米価の騰貴のため窮乏化し、社会不安を増大させた。1918年(大正7)には米騒動が勃発(ぼっぱつ)し、初めて貧困問題が日本資本主義を根底から揺り動かし、労働運動もロシア革命の影響を受けて闘争主義的傾向を強めた。20年には第一次世界大戦の反動で「戦後恐慌」に襲われた。この反動恐慌後、日本経済は「二三年恐慌」、「金融恐慌」(1927)、「昭和恐慌」(1930)と不況から不況へとよろめき歩き、慢性不況の過程をたどった。慢性不況に伴った失業問題、農業問題は、放置しがたい深刻さを加えていった。[横山和彦]
社会保険の制定
こうしたなかで1922年、日本最初の社会保険法である健康保険法が制定され、24年施行予定であった。しかし、関東大震災のため準備が遅れて27年(昭和2)施行となった。健康保険は、ブルーカラーのみを対象としホワイトカラーを排除していた。慢性不況は恤救規則では対処しきれない貧困問題を生み出した。29年救護法が制定され、30年施行予定であった。しかし、内閣が交替し政策がかわり、施行は無期延期となってしまった。「天皇の赤子(国民のこと)をして飢えしむるなかれ」という天皇制国家の理念を逆手にとった民生委員の前身である方面委員、社会事業関係者を中心とした救護法実施期成同盟の運動により、ようやく32年施行となった。慢性不況は農業恐慌という形もとり、農民の生活をも破壊した。そこで38年に貧困と疾病との悪循環を断ち切るために農民保険として国民健康保険法を制定、実施した。39年には国防上の海運政策から船員保険法が制定され、翌年から実施された。船員保険は医療保険部門と日本最初の年金保険部門からなっていた。船員保険の年金保険部門をきっかけに陸上労働者のための労働者年金保険法が41年に制定され、翌年から実施された。労働者年金保険は軍需インフレ防止のための国民の購買力の封鎖減殺と、労働者移動防止対策いわゆる労働者の足止め策として設けられ、労働者の老後生活保障のためではなかった(一部でまだ主張されている戦費調達のためでもない)。44年には制度改正とともに時局に調和した名称、厚生年金保険法に改められた。
 社会保障は、GHQ(連合国最高司令官総司令部)が行った一連の民主化政策の一環として発足した。被占領期の社会保障はまず、1946年(昭和21)制定・施行の生活保護法(旧)である。救護法にとってかわった軍事扶助法を中心とした戦時社会政策は、非軍事化・民主化という占領政策に反していたからである。さらにその後、社会経済状況の変化に対応して50年に現行の生活保護法にとってかわられた。ついで、失業保険法、労働者災害補償保険法が47年に制定、実施された。失業保険はまったくの新顔であり、労働者災害補償は健康保険、厚生年金保険が代替していた。これで日本の社会保険は、失業保険、労働者災害補償保険、医療保険、年金保険からなる形の整ったものとなった。これに、生活保護の特別法という性格をもち生活保護を補完する緊急対策である児童福祉法(1947年制定、翌年施行)、身体障害者福祉法(1949年制定、翌年施行)が加わる。[横山和彦]
国民皆保険体制
日本経済の1955年から73年までの高度成長は、完全雇用を達成して日本を「豊かな社会」にした反面、ひずみも生み出した。社会保障の第2期である。56年になると国民各階層間の所得格差の是正が問題となり、中小企業の福利厚生施設の不足、社会保険の未適用など社会保障の不備が指摘されるようになった。58年国民健康保険法は改正され、翌年から施行され、61年から完全実施となり「国民皆保険」体制となった。農民保険として発足した国民健康保険は、新たな普及対象が都市の中小企業労働者であったことの結果、都市の中小企業労働者向けの都市保険に変身したのであった。59年には国民皆保険体制を必要とした要件に、次の要因が加わって国民年金法が制定された。国民年金は、まず当面の課題である老齢者、母子世帯、身体障害者などに対する所得保障策としてと、地方公共団体の「敬老年金」の国策化要望にこたえるためであり、これには福祉年金がこたえた。次に、年金保険未加入者対策と人口の老齢化対策が求められ、これには拠出制国民年金がこたえた。保険料負担のない無拠出制国民年金(福祉年金)が59年に実施され、61年に拠出制国民年金が実施されて、「国民皆年金」体制への道を歩み始めた。受給資格に保険料負担実績を問わない医療保険は、実施とともに給付体制が確立する。これに対し、保険料負担実績を問題とする年金保険は、給付体制が実現化するのに何十年もかかる。「国民皆保険」体制は発足と同時に達成したが、「国民皆年金」体制の確立は1980年代に入ってからであった。[横山和彦]
社会福祉理念の具体化
1960年代前半には所得格差というひずみへの対策のほかに、積極的社会福祉理念の具体化が求められた。これにこたえたのが精神薄弱者福祉法(1960年制定、施行)、老人福祉法(1963年制定、施行)、母子福祉法(1964年制定、施行)、母子保健法(1965年制定、翌年施行)、心身障害者対策基本法(1970年制定・施行)などである。これらのうち老人福祉法は、世界最初の老人に対する単独独立福祉立法である。71年には、日本の社会保障制度中ただ一つ欠けていた家族手当が、児童手当法という法律名で制度化され、翌年から施行された。これにより日本の社会保障は、西欧並みの社会保険、家族手当、公的扶助、社会福祉の四本柱で構成されるものとなった。児童手当法を制定させた要因は、消費者物価の上昇、賃金構造の変化、教育費と養育期間の増大などである。高度経済成長期の社会保障制度の新設・改正の動きは以上のようであるが、これに、改正年はオイル・ショック後の低成長経済期の74年(施行は翌年)にずれ込んではいるが、高度経済成長期的視点の制度改正である失業保険の全面改正による雇用保険法が付け加えられる。[横山和彦]
社会保障熟成・変容期
日本の社会保障は1970年代になると充実しだし、政府は「福祉国家」を標榜(ひょうぼう)し始め、73年度の予算編成にあたって73年を「福祉元年」と宣言し、財政政策の一つに国民福祉の向上を取り上げた。福祉元年の内容の第一は、71年から始まった拠出制国民年金の「10年年金」の給付開始である。第二は、72年からの児童手当の給付開始である。第三は、73年からの老人医療費支給制度の発足である。これは70歳以上の老人の自己負担分を国・地方公共団体などが肩代り負担するものである。一般に「老人医療の無料化」といった。第四は、健康保険の給付の改善、保険財政の健全化である。給付の改善の中心は、家族給付率の5割から7割への引上げと、高額療養費支給制度の新設である。保険財政の健全化は、政府管掌健康保険(以下、政管健保)における83年度末までの累積収支不足額(約3033億円)の棚上げと、政管健保についての定率10%国庫負担の新設などである。第五は、73年の年金保険の改正による「5万円年金」の実現と物価スライド制の導入である。これによりこの年は「年金の年」ともいわれた。
 1973年秋に始まった第一次オイル・ショックは、あらゆる社会的、経済的事象をさま変わりさせ、日本経済は低成長期に入った。ただし、完全雇用状態は維持され続けた。順調な経済成長のもとで質的、量的に拡充・成熟してきた社会保障は、経済成長の鈍化とともに変容を迫られた。政府の社会保障に対する態度は一変した。社会保障は、「社会的不公平の是正」策というプラス・シンボルから「金食い虫」というマイナス・シンボルへと転落した。73年の「福祉元年」の「成長否定・福祉優先」政策による福祉国家志向から、75年の「福祉見直し論」の出現、さらに80年代初めの「自助努力論」の流行と、社会保障をめぐる世論も目まぐるしく変わった。こうして社会保障政策は、「財政危機」を回避するための国庫負担の軽減、国民負担の増大を求めるものに変わってきた。[横山和彦]
社会保障制度改革
1980年代前半、日本も欧米先進資本主義諸国に後れて社会保障の制度改革に取り組まなければならなくなった。その要因の第一は、高度経済成長期に体系が形づくられた社会保障制度、なかでも年金保険の成熟化に伴う社会保障関係総費用の増大である。第二は、オイル・ショックに基づく労働力需給の頭打ちと失業者の増大による被用者社会保険の被保険者数の増加の鈍化、賃金上昇の低迷による保険料収入の伸び悩み、高度経済成長期に決定した給付水準が財政的に重荷になってきたことなどである。第三は、社会保障の充実が国庫負担の比率を伸ばす方向で行われてきたことである。第四は、これらの結果としての一般会計予算に占める社会保障関係費の拡大である。第五は、国庫負担をまかなう歳入の中核である租税がやはり経済成長の鈍化に伴い伸び悩み、赤字国債への依存度を上昇させて、財政赤字を顕在化させたことである。第六は、社会保障、とくに年金保険、老人福祉の与件である人口の老齢化の進行である。第七は、医療保障の与件となる医学の進歩に伴う医療技術の高度化、高額医療機器の普及、医薬品の高額化などによる医療費の高騰である。これには人口の高齢化による有病率の上昇、疾病の慢性化、疾病構造の変化なども付け加えられる。
 これらの諸要因と、高度経済成長に基づく産業構造の変化が生み出した就業構造の近代化と高度化=第二次・第三次産業就業者の増大と被用者比率の上昇とが、1980年代前半において一連の社会保障の制度改革を求め、実施に移されている。改革の第一段階は、これまでの日本の社会保障の中核で費用の大半を占めていた医療保険を中心とした医療保障分野で行われた。73年に始まった老人医療費支給制度は、医療保険の自己負担分の公費肩代りにすぎないものを厚生省(現厚生労働省)が「老人医療の無料化」としたため老人医療費の急増を招き、国庫負担を増大させた。そこで、82年、老人保健法を制定し、各医療保険保険者にも費用を負担させ、国庫負担減を図ることにした。さらに、84年からは被用者医療保険本人の給付を1割自己負担とし、受診の抑制を図り医療費の伸び率を押し下げることにした。また、退職者医療制度を創設し、被用者医療保険にも費用負担させ、国民健康保険と国庫負担の軽減をねらい、負担の公平化を図ることにした。
 第二段階は年金保険の改革である。年金保険の費用は、年金保険の成熟と老人人口の増加により必然的に急増し、国庫負担も巨額なものとなる。国民年金は、産業構造の変化に伴う就業構造の近代化と高度化により新たな加入者の増加は望めず、制度存立の基盤が不安定となることは避けられない。ほかの年金保険においても制度の安定的運営が困難なものもある。そこで、公的年金保険を長期にわたり健全かつ安定的に運営していくために制度体系の大幅な再編成を行うことにし、1986年から実施した。その内容は、国民年金を全国民共通の基礎年金を支給する制度とし、財源は厚生年金保険加入者を中核に加入者全体で公平に負担していく。基礎年金の導入により女性の年金保障の確立(ただし基礎年金だけ)、世帯類型に応じた給付水準の適正化を図る。さらに、将来の制度の成熟化を考慮に入れて、給付水準の適正化を行い保険料負担の軽減を図り、最終的に国庫負担を削減する、といったものである。
 第三段階は児童手当である。1985年に制度改正を行い、支給対象児童をこれまでの「第3子以降中学校卒業まで」を「第2子以降義務教育就学前」に、86年度から88年度にかけて段階的に移行していくこととした。
 第四段階は生活保護である。その第一は、生活保護基準の算定方式を一般勤労者の所得水準に近づける「格差縮小方式」から、一般国民の消費水準の向上にあわせて定める格差維持の「水準均衡方式」に1984年度から改めたことである。その第二は生活保護費の国庫負担の一部地方公共団体への転嫁である。国8割、地方2割の負担を、85年度から国7割、地方3割とした。
 第五段階は社会福祉である。1980年代以降、社会福祉は、施設収容から在宅福祉へ、社会福祉サービスの原則無料から有料へ、公的サービスの民間サービスによる部分的肩代りへといった動きをみせている。
 1980年代前半の「財政危機」と高齢化社会に対応する社会保障の制度改革に共通して認められたのは、国庫負担の軽減化と、これと引き換えの国民負担の増大である。この結果、社会保障から国家が後退し、社会保障の私的保障化が進められることになった。その後、1989年(平成1)策定の「高齢者保健福祉推進十か年戦略」(ゴールドプラン)で、三位一体の老齢者の生活保障を主眼とした社会保障が展開されるようになったのである。94年には、高齢者介護対策の充実を図るためゴールドプランを見直した「新ゴールドプラン」、さらに子育てを社会的に支援していくための「今後の子育て支援のための施策の基本的方向について」(エンゼルプラン)が策定された。[横山和彦]
高齢者介護問題
1990年代なかばになると、高齢者介護問題が老後の不安要素となった。要因の一つは、急速な高齢化の進展に伴う寝たきり、認知症の老人の増加である。二つめは、核家族化、女性の職場進出の長期化による家族の介護機能の低下である。高齢者介護は、これまで老人福祉と老人保健で行われていた。利用手続、利用者負担の不均衡、それに老人保健にみられた「社会的入院」の経費増大が問題とされた。そこで、両制度を再編成し、介護サービスを総合的に利用できるようにし、老人保健の財政負担の軽減を図ることとした。1997年12月、オランダ、ドイツに続いて世界3番目の介護を目的とした単独立法である介護保険法を制定し、2000年4月から施行した。また1999年12月には「新ゴールドプラン」後の施策として、介護サービス基盤の整備、認知症高齢者支援対策の推進などを目ざす「ゴールドプラン21」を策定、2000年度には介護保険を円滑に実施するための「介護予防・生活支援事業」が創設された。[横山和彦]

現況・課題

1990年代以降の社会保障は、91年2月のバブル経済の破綻(はたん)、12月のソ連崩壊で新しい歩みを始めた。失業の再登場と社会保障発展の政治的促進要件の喪失とが、ともに出現したのである。失業問題は、労働者の生存条件を否定し、国民生活の安定を欠かせた。また社会保障の大前提をなきものにした。ソ連の崩壊は、結果の平等を求める力を失わせた。社会保障は、1980年代前半からなかばにかけての「制度改革」以降の縮小再生産の傾向をますます強めている。
 完全失業率は、安全水準と考えられていた3%を、1994年橋本内閣のときに超え、98年の小渕(おぶち)内閣時には4%を、2001年の小泉内閣時には5%を上回った。この結果、被用者社会保険適用者数は、1997年度をピークに以後微減傾向にある。完全失業率の上昇は、当然のこととして賃金水準の低下を生み出す。被用者社会保険平均標準報酬月額はやはりこの影響を受け、97年度をピークに以後逓減傾向を示している。これらの要件が重なり合って、被用者社会保険保険料は、99年度から減少している。高齢化、失業などによる社会保障給付費の増大に反する保険料収入の逓減傾向は、社会保障財政悪化の大きな要因となっている。
 社会保障給付費は、1970年度3兆5239億円、80年度24兆7336億円、90年度47兆2203億円、2000年度78兆1272億円と年々増加している。また対国民所得比も、70年度5.77、80年度12.41、90年度13.45、2000年度20.53と増加している。社会保障給付費の部門別推移は、70年度医療部門58.9%、年金部門24.3%、社会福祉その他16.8%だったが、高齢化、年金保険の成熟などにより、81年度年金部門が43.7%を占め、これまで首位の座を占め続けていた医療部門41.8%を初めて超えた。以後「年金」と「医療」の構成割合の格差は広がり続け、90年度年金50.9%、医療38.9%、福祉その他10.2%、2000年度は年金52.7%、医療33.3%、福祉その他14%の構成比となっている。また高齢者関係給付費は73年度1兆5641億円(社会保障給付費に占める割合25%)、80年度10兆7514億円(同43.4%)、90年度27兆9262億円(同59.1%)、2000年度53兆1982億円(同68.1%)と著しく増加している。
 現代日本の社会保障は、ライフ・サイクルごとの社会保障の必要度と高齢化を反映して高齢者世帯の生活保障策となっている。年金・恩給はもちろん、医療も高齢者が最大の受給者である。一般世帯で子供である生産年齢人口が費用を負担し、老親である高齢者世帯の生活を保障している。高齢者世帯は直接的受給者、一般世帯は間接的受給者となり、社会保障は2世代にわたる生活保障策となっている。
 中央一般会計歳出決算(目的別)に占める社会保障関係費は、若干の年度を除くと、1975年度以降、地方財政費、国土保全および開発費をおさえトップである(恩給費を加えると、やはり若干の年度を除くが、20年も早い1955年度以降第1位である)。このことは社会保障を不可欠とする現代資本主義国家=福祉国家の様相を日本も示していることを意味している。
 現在の日本の社会保障は、2020年代に迎える人口高齢化のピークに対処する制度づくりを模索している。それは、一方において経済成長の停滞と人口の高齢化のいっそうの進行による社会保障財政の逼迫(ひっぱく)の恐れと、他方における社会保障に対する国民の期待の増大のなかにあっての社会保障のあり方の検討である。年金保険においては、厚生年金の支給開始年齢が60歳から65歳に引き上げられることになった。高齢者介護については、前述したように1997年に介護保険法が成立した。医療保障では、制度間の負担と給付の一元化の問題がある。つぎに問題とされるのは、医療保障と社会福祉(具体的には老人福祉)との総合化とネット・ワークづくりである。医療・福祉サービスの連携は、介護サービス・ネットワークとよばれ、介護サービス、医療・保健・看護サービスの総合システム化をさらに進めた横断的有機的な連携組織のことである。
 具体的な社会保障の課題としては、高齢化のピーク期においても安定した年金保険の構築、地域のニーズに即応した効率的な保健医療福祉システムの確立、寝たきり老人などに対する介護対策の充実、次代を担う児童の健全育成などがあげられる。[横山和彦]
『佐口卓著『日本社会保険制度史』(1977・勁草書房) ▽横山和彦著『社会保障論』(1978・有斐閣) ▽樫原朗著『イギリス社会保障の史的研究』全4巻(1980~93・法律文化社) ▽東京大学社会科学研究所編『福祉国家』全6巻(1984~85・東京大学出版会) ▽小川政亮著『社会保障権――歩みと現代的意義』(1989・自治体研究社) ▽横山和彦・田多英範編著『日本社会保障の歴史』(1991・学文社) ▽社会保障研究所編『社会保障の財源政策』(1994・東京大学出版会) ▽堀勝洋著『社会保障法総論』(1994・東京大学出版会) ▽柴田嘉彦著『世界の社会保障』(1996・新日本出版社) ▽地主重美・堀勝洋編『社会保障読本』第2版(1998・東洋経済新報社) ▽村上雅子著『社会保障の経済学』第2版(1999・東洋経済新報社) ▽武川正吾・小松隆二・城戸喜子・古瀬徹・丸尾直美・藤井良治・藤田伍一ほか編『先進諸国の社会保障』全7巻(1999~2000・東京大学出版会) ▽武川正吾・佐藤博樹編『企業保障と社会保障』(2000・東京大学出版会) ▽伊奈川秀和著『フランスに学ぶ社会保障改革』(2000・中央法規出版) ▽堀勝洋編著、大曽根寛・川村匡由・小島晴洋・田中耕太郎・寺本尚美・矢野聡著『社会保障論』第2版(2000・建帛社) ▽ヘンリー・J・アーロン、ジョン・B・シァバーン著、石塚秀雄訳・坂根利幸解説『社会保障は民営化すべきか』(2000・同時代社) ▽新田秀樹著『社会保障改革の視座』(2000・信山社出版) ▽菊池馨実著『社会保障の法理念』(2000・有斐閣) ▽坂本重雄著『社会保障の立法政策』(2001・専修大学出版局) ▽小西国友著『社会保障法』(2001・有斐閣) ▽京極高宣著『21世紀型社会保障の展望』(2001・法研) ▽佐藤進著『労働法と社会保障法』(2001・信山社出版) ▽張紀潯著『現代中国社会保障論』(2001・創成社) ▽日本社会保障法学会編『講座社会保障法』全6巻(2001・法律文化社) ▽小塩隆士著『社会保障の経済学』第2版(2001・日本評論社) ▽吉沢昌恭・藤井玲子著『社会保障と老人心理』(2001・法律文化社) ▽高藤昭著『外国人と社会保障法――生存権の国際的保障法理の構築に向けて』(2001・明石書店) ▽C・ギリオン、J・ターナー、C・ベイリー、D・ラテュリッペ編、渡部記安訳『社会保障年金制度――発展と改革』上(2001・法研) ▽坂脇昭吉・中原弘二編著『現代日本の社会保障』新版(2002・ミネルヴァ書房) ▽国立社会保障・人口問題研究所編『社会保障と世代・公正』(2002・東京大学出版会) ▽西原道雄編『社会保障法』第5版(2002・有斐閣) ▽荒木誠之著『社会保障法読本』第3版(2002・有斐閣) ▽森健一・阿部裕二著『構造的転換期の社会保障――その理論と現実』(2002・中央法規出版) ▽相沢与一編『社会保障構造改革――今こそ生存権保障を』(2002・大月書店) ▽小沢修司著『福祉社会と社会保障改革――ベーシック・インカム構想の新地平』(2002・高菅出版) ▽伊藤周平著『「構造改革」と社会保障――介護保険から医療制度改革へ』(2002・萌文社) ▽秋元美世・一円光弥・栃本一三郎・椋野美智子編『社会保障の制度と行財政』(2002・有斐閣) ▽工藤恒夫著『資本制社会保障の一般理論』(2003・新日本出版社) ▽「21世紀における社会保障とその周辺領域」編集委員会編『21世紀における社会保障とその周辺領域』(2003・法律文化社) ▽松本勝明著『ドイツ社会保障論1 医療保険』(2003・信山社出版、大学図書発売) ▽『社会保障の手引――施策の概要と基礎資料』(2003・中央法規出版) ▽日本経済研究センター編著、八代尚宏著『社会保障改革の経済学』(2003・東洋経済新報社) ▽佐口卓・土田武史著『社会保障概説』第4版(2003・光生館) ▽健康保険組合連合会編『社会保障年鑑』各年版(東洋経済新報社) ▽社会保障入門編集委員会編『社会保障入門』各年版(中央法規出版) ▽広井良典著『日本の社会保障』(岩波新書) ▽竹本善次著『社会保障入門――何が変わったかこれからどうなるか』(講談社現代新書)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
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