ベリーニ一族(読み)ベリーニいちぞく

改訂新版 世界大百科事典 「ベリーニ一族」の意味・わかりやすい解説

ベリーニ一族 (ベリーニいちぞく)

ベネチア画家一族。父子2代にわたってルネサンス期ベネチア派の形成に指導的な役割を演じた。

(1)ヤコポJacopo Bellini(1400ころ-70か71)はジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ弟子で,師の後期ゴシック様式の影響を強く受けて画風を形成する。36年ベローナ大聖堂に《キリスト磔刑》(消失)を制作。51年フェラーラで君主リオネロ・デステの肖像画コンクールでピサネロを破る。記録に残る主要作品の多くは消滅し,何点かの小型の聖母子画が残るだけであるが,その欠落は,美術史的に貴重な2冊の大型の〈素描帖〉(ルーブル美術館,大英博物館)が補っている。そこでは,遠近法的建築空間の探究とゴシック的な説話表現の矛盾がヤコポの芸術の過渡的性格を示しているが,それと同時にベネチア派特有の物語性の後退した観照的空間表現が先駆されている。

(2)ジェンティーレGentile Bellini(1429-1507)はヤコポの嫡子で,才能のうえでは異母兄弟ジョバンニに遠く及ばないものの,父の工房の正式の後継者として15世紀末のベネチア画界で権勢をふるった。69年皇帝フリードリヒ3世の肖像を描いて爵位を受け,77年共和国公認画家に就任。79年コンスタンティノープルに招かれオスマン帝国のスルタン,メフメト2世の肖像を描く。サン・マルコ同信会館(1466-85)やパラッツォ・ドゥカーレの大評議会室(1474以降)のための装飾は消失したが,代表作としてサン・ジョバンニ・エバンジェリスタ同信会館のための《サン・マルコ広場の行列》や《十字架の奇跡》が残る。父ヤコポやマンテーニャの影響が強いその様式は,散文的で劇性にも詩情にも乏しいが,彼の歴史的意義は,カルパッチョからカナレットにまでつながるベネチア独特の街景画(ベドゥータveduta)のプロトタイプとなる大物語構図を確立したことにある。

(3)ジョバンニGiovanni Bellini(1430ころ-1516)はヤコポの庶子。15世紀後半のベネチア派最大の画家で,一族の3人のうちで最も傑出した才能を示す。初期にはマンテーニャの硬質な線的彫刻的フォルムとパセティックな主題解釈の影響を強く受けるが(ブレラ美術館の《ピエタ》等),70年代以降,徐々に柔軟で暖かい色彩的感受性に富んだ絵画的様式を発展させ,宗教的主題の解釈にも親密な人間的情感が色濃くなる。70年代半ばマルケ地方に旅行。ピエロ・デラ・フランチェスカの影響を吸収して,ペーザロの《聖母戴冠》(1474ころ)においてモニュメンタルな色彩様式を確立する。このころ,技法的にも油彩技法を新しく開拓している。兄ジェンティーレと並ぶ大工房主として1480年代から1510年ころにかけてベネチア画界に君臨し,多くの弟子を用いて,小型の聖母子画,個人用の小型宗教画,大祭壇画,肖像画等を量産した。その署名〈JOANNES BELLINUS〉は一種の工房の商標として高い権威をもった。様式的には80年代以降,フォルム,色彩,空間の絵画的融合がいっそう成熟してジョルジョーネの詩情に富んだ空間を準備し,人物を包み込む自然と光の詩的な探求が近代的な風景画への道を切り開く。晩年の代表作としては《荒野のフランチェスコ》《キリストの変容》《サン・ジョッベ祭壇画》《聖なる寓意》《サン・ザッカリア祭壇画》《神々の祝宴》等がある。良き師であった彼の工房からは,16世紀ベネチア絵画の黄金時代を築く多くの俊英画家,ジョルジョーネ,ティツィアーノ,セバスティアーノ・デル・ピオンボ等が輩出した。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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