死せるイエス・キリストを膝に抱いて嘆き悲しむ聖母マリア像。14世紀初頭にドイツで創出された新しい図像で,埋葬する前にわが子を抱きしめて最後の別れを告げる聖母を,説話の時間的・空間的関係から切り離して独立像に仕立てたもの。中世末期に出現したいわゆる〈アンダハツビルトAndachtsbild(祈念像)〉の一つで,個人が自己の魂の救済を願ってその前で祈ることを目的として作られた。ドイツでは〈フェスパービルトVesperbild(夕べの祈りの像)〉と呼ばれ,これは埋葬の祈りが聖金曜日の夕べにささげられることに由来する。この像の成立の経緯はつまびらかではないが,H.ゾイゼなど神秘主義者の著作との関係がしばしば指摘されている。また,造形的には,死せるキリストが幼子のように小さい作例もあることから,この像は聖母子像の幼子をキリストの遺骸に置き換えることによって生まれたのではないかとも考えられる。聖母の悲痛な表情,硬直したキリストの肉体のなまなましい聖痕は,見る者に苦痛と悲しみの感情を呼び起こさずにはいない。イタリアでは15世紀以降作例が見られるようになり,〈ピエタ〉(〈哀れみ〉の意)と名づけられた。ミケランジェロの《バチカンのピエタ》(1500ころ)は伝統的な図像にのっとりながら,若く美しい聖母と理想化された肉体をもつキリストによって,この主題にまったく新たな表現を与えている。しかし晩年の《ロンダニーニのピエタ》(1564ころ。未完)に至ると,聖母とキリストは垂直に重なる独自の群像を形づくることになる。絵画においても,フランスの逸名の画家の名作《アビニョンのピエタ》(15世紀末)など多くの作例がある。ピエタは原則として聖母とキリストの2人の像であるが,福音書記者ヨハネ,マグダラのマリアや聖女たちなど〈キリストの哀悼〉に登場する人物や寄進者が加わることもある。ルネサンス以降,キリストが聖母の膝の上ではなく,足元に横たわる,より自然な構成も用いられるようになった。
執筆者:荒木 成子
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キリスト教美術において、キリストの遺体を膝(ひざ)の上に抱き悲嘆に暮れている聖母マリアの姿を表した礼拝図像のこと。この「ピエタ」をもとにした、多くの人物で構成された「哀悼」とよばれる物語図像と区別される。「ピエタ」ということばは「敬虔(けいけん)な同情」という意味のイタリア語で、語源はラテン語のピエタスpietas(敬虔)である。しかし、この図像そのものは、元来イタリアで形づくられたものではなく、1300年ごろライン地方の諸修道院で礼拝像の一形式として成立したものである。それは、キリストの死去を記念する「聖金曜日」の礼拝の対象として使用され、ドイツではこの種の礼拝像をベスパービルトVesperbild(晩課祈祷(きとう)像)と称した。
14世紀にさかのぼるドイツ彫刻の「ピエタ」の場合、聖母マリアの悲痛に満ちた表情やキリストの傷痕(しょうこん)に覆われた裸身の描写など、しばしば非常に写実的に取り扱われた。この人間的悲哀を強調する主題は、14世紀末に全ヨーロッパを襲った大疫病や百年戦争の災厄が引き起こした熱烈な宗教感情の展開と結び付いて広く世に流布し、15世紀から16世紀にかけてフランスやイタリアまで普及し、数多くの名品が制作された。たとえば、ルーブル美術館の『アビニョンのピエタ』はフランス・ゴシック絵画の傑作であり、イタリア・ルネサンスの巨匠ミケランジェロの「ピエタ」三部作(バチカンのサン・ピエトロ大聖堂、フィレンツェ大聖堂、ミラノのカステロ・スフォルツェスコ)は賛嘆すべき崇高な作品として名高い。しかし、三部作のうち『ロンダニーニのピエタ』とよばれるミケランジェロ晩年の作品では、聖母マリアは直立し、死せるキリストの遺体を背後から支えており、正統的な図像から離れ、新しい解釈が持ち込まれている。
[大築勇喜嗣]
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…作品はほとんどすべて建築装飾として制作されている。44年パリで建築家レスコに協力し,サン・ジェルマン・ローセロア教会のジュベ浮彫装飾を制作,そのひとつ《ピエタ》にはパルミジャニーノの版画の影響がみられる。49年,アンリ2世のパリ入市の式典装飾として制作された建造物のひとつ〈イノサンの泉〉を飾る浮彫パネルを完成した。…
…また当時,おそらくロレンツォのために,古代ローマの浮彫の様式に倣って激しい動感に満ちた高浮彫《ケンタウロスの戦》を制作している。94年短期間ボローニャに滞在した後,96年にはローマに行き,《バッコス》および《ピエタ》の大作彫刻を仕上げる。前者は若いミケランジェロの完璧な技術と解剖学的知識を示しており,後者は盛期ルネサンスの古典主義彫刻の代表的作品である。…
…とくに,息絶えたわが子を膝の上に抱いて嘆き悲しむ聖母の姿は,西洋の中世末期に至って独立した主題として彫刻となり画像となった。いわゆるピエタで,それがラインラントを中心としてヨーロッパ各地に広がり,《アビニョンのピエタ》,ミケランジェロの《バチカンのピエタ》などの名作を生んだ。 マリアの晩年の図像には,〈キリストの昇天〉〈聖霊降臨〉に登場するほか,マリアを主役とする図像に〈聖母の死〉(〈聖母の眠りDormitio〉),〈埋葬〉〈被昇天〉〈聖母の戴冠(たいかん)〉と続く。…
※「ピエタ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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