フランスの画家。アビニョン生れ。1734年より20年間イタリアに滞在し,43年ローマの画家組合に登録。ローマ,ティボリ,ナポリなどの風景,海景を主として描く。コローの先駆というべき繊細な光の表現が《ポンテ・ロット》(1745)などにうかがえる。53年帰国し,アカデミー会員となる。フランスの主要な港を描く15点の海景では,光の表現はいっそう劇的な効果を高める。またフラゴナール風の浴女も描くが,好んで題材とした嵐の風景は,19世紀風景画,またロマン派の先駆的な表現とみることができる。
息子アントアーヌ・シャルル・オラースAntoine Charles Horace V.(1758-1836)も画家で,最初は歴史画などを手がけるが,やがてリトグラフに専心する。その息子オラースHorace V.(1789-1863)はナポレオン時代,王政復古期にまたがるロマン主義の風景画家,歴史画家として知られる。とくに友人のルイ・フィリップが即位後の1833年,ベルサイユ宮殿に設けた〈フランスの栄光〉に献げられた歴史美術館に,革命時の戦争,クリミア戦争の挿話などを制作した。
執筆者:中山 公男
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ドイツのジャーナリスト。フランクフルトのユダヤ人ゲットーに生まれる。1818年、文芸雑誌『ワーゲ』を創刊して文筆生活に入る。パリ移住後のベルネの政治評論を代表する『パリ便り』(1832~1834)は、機知に富む鋭利な文体を駆使して、ドイツの時代錯誤の現状を容赦なく暴き出した。ハイネと並ぶ「青年ドイツ派」のリーダー格とみなされたが、「政治革命か社会革命か?」をめぐって両者は鋭く対立し、ついには誹謗(ひぼう)と私怨(しえん)の大激突のうちに決別する。ベルネのわずか50年の生涯は、自己の共和主義的信念をかたくなに守り通した清楚(せいそ)な革命家の一生であった。ドイツ・ジャコバン派の政治的ジャーナリズムは、彼によって引き継がれたといっても過言ではない。
[林 睦實]
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