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ペルピニャン Perpignan

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ペルピニャン
Perpignan

フランス南部,ピレネーゾリアンタル県県都地中海に 13km,スペイン国境に 31kmの地にあり,旧ルーシヨン州の州都。豊かな農村を背後にもつワイン,果物,野菜の取引の中心地。食品・金属工業がある。中世はスペインの支配下にあって,マジョルク王国の首都としてカタルニャとの関係が深かったが,1659年のピレネー条約でフランス領となった。スペイン,フランスの争いの名残りをとどめるカスティエ城塞 (現博物館) ,14~15世紀の聖ジャン大聖堂をはじめ,数多くの史跡,美術品があり,観光都市としても知られる。人口 11万6676(2008)。

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百科事典マイペディアの解説

ペルピニャン

フランス南部,ピレネー・ゾリアンタル県の県都。スペイン国境に近い。地中海岸から約10km,テト川に沿う。ブドウ酒,果物,野菜の取引中心地で,製紙醸造業などが行われる。11世紀に創設,1276年―1344年マリョルカ王国の首都。1659年フランスに併合。11万5326人(2006)。

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世界大百科事典 第2版の解説

ペルピニャン【Perpignan】

フランス南部,スペインとの国境に近い,地中海に面したルーシヨン地方の中心都市。ピレネー・ゾリアンタル県の県都。人口10万8000(1990)。司教座所在地。1276年から1344年まで,マリョルカ(マヨルカ)王国の首都。1659年スペインからフランスに割譲。古くはラシャの産地であったが,19世紀鉄道開通後,ブドウ酒,果樹,野菜などの集散地となった。かつては,バルセロナについでカタルニャ第2の都市として地中海世界に名を知られており,当時の砦や〈海の館〉が今日に伝えられている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ペルピニャン
ぺるぴにゃん
Perpignan

フランス南部、ピレネーゾリアンタル県の県都。スペイン国境に近く、テート川右岸に位置するフランス・カタルーニャ地方の中心都市。地中海岸からは11キロメートル離れる。人口10万5115(1999)。10世紀ごろ要塞(ようさい)都市として建設、ルシヨン地方の首都となった。12世紀にスペインのアラゴン領となり、1276~1344年はマリョルカ(マジョルカ)王国の首都。大革命(1789~99)まで存続した大学が14世紀に創建され、これにより発展した。ルシヨンは17世紀にフランス領に戻った。周辺の肥沃(ひよく)な平野で生産されるワイン、野菜、果実、オリーブなどの取引中心地。工業には金属、食料品、メリヤス加工などがある。美術史上貴重な歴史的建造物に富み、14世紀のカスティエ要塞はカタルーニャ博物館となっている。ほかに、海事裁判所がある14、15世紀の建物ロッジュ、同時代の建築で木彫のキリスト磔刑(たっけい)像を収めるサン・ジャン大聖堂、13、14世紀のマリョルカ王宮、それを囲む軍事技術家ボーバン築造の要塞などがあり、これらを巡る観光地ともなっている。[青木伸好]

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世界大百科事典内のペルピニャンの言及

【ルーシヨン】より

…現在のピレネー・ゾリアンタル県にほぼ一致する。中心都市はペルピニャン。ピレネー山脈の東端にあり,カニグー,カルリットの山地やテット川,テッシュ川の谷を含む一方,地中海に面し,北をコルビエール山地で画されたルーシヨン平野からなる。…

※「ペルピニャン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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