マイヨール(読み)まいよーる(英語表記)Aristide Maillol

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マイヨール」の意味・わかりやすい解説

マイヨール(Michel Mayor)
まいよーる
Michel Mayor
(1942― )

スイス天文学者。ローザンヌ生まれ。ローザンヌ大学で理論物理学を学び、1966年修士号取得、1971年ジュネーブ大学天文学の博士号を得た。以来、同大学で研究・教育活動に携わり、1984年同大学準教授、1988年教授、1998年同大学のジュネーブ天文台の所長に就任。2007年にジュネーブ大学名誉教授。

 マイヨールは当初、連星や相互の重力によって球状に集まった球状星団、銀河系の構造解明に取り組み、木星の質量の11倍となる褐色矮星(わいせい)の存在をつきとめた。1994年に彼の研究室に大学院生のディディエ・ケローが入ってくると、フランス南東部にあるオートプロバンス天文台で、巨大惑星などを探索するために太陽に似た142個の恒星の観測を始めた。彼らは放射状に広がる星の動く速度などを正確に測定できる高分解能の分光計「ELODIE(エロディ)」を開発し、同天文台の口径1.93メートルの望遠鏡に設置した。恒星の周りを惑星が回転すると、恒星は惑星の重力によって中心からふらつくように動く。2人は、地球から約50光年離れた「ペガスス座51番星」を観測したとき、この恒星が秒速13メートルで動いていることを確認。すぐに惑星をみつけることができなかったが、1995年1月に、この星の近くに太陽系最大の惑星である木星の半分の大きさをもつ惑星の存在を検出した。50年以上にわたって存在が予想されたにもかかわらずみつからなかった、初の太陽系外惑星の発見だった。この発見には、救急車サイレンが近づくときと遠ざかるときで音色が変わる「ドップラー効果」が応用された。ペガスス座51番星は、周回する惑星の重力によって、明るさが定期的に変化するが、観測者に近づくときと遠ざかるときで、波長が変化する(輝き方が変化する)ことをつきとめた。この惑星は、木星と同じ巨大ガス惑星で、恒星までの距離が、太陽と水星間の8分の1にあたる800万キロメートルを約4日で公転していた。この発見をその年1995年10月のイタリア学会で発表すると、世界の天文学者を驚かせたが、これを機に、系外惑星は次々に発見され、系外惑星研究が飛躍的に進んだ。これまでに約4000個を超える系外惑星の存在が確認され、地球以外に生命体が住む惑星の発見にも期待が高まっている。

 2004年アルベルト・アインシュタインメダル、2005年ショウ賞(天文学部門)、2015年イギリス王立天文学会ゴールドメダル、京都賞(基礎科学部門)、2017年にウルフ賞(物理学部門)を受賞。2019年「史上初の太陽に似た恒星を周回する系外惑星の発見」による業績で、弟子のケローとともにノーベル物理学賞を受賞した。「宇宙物理学における新たな理論の発見」の業績で、ビッグ・バン理論の基礎を築いたことが評価されたプリンストン大学の名誉教授ジェームズ・ピーブルスとの同時受賞であった。

玉村 治 2020年2月17日]


マイヨール(Aristide Maillol)
まいよーる
Aristide Maillol
(1861―1944)

フランスの彫刻家。スペイン国境に近い南フランスの地中海沿岸バニュルス・シュル・メールに生まれる。初め画家を志して1881年にパリに出るが、エコール・デ・ボザールの入学試験に失敗を重ね、85年ようやく入学を許され、ジェロームとカバネルの教室に入る。やがて平面性を強調するゴーギャンの作品から影響を受けるに至り、ゴーギャン芸術を信奉する若い画家のグループ、ナビ派と親交を結んでその一員となる。ナビ派の装飾的構図にひかれてタペストリーにも興味をもち、その制作に自らの進むべき道をみいだそうとした。しかし細かい仕事がたたって目を病み、1900年には断念せざるをえなくなった。彼は不惑を迎えようとして迷い、模索を続けたが、結局1895年ころから手がけていた彫刻に転じた。1902年、画商ボラールのもとで最初の個展が開かれ、このときロダンがブロンズの小像『レダ』を激賞した。以来、彫刻を天職と自覚したマイヨールは大作に挑み、05年のサロン・ドートンヌに『地中海』を出品、その豊かで気品に満ちた重量感、調和にあふれた静かな構成は、ジッドやミルボーらの賞賛するところとなり、現代彫刻の革新者としての名声を確立した。

 マイヨールの彫刻は、ロダンの作品にみられるニュアンスに富んだ肉づけと劇的な構成とは対照的に、単純明快で滑らかな面によって構築され、豊かなボリュームを生み出している。その古典的な静謐(せいひつ)さは地中海文化の人間性に源を発し、普遍性、永遠性にも通じるものを感じさせるが、そこにはまごうかたなき現代性が刻印されている。彼は生涯を通じてあらゆる注文に女性の姿をもってこたえた。彼においてはあらゆるものが、あらゆる観念が女性の肉体として現れる。交通事故にあい、バニュルスの自宅で没した。

[大森達次]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マイヨール」の意味・わかりやすい解説

マイヨール
Mayor, Michel

[生]1942.1.12. ローザンヌ
ミシェル・マイヨール。スイスの天文学者。フルネーム Michel Gustave Mayor。ディディエ・ケローとともに太陽と似た恒星のまわりを公転する太陽系外惑星を発見し,2019年ケロー,ジェームズ・ピーブルズとともにノーベル物理学賞(→ノーベル賞)を受賞した。
1966年にローザンヌ大学で物理学の修士号,1971年にジュネーブ大学で天文学の博士号を取得。その後もジュネーブ大学で研究を続け,1988年に同大学教授,1998年同大学付属ジュネーブ天文台台長,2007年名誉教授。
初期の研究では連星散開星団および球状星団,天の川銀河の構造と進化などに重点をおいた。1994年,大学院生のケローとともに,フランスのオートプロバンス天文台で恒星の視線速度を正確に計測できる最新の分光器 ELODIEを用い,142個の恒星の観測を始めた。惑星が恒星を公転するとき,惑星と恒星は共通の重心を中心に回るため,重心に対する恒星の動きがスペクトル線の変化として観測できる。ELODIEは恒星が 13m/sの視線速度で動くことを検出し,これが太陽系最大の惑星である木星によって生じる太陽の視線速度の変化とほぼ同じであることがわかった。しかし,木星の公転周期は約 12年であるため,マイヨールらはすぐに惑星発見という結果が得られるとは予想しなかった。1994年9月にペガスス座51番星の観測を開始したマイヨールとケローは,1995年1月に質量が木星の約半分で公転周期が 4.23日の惑星ペガスス座51番星bを発見した。太陽系のどの惑星とも似ていないペガスス座51番星bの存在は天文学者を驚かせ,太陽系外惑星の研究という天文学の新たな分野を切り開いた。ペガスス座51番星bの発見から 20年以上の間に発見された太陽系外惑星は数千個に上る。
マイヨールらはさらに研究を進め,1998年以降チリのラ・シジャ天文台にある分光器 CORALIEを用いて恒星から近距離にある惑星 1647個を探しあて,そのうち100個以上を太陽系外惑星の候補とした。また,30cm/sの視線速度の変化を観測できるラ・シジャの分光器を利用した高精度視線速度測定惑星探査装置 HARPSプロジェクトでは主任研究者を務め,2003年の観測開始以降,100個以上の太陽系外惑星候補を発見,そのなかには質量が地球より大きい岩石惑星「スーパーアース」も数個含まれている。

マイヨール
Maillol, Aristide

[生]1861.12.8. バニュルスシュルメール
[没]1944.9.27. バニュルスシュルメール近郊
フランスの彫刻家。初め画家を志し,1882年パリに出てエコール・デ・ボザールを受験したが落第,1886年まで聴講生として絵を学んだ。タペストリーに興味をもち,1893年故郷に小さい織物工場を開いたが,視力を害して断念し彫刻に専念。 1894年ゴーガンと出会って勇気づけられ,1900年頃にはナビ派のグループと交わり作品を発表。青銅や大理石の作品も制作し,1905年に坐像の裸婦『地中海』 (1902~05,ニューヨーク近代美術館) で彫刻家としての評価を確立。 1909年にギリシアを旅行し,帰国後は女性裸像をモチーフとした純粋造形の世界を追究。交通事故で死亡。主要作品『欲望』 (1905~07,ニューヨーク近代美術館) ,『イル・ド・フランス』 (1921~25) など。

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