中央アジアのアム・ダリヤ下流域一帯を指す名称。アラビア語ではフワーリズムKhwārizm。ヒバKhivaともいう。古来東西文化の要衝にあってイラン文化の一大中心地として栄えたが,8世紀初頭アラブに征服され,同世紀末ないし9世紀初頭にイスラムを受容,やがてイスラム文化の一中心地に成長し,フワーリズミー,ビールーニーなどの学匠を生んだ。11世紀にはガズナ朝,次いでセルジューク朝の支配下に入ってこの地のトルコ化が進んだが,この間,セルジューク朝のトルコ人奴隷を始祖とする第4期ホラズム・シャー朝が勃興し,13世紀初頭には,イラン,マー・ワラー・アンナフル全域を支配する強国となった。しかし,1221年モンゴル軍によって征服され,以後キプチャク・ハーン国,次いで14世紀後半にはティムール朝,さらに16世紀以降はウズベク人のヒバ・ハーン国の支配下に入ったが,1873年ロシア軍によって征服され,1924年以降は二分されてソ連邦のウズベク,トルクメン両共和国(現在はウズベキスタン,トルクメニスタン両共和国として独立)に所属して現在に至っている。
執筆者:間野 英二
1937年以来,S.P.トルストフのホラズム考古調査隊の努力により,前4千年紀から13世紀に及ぶホラズムの文化が明らかになった。トルストフによると,アム・ダリヤ両岸,シル・ダリヤ南デルタにおいて,原始期,古代期,中世期の遺跡,文化が確認された。原始期は新石器(前4~前3千年紀)から青銅器時代(前2~前1千年紀)までで,とくにアム・ダリヤ右岸におけるジャンバスカラやヤッケパルサーンなどの遺跡で代表される。古代期は古拙期(前7~前5世紀),カンガ期(前4~後1世紀),クシャーン期(1~3世紀)に当たり,とくにアム・ダリヤ右岸にカンガ~クシャーン期の遺跡が多い。その中でコイ・クリルガーン・カラは直径87mほどの円形都城で,内城は直径42mを測り,王墓と神祠を備えて一段と高い。外城は居住区に当たり,貨幣の出土はないがポスト・アケメネス時代の文化が明らかになり,また1世紀の壁画がソグドやトカラとの関連で注目される。
一方,1~6世紀の都城であるトプラク・カラは,ホラズム王族の都城で方形プランをもち,〈皇帝の間〉は280m2あり,泥塑,雪花セッコウの王像,守護神で,また絵画で壁面を飾った。別室ではスキタイ美術を想起させる動物意匠を描いた。木,皮に書いたホラズム語文書140点,多量のクシャーン貨幣は,ガンダーラ仏教彫刻に刻まれた紀元不明の年数,あるいはクシャーンのカニシカ王の諸説紛々たる年代などに対し,波紋を投げ,ホラズムが中央アジアの諸文化に深くかかわっていることがわかる。中世期には,紀元後ほどなく始まった現クニャ・ウルゲンチ(グルガンジュ)が10世紀に栄え,ホラズムの主都となった。
執筆者:桑山 正進
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アム川下流域地方をさす地名。古典ギリシア語でコラスミア(Khorasmia),アラビア語でフワーリズム(Khwārizm),ロシア語でホレズム(khorezm)という。紀元前4千年紀の新石器時代かそれ以前にさかのぼる文化を持つ。アケメネス朝時代以前から繁栄していたことが知られている。8世紀初めにアラブの征服を受けてイスラーム化した。1077年,ガズナ朝の知事アヌージュテギンが自立し,ホラズム・シャー朝を樹立した。この王朝は12世紀末にはセルジューク朝を倒してイランを領有し,13世紀初めにはゴール朝に代わってアフガニスタンに進出したが,1220年,アラー・ウッディーンはモンゴル軍に敗れ,政権は崩壊した。その子ジャラールッディーンは31年まで抵抗を続けた。モンゴル支配下ではキプチャク・ハン国とイル・ハン国との係争地となった。14世紀後半,ティムールが台頭するとその支配下に入り,16世紀以降,ヒヴァ・ハン国が成立してロシア革命まで続いた。
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中央アジアのアムダリヤ下流域をさす地方名。フワーリズムともコラズムとも表記される。古くから灌漑(かんがい)農業が発達し、遊牧民とオアシス住民の交易地として栄え、イラン文化をはぐくんできた。8世紀初頭アラブ人に征服されてイスラム化し、やがてイスラム文化の一中心地となってフワーリズミー、ビールーニーなどの学者を生んだ。11世紀前半にガズナ朝、ついでセルジューク朝の支配下に入ってトルコ化が進んだ。そして、この地からホラズム・シャー朝が勃興(ぼっこう)し、13世紀初頭には西トルキスタン、イラン全土を支配する強国となったが、1221年モンゴル軍に征服され、14世紀後半にティームール帝国領となった。16世紀初頭ヒバ・ハン国がここに建設されたが、1873年にヒバ・ハン国はロシアの属国となった。ロシア革命後一時ホラズム人民ソビエト共和国が誕生した。現在ではウズベキスタン、トルクメニスタン両国に所属している。
[堀川 徹]
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