翻訳|Honduras
基本情報
正式名称=ホンジュラス共和国República de Honduras/Republic of Honduras
面積=11万2492km2
人口(2010)=805万人
首都=テグシガルパTegucigalpa(日本との時差=-15時間)
主要言語=スペイン語(公用語)
通貨=レンピラLempira
中央アメリカ中部にある共和国で,北部はカリブ海に,南部ではフォンセカ湾で太平洋に面しており,西でグアテマラ,南西でエルサルバドル,南東でニカラグアと国境を接している。国名はスペイン語の〈深みhondura〉に由来するといわれている。
国土の多くは山地で,太平洋岸に沿って東西に2000m級の山を含む主山脈が走り,さらにいくつもの山脈が加わって高地をつくっている。平野部は国土面積の約20%を占め,狭い北部海岸地帯と,南部のフォンセカ湾周辺に集中している。これら平野部には,カリブ海に注ぐウルア,アグアン等の,またフォンセカ湾に至るチョルテカ等の河川がある。カリブ海沿いにとくに沼沢や潟湖が多く,最大のカラタスカ湖もそこに含まれる。カリブ沖にはロアタン島をはじめとするバイア諸島がある。熱帯気候に属するため高温多湿であるが,標高によって気温等にかなりの変化がみられる。高地では気温の年較差が大きい。カリブ海側低地は高温で一年中降水量も多く,熱帯雨林が発達している。中部の山地に人口や経済活動の多くが集中しており,太平洋岸と同じく12~4月に乾季が訪れる。人口の約90%は白人と先住民との混血(メスティソ)であり,ホンジュラス社会の中核をなしている。ほかにグアテマラ近くと北東部にマヤ系やミスキート等の先住民がおり,カリブ海側にはバナナ農園全盛期にジャマイカから移ってきた黒人が少数いる。白人は全人口の1%ほどにすぎない。公用語はスペイン語。住民の大多数はローマ・カトリック教徒である。教育は小学校(6年制)が義務化されているが,中等教育への進学率は低く,識字率は72%余(1995)。首都テグシガルパには国立自治大学(1847設立)がある。医療や社会福祉はまだ低水準にとどまっている。
ホンジュラスは1982年憲法によって三権分立の共和国と定められている。大統領は直接選挙で選ばれ,任期4年(再選禁止)。議会は一院制で,任期は同じく4年,132議席からなるが,行政府に対抗できるほどの力はない。地方行政面では,18の県departamentoと首都特別区に分かれている。陸・海・空の三軍と公安部隊(FUSEP)がある。義務兵役制度は廃止された。日本との国交は1935年に始まり,第2次大戦による中断ののち,53年に再開された。
ホンジュラスは西半球でもっとも貧しい国の一つで,基本的に農業を基盤としており(労働力と輸出の3分の2を占める),とりわけバナナの生産と輸出が大きな比重を占めている。バナナ生産はおもにカリブ海側の平野でプランテーション形式によってなされ,アメリカ資本が支配している。輸出用作物としては,ほかに南部のコーヒー,さらにマニラ麻,タバコ,ココナッツ等がある。食品加工や繊維・衣料などの軽工業もあるが,まだ未発達である。近年,保税加工区の活動が,特に輸出面で活発になっている。森林資源の開発が進んでいるが,松は1969年代の虫害から完全に立ち直っていない。地下鉱物資源は豊富だが,十分に開発されていない。銀,アンチモン,鉄,金,ボーキサイト等が産出されている。主な貿易相手はアメリカ合衆国で,ついでドイツ,メキシコ,中米諸国などがある。主な輸入品は,機械,車両,化学製品等である。国内交通はおもに道路に依存している。パン・アメリカン・ハイウェーが通っており,カリブ海側の港湾都市プエルト・コルテスからフォンセカ湾に至るルートが最も重要である。鉄道はバナナ輸送用に北部に集中しており,このためテグシガルパは鉄道のない首都として知られている。外国貿易はプエルト・コルテス,アマパラ等の港に大部分を依存している。テグシガルパとサン・ペドロ・スラは国際空港をもつ。
1990年代前半の経済政策の混乱は,インフレや財政赤字の増大を招いたが,自由党政権のもとで財政政策の立て直しがはかられている。しかし,インフレと対外債務はいまだに改善されていない。
ホンジュラス西部にはもともとマヤ系先住民が住んでいた。コパンには大きな遺跡も存在する。コロンブスはその第4次航海(1502)で彼らと接触している。その後,コルテスたちスペイン人がこの地に侵入し,先住民の抵抗(1536年のレンピラLempiraを指導者とした反乱は有名である)を排除して,グアテマラ総督領の一部に同地を編入した。植民地期には,テグシガルパを中心とした銀生産が進められた。カリブ海側にはしばしばフランス人やイギリス人が襲来し,18世紀にイギリスは北部海岸地帯を長期にわたって占領している。
19世紀初め,ホンジュラスでもスペインからの独立が叫ばれ,1821年にグアテマラ総督領の一部として独立を達成した。ついで短期間,イトゥルビデのメキシコ帝国の一州となり,23年には中央アメリカ連邦の一国になり,ホンジュラス出身のF.モラサンが30年に連邦大統領に就任している。連邦派と中央集権派との対立で連邦が崩壊した38年に,ホンジュラスは独立共和国となった。同国の権益をめぐってのアメリカとイギリスとの衝突は,59年にイギリスが占領地を返却することで一応の終りをつげ,アメリカのホンジュラスへの発言権は強大となった。国内では保守派が自由派と抗争を繰り返し,その間にアメリカはバナナ栽培と,その輸送用の道路・鉄道をほぼ完全に支配した。1902年にユナイテッド・フルーツ社,05年にスタンダード・フルーツ社がバナナ生産に加わり,今日に至るまで政治的・経済的に大きな影響力を保っている。アメリカ資本が現地労働者と引き起こした摩擦のため,20世紀初めに何度もアメリカ軍が介入を行った。アメリカの軍事介入は20年代にも行われたが,大恐慌ののちは,T.カリーアスが独裁者として大統領の座につき(1933),49年までアメリカと結びついて強力な抑圧体制を継続した。第2次大戦に際して,ホンジュラスは日本,ドイツ,イタリアに宣戦を布告したが,軍事行動は行っていない。
第2次大戦後,戦時中の輸出不振から生じた失業等に適切な対応ができなかったカリーアスは49年に失脚し,ついでガルベスJuan Manuel Gálvezが54年まで大統領となった。54年の大統領選挙では過半数を得たものがなく,ロサノJulio Lozano Díazが臨時大統領となった。この時期,ユナイテッド・フルーツ社で大ストライキが起こり,労働者の地位が部分的に改善されている。ロサノ政権は56年にクーデタで崩壊し,57年にモラーレスRamón Villeda Moralesが大統領に就任した。モラレス政権は鉄道の部分的国有化,労働法制定,土地改革の準備を行うとともに,61年にはキューバと断交している。同政権は63年に軍部クーデタで倒れ,アレリャノOsvaldo López Arellano将軍が65年に大統領となった。69年に難民問題に端を発して,ホンジュラスはエルサルバドルと交戦している(いわゆるサッカー戦争)。アレリャノは72年にもクーデタで政権の座についた。その後も軍内部での対立や社会的激動がつづき,75年にはメルガルJuan Melgar Castro将軍が政権を握ったが,78年のクーデタで倒れ,軍の3人委員会に権力が移った。80年の総選挙では自由党(中道右派)が勝利し,ついで81年11月の総選挙でも圧勝,同時に行われた大統領選挙で同党のスアソRoberto Suazo Córdovaが当選,民政に復帰した。82年の新憲法施行ののち,85年11月の総選挙では同じく自由党のホセ・アスコナ・デル・オヨJosé Azcona del Hoyoが大統領に選ばれたが,議会での自由党の勢力はかなり後退した。アスコナ政権は親米路線を保ったが,中米紛争に関してはコンタドーラ・グループを支持し,アメリカとは一線を画した。サッカー戦争の後始末は,80年にエルサルバドルと平和条約が結ばれて一応解決したが,ニカラグア革命のあと,ホンジュラスは旧ソモサ派の出撃拠点となり,さらにエルサルバドルでの内戦の激化からくる大量の難民流入もあって,政治的に不安定な状態が続いた。89年国民党のラファエル・レオナルド・カジェハスRafael Leonardo Callejasが大統領に選ばれたが,汚職事件が相次ぎ,93年には自由党が立てた人権派弁護士カルロス・ロベルト・レイナCarlos Roberto Reinaが大統領選で勝利した。レイナは前政権の汚職の追及や軍の改革を進めたが,それに反対する右派のテロが連続して起こっている。97年11月の大統領選挙では,自由党のカルロス・ロベルト・フロレスCarlos Roberto Floresが当選し,98年より同国大統領になる。
執筆者:山崎 カヲル
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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現地音ではオンドゥーラス。中央アメリカの共和国。独立後のメキシコから分離した中央アメリカ連合から分かれて1838年独立した。50年代から高速船によるバナナの輸出が行われるようになると,ホンジュラスでもその栽培が盛んになり,1902年からはユナイテッド・フルーツ会社が生産を拡大して,国の政治と経済を左右する力を持ち,「バナナ共和国」とも呼ばれるようになった。20世紀になって,保守派と自由主義派の対立が続き,33~49年ティブルシオ・カリアスの独裁があったが,57年以後軍の政治介入が激しく,82年新憲法のもとで文民政権が成立した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…中央アメリカのエルサルバドルとホンジュラスの間で,1969年7月に戦われた戦争を指す。サッカー試合がきっかけになったとされるのでこの名があるが,〈100時間戦争〉という呼名もある。…
…したがって,多くの船主は比較的自由に登録国を選択できる立場にある。こうした一般的船舶登録環境のなかにあって,例外的事例として,外国の船主による登録を受け入れるばかりでなく,登録手続がきわめて簡単で,しかも所得税や法人税をほとんど課さず,さらに乗組員の配乗に制限を加えないで船主の自由にまかせる,リベリア,パナマ,ホンジュラスなどの国があり,ギリシア船主,アメリカ船主をはじめとする多くの先進海運国船主がこれらの国を便宜的に置籍国として利用している。このような便宜置籍船はすでに世界商船隊のなかで大きな比重を占めているが,高い海難事故率,劣悪な海上労働条件,発展途上国海運の発達に及ぼす影響等の弊害をもたらす要因になっているとして,国際的な場で問題視されている。…
※「ホンジュラス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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