サッカー戦争(読み)サッカーせんそう

改訂新版 世界大百科事典 「サッカー戦争」の意味・わかりやすい解説

サッカー戦争 (サッカーせんそう)

中央アメリカのエルサルバドルホンジュラスの間で,1969年7月に戦われた戦争を指す。サッカー試合がきっかけになったとされるのでこの名があるが,〈100時間戦争〉という呼名もある。戦争の原因は,もともとエルサルバドルから,政治的・経済的な理由のため数十万の人々がホンジュラス領へ不法越境して住みついていたことにまでさかのぼる。ホンジュラスは1962年に決定した農地改革を,69年から実施に移したが,この改革は越境者には考慮を払わなかった。同年にホンジュラス政府は数万の越境農民を国外追放したが,彼らが虐待されたというニュースをエルサルバドルに持ち帰り,両国チームによるサッカー試合を契機戦端が開かれたものである。同年7月14日にエルサルバドル軍は空陸からホンジュラスを攻撃し,国境を越えて侵攻に踏み切った。ホンジュラス側は基本的に防衛にまわっている。米州機構OAS)が調停に乗り出し,7月29日にはエルサルバドルは無条件撤退に合意したが,和平交渉は難航し,76年になってようやく両当事国の交渉への仲介者の介入に合意ができ,80年にペルーリマで平和条約が締結された。しかしながら,懸案事項の一つである国境問題は依然として未解決のままである。この戦争によってエルサルバドルは近隣諸国との貿易支障をきたし,経済的に大きな打撃を受けている。
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百科事典マイペディア 「サッカー戦争」の意味・わかりやすい解説

サッカー戦争【サッカーせんそう】

中米エルサルバドルホンジュラスの間で,1969年7月に戦われた戦争。100時間戦争とも。1969年,ホンジュラスが土地改革を実施した際,エルサルバドルからの越境農民を国外追放にしたため,彼らが虐待されたというニュースが伝わった。そのさなかにサン・サルバドルで開催された両国チームによるワールド・カップ・サッカー試合を契機に戦端が開かれ,7月14日エルサルバドルがホンジュラスに侵攻,戦闘は100時間続いた。1980年平和条約が締結されたが,懸案の国境問題は未解決。エルサルバドルの内戦による難民がホンジュラスへ流入しつづけたため,両国の緊張関係は1980年代中続いた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サッカー戦争」の意味・わかりやすい解説

サッカー戦争
サッカーせんそう
Soccer War

1969年7月エルサルバドルとホンジュラスとの間で起った戦争。同年6月 22日の両国間の国際サッカー試合が対立を一挙に激化させるきっかけとなったため,この名で呼ばれる。その背景には,人口稠密なエルサルバドルから 30万余の農民が隣国のホンジュラスに流出,無断居住を行い,それに対してホンジュラス政府が立ちのきを命じたための緊張状態があった。7月 14日にエルサルバドル軍が侵攻,交戦 100時間にして米州機構 OASの調停により停戦,平和条約は 80年 10月にようやく調印された。この戦争でホンジュラスは中央アメリカ共同市場を脱退し,中米経済統合は長い停滞期に入った。

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世界大百科事典(旧版)内のサッカー戦争の言及

【エルサルバドル】より

…経済・政治・軍事面での中米協力の制度的進展にもかかわらず,ホンジュラスとの政治的・経済的緊張は緩和されず,69年7月14日にはエルサルバドルはホンジュラスと戦闘状態に入った。この100時間戦争は両国のサッカー試合をきっかけとしていたため,サッカー戦争と呼ばれている。この戦争の結果,中米共同市場等の地域統合の試みは,大きく後退せざるをえなくなった。…

【ホンジュラス】より

…同政権は63年に軍部クーデタで倒れ,アレリャノOsvaldo López Arellano将軍が65年に大統領となった。69年に難民問題に端を発して,ホンジュラスはエルサルバドルと交戦している(いわゆるサッカー戦争)。アレリャノは72年にもクーデタで政権の座についた。…

※「サッカー戦争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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