コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ホーネッカー ホーネッカー Honecker, Erich

3件 の用語解説(ホーネッカーの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ホーネッカー
ホーネッカー
Honecker, Erich

[生]1912.8.25. ザールノインキルヘン
[没]1994.5.29. サンチアゴ
東ドイツの政治家。 1929年ドイツ共産党に入党,30~31年ソ連留学,35年反ナチス活動を理由に逮捕され,ソ連軍によって解放されるまで 10年間獄中生活をおくった。第2次世界大戦後は青年組織づくりに活躍し,46年自由ドイツ青年同盟議長。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

ホーネッカー

ドイツ民主共和国(東ドイツ)の政治家。炭鉱夫の子に生まれ,1929年ドイツ共産党に入党。1935年―1945年反ナチス運動で逮捕,投獄。1958年ドイツ社会主義統一党中央委員会政治局員兼書記,1971年ウルブリヒト退陣のあと第一書記に就任。
→関連項目ベルリン問題

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ホーネッカー
ほーねっかー
Erich Honecker
(1912―1994)

ドイツ民主共和国(旧東ドイツ)の政治家。ザール地方ノインキルヘンに炭坑労働者の子として生まれる。小学校を終えて屋根葺(ふ)き職人の徒弟となる。1926年共産青年同盟に入り、1929年共産党員、1931年ザール地区共産青年同盟書記。1933年ナチス支配下で地下活動に入り、1935年逮捕、10年の懲役刑。第二次世界大戦後、1946年自由青年同盟(FDJ)の建設をゆだねられ、1955年まで同議長。1946年よりドイツ社会主義統一党(SED。現在の民主社会党の前身)幹部会員。1950~1958年政治局員候補、1958年以降政治局員。1955~1957年ソ連で訓練ののちSED指導部内で軍事・保安関係を担当。1958年より党中央書記および教育相、1971年ウルブリヒトの辞任後党第一書記、1976年以降国家評議会議長(元首)も兼務。1987年9月懸案のドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)訪問を実現、両独関係の進展に新局面を開いた。1989年10月18日SEDの中央委員会において彼の後継者と目されたエゴン・クレンツおよび秘密警察長官エリッヒ・ミールケらは、現存社会主義の穏やかな体制内改革を策してホーネッカーに辞任を迫り党から追放したが、時すでに遅く民衆の激しい不満の前に党組織は瓦解(がかい)した。1989年11月ベルリンの壁が崩壊し、1990年4月ベルリン近くのソ連軍病院にかくまわれた。ドイツ再統一後の1991年3月、ドイツ当局がソ連軍に引き渡しを要求するとモスクワへ逃れた。1991年12月ソ連崩壊後モスクワのチリ大使館に庇護を求めたが、1992年7月29日ドイツへ護送され、ベルリンの壁越境者への殺人命令、汚職、背任の容疑で告発、11月12日裁判が開始された。明白な証拠が発見されず、憲法裁判所は彼の「不治の病」を理由に告訴を取り下げ、チリの家族のもとへ行くことを許可した。1994年5月29日死去。[中川原徳仁]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ホーネッカーの関連キーワードザールセザール賞ノイゾールビニールレザーインストールウィザードチョルスーバザールデザートビールクール・ナノ・ブリザード・8バザールでござーるバルタザール・ノイマン・アンサンブル

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

ホーネッカーの関連情報