日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウルブリヒト」の意味・わかりやすい解説
ウルブリヒト
うるぶりひと
Walter Ulbricht
(1893―1973)
ドイツ民主共和国(旧東ドイツ)の政治家。ライプツィヒ生まれ。1912年社会民主党に入り、1919年ドイツ共産党に参加。1921年地方組織の専従員、1923年中央へよばれて組織局と軍事委員会に所属した。1924~1927年たびたびモスクワへ行きコミンテルン組織局で訓練を受ける。1928年帝国議会議員。1933年に亡命、1938年までパリにおいて共産党の国外指導部書記。1938年モスクワへ移り、第二次世界大戦中はドイツ人捕虜への教育宣伝、ソ連軍占領地の軍政に携わり、1943年自由ドイツ国民委員会の創設に参加。1945年ベルリンへ帰還して市政を組織し、共産党再建を指導した。
1946年、東ドイツ地域の社会民主党との合同になるドイツ社会主義統一党(SED。後、ドイツ連邦共和国の民主社会党となる)の最高指導部に入り、1950~1953年書記長、1953~1971年第一書記、1949~1960年旧東ドイツ副首相、1960~1971年国家評議会議長(元首)。1971年5月健康上の理由で要職を辞任した。ウルブリヒト体制は国内の政治統制と親ソ政策を基本に、若いテクノクラートを養成し、経済水準の向上に成果を収めた。1970年ソ連と西ドイツの急速な接近は東ドイツの頭越しに行われたらしく、彼の引退を決定づけたといわれる。
[中川原徳仁]