カナダの政治家。保守党に所属。ノバ・スコシアに生まれ,弁護士を経て1896年連邦議会下院に選出されて政界に入る。1901年C.タッパーの後を継いで保守党党首となり,11年の総選挙では自由党の失政に助けられた形で保守党が政権を掌握し,首相に就任。ボーデンの統治は第1次世界大戦への対応という形で展開された。戦時処置法の可決により内閣には非常時に際し強権発動が認められ,莫大な負債に苦しんでいた民間鉄道の国営化がはかられた。大戦の進行につれ,志願兵制度ではイギリス帝国が必要とする兵員の確保は難しく,17年5月,ボーデンは議会に徴兵制の導入を提議。ケベック州の反対を押し切るために保守党,自由党の連合内閣を形成して徴兵を実現したが,自由党党首で前首相W.ローリエの承認を得ることはできなかった。兵員,物資の補給でイギリスの戦争遂行を支援したカナダは,それをてこにボーデンの時代に国際的な地位を上昇させたことが注目される。イギリス帝国戦時会議,戦時内閣の一員であった彼は,カナダの発言力強化に尽力し,講和条約の調印,国際連盟創設にはイギリスと対等の立場で参加した。また国内では兵役に従事する者の家族への参政権という形で婦人参政権が部分的に実現するが,これは拡大されて18年,連邦段階での婦人参政権に結実した。20年病身を理由に政界を退くが,21年から22年のワシントン会議にカナダを代表するなど,政界への影響力を保ち続けた。
執筆者:大原 祐子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…大戦が国内に及ぼした影響の第1は,再び高まったイギリス系・フランス系の軋轢であろう。徴兵制に反対するフランス系カナダ人の激しい抵抗に遭遇したR.L.ボーデン保守党内閣は,自由党との連合内閣を形成してこれを切り抜けたが,以後ケベック州における保守党の支持は著しく低下した。第2としては,女性の地位の向上があげられよう。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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