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学童疎開 がくどうそかい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

学童疎開
がくどうそかい

第2次世界大戦の末期に東京,大阪,名古屋,横浜など大都市の国民学校初等科児童を郊外の農山村に移動させ,戦火を避けさせたことをいう。 1944年8月から学校単位の集団疎開が実施され,45年の疎開児童数は約 45万人に達した。疎開先では公会堂社寺,旅館などを宿舎とし,そこで授業も行われ,疎開地の学校もこれに協力したが,終戦直前の食糧難,物資欠乏のため,付添いの教師や寮母などはその調達に追われ,正常な教育はほとんど行われなかった。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

学童疎開

第2次世界大戦末期、米軍の本格的な本土空襲に備えて、大都市の国民学校初等科(現在の小学校)の児童を強制的に地方に移住させた。親戚などを頼る縁故疎開のほか、学校単位で3~6年生の集団疎開があった。 「茨城県史研究」(1998年)によると、県内では主に山間部や内陸部の宿泊施設に多く割り当てられ、44年8月から東京都内から8千人以上の児童が集団疎開したとされる。

(2015-08-30 朝日新聞 朝刊 茨城・1地方)

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デジタル大辞泉の解説

がくどう‐そかい【学童疎開】

昭和18年(1943)末ごろから、第二次大戦戦局悪化に伴い、戦禍を避けるために大都市の学童を地方都市や農村に集団的また個人的に移住させたこと。

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百科事典マイペディアの解説

学童疎開【がくどうそかい】

太平洋戦争末期に,大都市の国民学校初等科の児童を農村地帯に,個人的(縁故疎開)または集団的(集団疎開)に移動させたこと。1943年から実施し,1944年夏から政府は攻撃の予想される東京都のほか12工業都市の国民学校初等科3〜6年の児童を学校単位で集団疎開させた。
→関連項目疎開

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世界大百科事典 第2版の解説

がくどうそかい【学童疎開】

太平洋戦争の末期,不利な戦局下で予想された空襲の被害を避けるために,大都市の国民学校初等科児童を個人または集団で農村地帯に移住させたことをいう。連合軍による直接的な本土攻撃の危機が増大した1943年12月〈都市疎開実施要綱〉が閣議決定されて都市施設の地方分散がはかられたが,長距離爆撃機B29による空襲が激しくなる中で大都市児童の生命を守るために44年6月〈学童疎開促進要綱〉が決定された。この決定により〈縁故疎開〉を原則としつつ,それが不可能な国民学校初等科3~6学年の児童を半強制的に〈集団疎開〉させた。

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大辞林 第三版の解説

がくどうそかい【学童疎開】

第二次大戦末期の1944年(昭和19)7月から、大都市の国民学校初等科児童を農山村や地方都市へ集団移動させたこと。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

学童疎開
がくどうそかい

第二次世界大戦末期、アメリカ軍による日本本土爆撃に備え、大都市の国民学校初等科児童を集団的、個人的に農村部へ、半強制的に分散移動させた措置をいう。急激な戦局悪化に伴い、1943年(昭和18)末から児童の「縁故疎開」に便宜を図る措置がとられ、また東京都にあっては44年4月から、縁故のない児童のための疎開学園設置が進められていた。同年6月15日、アメリカ軍がサイパン島に上陸するや、政府は「学童疎開」を「強度ニ促進スル」必要に迫られた。同月30日、政府は「学童疎開促進要綱」を閣議決定し、「縁故疎開」を「強力ニ勧奨スル」とともに、縁故のない児童について「集団疎開」を実施することにした。「集団疎開」はさしあたり、東京都区部の国民学校初等科3年以上6年までの児童を対象とし、「保護者ノ申請ニ基」づいて行われることになった。同年7月、疎開都市として、横浜、川崎、横須賀、大阪、神戸、尼崎(あまがさき)、名古屋、門司(もじ)、小倉、戸畑、若松、八幡(やはた)の12都市が追加指定された。この結果、福岡県下5都市を除いて、約35万人の児童が、8月から9月にかけて、約7000か所の旅館、寺院などに集団疎開した。
 1945年(昭和20)、東京大空襲直前の3月9日、政府は「学童疎開強化要綱」を閣議決定し、「学童疎開ノ徹底強化ヲ図ル」ため、初等科3年以上の児童についてはその全員を疎開させ、1、2年の児童については、縁故疎開を強力に勧奨するとともに、集団疎開の対象に加えることにした。また、同年4月には、疎開都市に京都、舞鶴(まいづる)、広島、呉(くれ)の4都市を追加指定した。こうして、集団疎開する児童は約45万人となった。その間、沖縄県など戦域諸島の児童も疎開することとされ、約1万3000人が疎開させられたが、沖縄県の児童、教員、保護者を乗せた疎開船「対馬丸(つしままる)」が、44年8月22日、米軍潜水艦に撃沈され、1484人のほぼ全員が死亡するという事件も発生した。集団疎開した児童の教育に関しては、文部省国民教育局長通牒(つうちょう)「集団疎開学童ノ教育ニ関スル件」(1944)が発せられているが、実態は食糧確保に追われ、「必勝ノ信念ヲ培ヒ」、「教員ヲ中心トスル家庭的和楽ノ裡(うち)ニ薫化ノ実ヲ挙ゲル」どころではなかった。集団疎開からの復帰が完了したのは、終戦後の45年11月のことである。[三原芳一]
『浜館菊雄著『シリーズ戦争の証言4 学童集団疎開』(1971・太平出版社) ▽創価学会青年部反戦出版委員会編『学童疎開の記録』(1977・第三文明社) ▽山中恒著『ボクラ少国民第四部 欲シガリマセン勝ツマデハ』(1979・辺境社)』

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世界大百科事典内の学童疎開の言及

【疎開】より

…人員疎開も,43年の都市疎開実施要綱の決定から強化されたもので,その主眼点は防空や生産に関係ない老人や婦女子を都市から疎開させることにあり,青壮年など勤労動員の対象となっている人々の疎開は許可されなかった。組織的な人員疎開は,44年夏から本格化した学童疎開によって開始された。【粟屋 憲太郎】。…

※「学童疎開」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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