イタリアの詩人、人文学者。本名アンジョーロ(またはアニョーロ)・アンブロジーニAngiolo (Agnolo) Ambrogini。7月14日モンテプルチアーノに生まれる。フィレンツェ大学に通い、アルギュロプロス、ランディーノ、アンドロニコ・カッリスト、カルコンデュラスらから学ぶ。若くしてラテン語とギリシア語に熟達し、1470年ホメロスの『イリアス』第二巻をラテン語に訳して、ロレンツォ・デ・メディチに献じた。73年ロレンツォは彼をメディチ家に招じ入れ、長男ピエロの家庭教師とした。そのころ新プラトン主義の哲学者マルシリオ・フィチーノから感化を受ける。71年ごろからギリシア語の風刺詩を手がけ、またラテン語でオードや悲歌を書いた。75年ごろスタティウス風の「シルバ」とよばれる詩を書く。また75年に書き始めたジュリアーノ・デ・メディチの頌詩(しょうし)『馬上槍(やり)試合のための詩』は、78年パッツィの陰謀によりジュリアーノが殺害されたため未完のままに残された。彼はサルスティウスを模して、その陰謀の経緯を書いている。ロレンツォの妻クラリーチェとピエロの教育問題で対立し、メディチ家を出て(1479)、マントバの枢機卿(すうききょう)フランチェスコ・ゴンザーガのもとに身を寄せ、詩劇『オルフェオ物語』を書く(1480)。
のちロレンツォと和解してフィレンツェに戻り、フィレンツェ大学の詩学と雄弁術の講座を担当する。このころから文献学的研究を精力的に行い、その成果を『雑録』に収める。また大学における通年講義の序説として、スタティウスの著名な書の表題を借りた詩『シルバエ』を吟唱した。さらに古典詩人たちに関する講義のほか、アリストテレスに関する講義も行った。1494年9月24日フィレンツェに没。
[佐藤三夫]
イタリアの盛期ルネサンスにおける最も代表的な詩人,人文学者。本名アンジェロ・アンブロジーニ。モンテプルチアーノに生まれる。1464年に父が殺された後,フィレンツェへ移り住む。69年ごろから74年までフィレンツェ大学に通い,ラテン語とギリシア語に通暁した彼は,すでに70年にホメロスの《イーリアス》の第2巻をラテン語に訳して,ロレンツォ・デ・メディチに献じた。ロレンツォは彼をその息子ピエトロの家庭教師とした。メディチ家のもとにあって,ラテン語やギリシア語で風刺詩を書き,オードや悲歌を歌った。またスタティウス風の《シルバ》と呼ばれる詩や,舞踏詩をつくった。さらにジュリアーノ・デ・メディチの馬上槍試合における勝利を記念した《馬上試合のための詩編》を書いたが,未完のままとなった。ロレンツォの妻クラリーチェとピエトロの教育のことで対立してメディチ家を出(1479),マントバへ行き,枢機卿フランチェスコ・ゴンザーガのもとで《オルフェオの寓話》という詩劇を書いた(1480)。ロレンツォと和解してふたたびその息子たちの教師となり,フィレンツェ大学の詩学と雄弁術の講座を担当する。その時期から活発な言語文献学的活動を行い,その成果は《雑録》の中に集められた。晩年は《シルバ》と呼ばれる作品群の完成や,アリストテレスに関する講義などに身を捧げ,フィレンツェで死去。彼の翻訳した古代の著作には,エピクテトス,ヘロディアノス,ヒッポクラテス,ガレノス,プルタルコス,プラトンの《カルミデス》,《ユスティニアヌス法典》などがある。彼の詩は,ボッティチェリの絵画《春》や《ビーナスの誕生》などにも影響をあたえた。ルネサンスの最も繊細で典雅な牧歌的詩人と言われている。
執筆者:佐藤 三夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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[17~18世紀]
知識人によって書かれたルネサンス喜劇は,反宗教改革の進行とともに衰退の道をたどり,かわってコメディア・デラルテに代表されるような民衆喜劇が主流を占めるようになった。同時にラウダや宗教劇に始まったオペラ的なものは,A.ポリツィアーノの《オルフェオ》を経て,16世紀には牧歌劇が発展整備され,やがて文学と音楽の関係がいっそう密になって,17世紀にかけてカバリPietro Francesco Cavalli,G.カッチーニ,C.モンテベルディなどの〈メロドラマ〉(オペラ)を生んだ。イタリア演劇ではこの〈メロドラマ〉が悲劇の役割を果たした。…
…すなわち,15世紀イタリア・ルネサンスの基盤をなす〈人文主義〉は,ペトラルカとボッカッチョの古典文献の発掘と再認識に始まったのである。この運動は,ギリシア・ラテンの古典世界とキリスト教世界の調和という主題をめぐって,メディチ家支配下のフィレンツェに〈新プラトン主義〉を生みだして,ロレンツォ・デ・メディチやポリツィアーノのような詩風がもてはやされた。ポリツィアーノが《スタンツェ》(1475)や《オルフェオ物語》(1480)のなかで一貫して古典に題材を求めたのは当然であった。…
…この中核がフィチーノを長とするプラトン・アカデミー(アカデミア・プラトニカ)で,メディチ家のバック・アップもあって,周囲に傑出した文化人を集めた。ポリツィアーノは古典研究を批判的文献学にまで高めた第一人者であり,ピコ・デラ・ミランドラは《人間の尊厳性》を著して,フィチーノの人間中心の思想を自由意志の哲学へと発展させて,人文主義の頂点を極めた。彼らの活躍によってフィレンツェは〈花の都〉とうたわれ,世界中から留学生が集まった。…
※「ポリツィアーノ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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