シルバ(読み)しるば(英語表記)José Asunción Silva

日本大百科全書(ニッポニカ) 「シルバ」の意味・わかりやすい解説

シルバ
しるば
José Asunción Silva
(1865―1896)

コロンビア詩人。富裕な家庭に生まれ、10代の終わりから20代の初めをおもにフランスで過ごすが、父親の死、難船による詩稿の散逸、破産、妹の死など相次ぐ不運にみまわれ、生来厭世(えんせい)的傾向をいっそう深めて、ピストル自殺を遂げた。詩作は、スペインの詩人G・ベッケルの影響下にあった第1期、ヨーロッパでフランス象徴派やショーペンハウアー思想に触れ、それらを自国に持ち帰った第2期、および絶望が深まる第3期からなる。愛と死というロマン派的テーマを好み、妹の死に触発されて書いたという『第三夜曲』は、迫り来る死の予感を音楽的構造をもつすすり泣くようなリズムで歌った近代主義の傑作である。死後出版の散文に自伝的小説『食後に』がある。

[野谷文昭]

『荒井正道訳「シルバ」(『世界名詩集大成14 南欧・南米』所収・1959・平凡社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シルバ」の意味・わかりやすい解説

シルバ
Silva, António José da

[生]1705.5.8. リオデジャネイロ
[没]1739.10.18. リスボン
ポルトガル劇作家キリスト教に改宗したユダヤ人の子として生れ,8歳で両親とリスボンへ移住。コインブラ大学で教会法を学ぶ。 1726年母親とともに宗教裁判にかけられ勉学を中断,数ヵ月後,ユダヤ教を捨てることを誓い釈放されたが,37年,妻子とともに再び捕えられた。2年後に妻と娘は釈放されオランダに亡命したが,彼は斬首刑に処せられた。社会や個人を風刺する喜劇作家として,ビセンテ,モリエールの伝統を継ぐ一人とされる。代表作は『クレタの迷路』 Labirinto de Creta (1736) ,『アレクリンとマンジェローナの戦い』 Guerras do Alecrim e da Manjerona (37) 。

シルバ
Silva, Luís Augusto Rebelo da

[生]1822. リスボン
[没]1861. リスボン
ポルトガルの歴史家,小説家,政治家。病気のためコインブラ大学を中退したが,リスボンのアジューダ図書館で研究を続け,歴史家エルクラーノを知る。 1854年王立科学アカデミーの会員に選ばれた。歴史小説作家としてエルクラーノの後継者とみなされる。代表作『ジョアン5世青春時代』A Mocidade de D. João V (1852) ,『物語と伝説』 Contos e Lendas (73) ,歴史では『17,18世紀におけるポルトガル史』 História de Portugal nos Séculos XVII e XVIII (5巻,60~71) がある。

シルバ
Silva, José Asunción

[生]1865.11.27. ボゴタ
[没]1896.5.23. ボゴタ
コロンビアの詩人。富裕な,文学好きの家庭に生れ,21歳の頃ヨーロッパに旅行,多くの文学者に接したが,帰国後,一家の破産,父や妹の死,詩稿の散逸といった不幸が重なり,絶望のあまり 30歳でピストル自殺をとげた。マラルメボードレール,ベルレーヌらの影響が濃く,ペシミズムとアイロニーに彩られた彼の詩は,その音楽性と斬新な詩形とによって,「近代派」の先駆とみなされる。代表作は『夜曲』 Nocturnos,『万霊節』 Día de Difuntos,『聖ヨハネの鐘』 Los maderos de San Juanなど。

シルバ
Silva, António Dinis da Cruz e

[生]1731. リスボン
[没]1799. リオデジャネイロ
ポルトガルの詩人。下層階級の出であるが,1753年コインブラ大学で法学を修め,ルジターニア文学会 Arcádia Lusitana (1756~57) の創立者の一人となった。また 59年にはカステーロデビーデの判事,64~75年にはエルバスの軍法務官をつとめた。その地で高位聖職者間のいさかいに立会い,それが彼の風刺詩『聖水散布器』O Hissopeの好材料となった。リスボンに戻ると,風俗喜劇『偽りのヒロイズム』O Falso Heroísmoを書いた。ポルトガルの古典主義時代の重要な詩人の一人とされる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「シルバ」の解説

シルバ Silva, Gerald Hudson

1929-1999 スリランカの眼科医。
1929年12月18日生まれ。セイロン大在学中から角膜移植のための献眼運動をはじめる。コロンボ市内で眼科医院を開業するかたわら,国際アイバンク理事長として世界各国の盲人に光をあたえる運動をすすめ,日本アイバンク運動の推進にもつくした。昭和59年吉川英治文化賞。1999年10月22日死去。69歳。

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