日本大百科全書(ニッポニカ) 「マイクロ写真」の意味・わかりやすい解説
マイクロ写真
まいくろしゃしん
microphotograph
文書や図面を肉眼では見えないくらいに縮小し複製した写真のことで、マイクロフィルムmicrofilmともよばれている。さらに、これを必要に応じて索引し、閲読し、さらにまたこれを保存管理する系統的な一連の方法をもいう。人物や風景を写す、いわゆる普通の写真とはまったく異なった写真の分野で、レンズを通して微細な記録が可能な写真の特性を利用したメディアである。
その利用も単なる応用ではなく、フィルム材料のもつ解像能力を限界までフルに駆使するもので、1枚のマイクロフィルムに数ページから数十ページ、場合によってはそれ以上の文面を高い縮小倍率によって記録させることができる。つまり、大部の文献や書物も、数枚の小型フィルム上に克明に収めてしまうことができるのである。このマイクロフィルム化による利点として、〔1〕原稿とまったく同じ複写が、能率的かつ忠実に行われること、〔2〕一定の大きさのフィルムに縮小することによる、整理・保存の簡易化、〔3〕軽量小型なための運搬・検引の容易性、〔4〕保管に場所をとらない経済性、〔5〕保存の半永久性(条件によるが数百年の保存も可能)、などがあげられる。さらに、内容の改竄(かいざん)や変更が防止できるので、重要資料の保存としても有効であり、必要に応じてのプリント作成や再複製もできる。単なる複写とは違い、資料の経済的・合理的・集約的管理を目的としているので、一般の写真の分野のものではなく、その活用の状況からみてもわかるように、図書館の仕事と非常によく似ている。
マイクロ写真は、軍事的開発の一つとして生まれた。1870年から71年にかけて勃発(ぼっぱつ)したプロイセン・フランス戦争において、プロシア軍に包囲されたパリで、外部との連絡をとるため、写真師ルネ・ダグロンが伝書鳩(でんしょばと)に運ばせる軽量のマイクロ写真を考案したのが最初とされている。このとき、休戦までの8週間に送ったマイクロ写真の通信は、無事に到着したものだけでも11万5000通に達したといわれる。第二次世界大戦においても、イギリスからエジプトに送られたフィルムによる軍事郵便のVメイル、降伏したドイツから得たアメリカのPBレポートとよばれる軍事機密文書のマイクロフィルムなどが知られている。ビジネス面では、1925年にニューヨークの銀行員ジョージ・マッカーシーが、小切手の紛失防止のため考案した写真記録方式に始まる。日本では1953年(昭和28)に乳牛の登録に用いたのが最初である。
今日の情報化社会にあって、マイクロ写真の軽量性、正確性、緻密(ちみつ)さは、きわめて有効なものとして活用され、情報処理において重要なものの一つになっている。今日、マイクロ写真の法的証拠能力は、原本と同様の存在が認められている。
マイクロフィルムの形態には、1巻30.5メートルのロールフィルム、カードにフィルムのこまを挟んだアパーチュア・カード、1枚のシート状フィルムに数十ページを収めたマイクロフィッシュなどが、それぞれの規格に従って作製され、専用のマイクロ・リーダーで閲読できるようになっている。
[小池恒裕]